心配するな、俺の本命は別にいる——冷酷王太子と籠の花嫁

柴田はつみ

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第6章「嫉妬の仮面」

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 舞踏会の余韻は、翌朝になっても王宮を覆っていた。
 けれどセレーネにとって、それは決して甘やかな記憶ではなかった。
 眠りにつくまで、そして目覚めた今もなお、昨夜のレオニスの視線と声が耳にこびりついている。

——余計な真似をするな。お前は俺の妃だ。

 冷酷な響きに隠された熱。それが何よりも彼女を混乱させていた。
 ——なぜ? 彼には好きな人が別にいるのではなかったの?
 もしそうなら、私が誰と踊ろうと関係ないはず。
 矛盾する態度の意味がわからず、セレーネの胸は痛みに揺れていた。



 午前の講義を終え、控えの間で一息ついていたときだった。
「妃殿下」
 声をかけられ顔を上げると、そこにレオニスの姿があった。

 琥珀色の瞳が真っ直ぐに彼女を見据える。
 その眼差しに射抜かれるような感覚を覚え、セレーネは思わず息を詰めた。

「……殿下」
「昨夜のことだ」
「……」
「二度とあのような真似はするな」

 低い声が、冷たい刃のように突き刺さる。
 セレーネは必死に平静を装った。

「殿下……あれは礼儀でした。断れば場を乱してしまいます」
「礼儀など理由にならん。お前は俺の婚約者だ」
「……」

 怒気を含む声。
 けれどその奥に燃えるような感情を、セレーネは敏感に感じ取った。
 それは本命が別にいる者の態度とは思えなかった。

「……嫉妬しておられるのですか」
 思わず口をついて出た言葉に、レオニスの表情が一瞬だけ揺らぐ。
 すぐに鋭い光で覆い隠されるが、そのわずかな揺らぎをセレーネは見逃さなかった。

「馬鹿を言うな」
「けれど……」
「俺はただ、妃殿下が軽んじられるのを許さぬだけだ」

 理屈を纏った言葉。
 だが、掴まれた腕の力が強すぎて痛みを覚える。
 それが彼の本音を物語っていた。



 その日の夕刻。
 庭園を歩くセレーネの背後に、またあの声が忍び寄った。

「妃殿下……お疲れのご様子ですね」
 イリスだった。金糸の髪を夕陽に照らされ、慈悲深げに笑っている。

「ご心配なく……」
「昨夜の舞踏会、殿下は随分とご機嫌を損ねておられましたね」
「……」
「本命が別にいるのに、あのように振る舞われるとは。——妃殿下をお守りするためでしょうか、それとも……」

 意味深な言葉。
 セレーネの胸がざわめく。
 レオニスの矛盾した態度の裏に、何があるのか。イリスはそれを知っているかのようだった。

「……殿下のお心は、私には理解できません」
「理解しようとなさらない方が楽かもしれませんわ」
 イリスは優雅に一礼し、去っていった。
 残されたセレーネは、心の中に新たな疑念を抱え込むことになった。



 夜。
 寝室でひとり佇むセレーネの耳に、扉を叩く音が響いた。
「……入れ」
 低い声とともに、レオニスが姿を現す。

「殿下……?」
「体調はどうだ」
「ええ……少しは回復いたしました」

 彼は何も言わず、窓際に立って月を見上げる。
 長い沈黙。
 やがて低く、しかし確かに熱を帯びた声が落とされた。

「……お前は俺の妃だ。誰にも触れさせはしない」

 胸が震える。
 本命が別にいるはずなのに——なぜ、ここまで独占するのか。

「殿下……私は……」
 言葉が続かない。
 涙が滲みそうになるのを必死でこらえ、セレーネは唇を噛みしめた。

 そのとき、彼が振り返り、わずかに微笑を浮かべた。
 それは仮面のように儚い笑みだった。

「……安心しろ。お前の務めは果たされている」

 再び冷たい声に覆われる。
 仮面を被った嫉妬。
 矛盾の中に隠された真実を、セレーネはまだ掴めずにいた。



 夜が更け、月光が差し込む寝室で、彼女はひとり涙を流した。
 嫉妬に揺れる彼の瞳が忘れられない。
 けれど、その嫉妬すら「仮面」に覆われている。

「殿下……本当に、好きな人は別にいるのですか……?」

 答えはやはり返ってこないまま、夜が静かに更けていった。
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