貴方が私を嫌う理由

柴田はつみ

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第十章 破滅を呼ぶ救済と、歪んだ愛情

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クリス公爵が侯爵家への介入を強め始めたことで、リリーの胸には、はっきりとした危機感が芽生えていた。

公爵家から派遣された顧問たちは、侯爵家の資産状況を徹底的に洗い出し、帳簿や契約書の一つひとつを精査している。
その動きと比例するように、カイル侯爵の決裁権は次々と制限され、実質的な権限は削がれつつあった。

――これは、単なる経営介入ではない。

リリーは直感した。
クリスの真の目的は、侯爵家を掌握することではなく、カイル侯爵そのものを、侯爵位から排除することにある。

(クリストファー様は……カイル様が私を苦しめていると信じて、私を救い出そうとしているのね)

だが、その善意は、あまりにも危うい。

(もし公爵の権限で侯爵位を剥奪すれば、社交界は黙っていない。
それは、クリストファー様ご自身の立場をも危うくする……)

リリーは、これ以上の介入を、何としてでも止めなければならないと悟った。
彼女にとって最優先すべきものは、クリスが伯爵令嬢と歩む、清らかな未来だった。

そのために、彼女は密かに動いた。

長年、侯爵家の裏表を知る古参の弁護士を呼び出し、クリス公爵の計画の全貌を探らせたのだ。

弁護士は、声を潜めて告げた。

「……奥様。クリストファー様は、侯爵家に対する債権を盾に、過去の“公金横領疑惑”を蒸し返すおつもりです。
それを理由に、侯爵位の剥奪を――」

リリーの血の気が引いた。

「奥様を“未亡人”として保護し、公爵家の庇護下に置く。
それが、クリストファー様の最終目的かと」

それは、愛ではなかった。
哀れみと後悔、そして過去の想いが暴走した、歪んだ救済だった。



クリスを止めるには、ただ一つしかない。

――自分とカイルの間には、誰も介入できないほどの絆がある
そう、クリスに信じ込ませること。

リリーは決意し、カイルの私室へ向かった。

室内は荒れていた。
書類は机から溢れ、カイルは椅子に深く腰を落としたまま、疲弊しきった表情で虚空を睨んでいる。
公爵の圧力と、そして何より、リリーの“完璧な献身”が、彼を追い詰めていた。

リリーは静かに、しかし迷いのない声で切り出した。

「カイル様。私は……貴方を愛しています」

カイルが、はっと顔を上げる。

「……何だと?」

「だからこそ、クリストファー様の横暴を、私は許しません」

彼女の声には、決意があった。

「公爵は、貴方を侯爵位から追い落とし、この家を支配しようとしています。
私は、それを阻止します。
貴方の地位を守るために、私は公爵と対峙します」

そして、静かに告げた。

「――私は、貴方の妻ですから」

それは、クリスの未来を守るための演技だった。
だが、その言葉は、カイルの心に、あまりにも違う形で届いた。

彼の顔から、憎悪が消えていく。
代わりに浮かび上がったのは、混乱と、そして――
初めて向けられた“愛”への、激しい渇望だった。

「君は……本当に、私を……」



リリーは、彼を安心させようと、一歩踏み出し、そっとその手を取った。

「貴方は、私を嫌っていると仰いましたね。
私もまた、長年の冷遇に、深く傷ついてきました」

視線を逸らさず、続ける。

「ですが今、この家と、貴方の立場が危機に瀕しています。
私は――貴方と共に立ち向かいます」

その言葉は、カイルの心の中で、致命的な形へと変質した。

(そうか……リリアーヌは、私を愛していたのだ)
(冷たかったのは、愛ゆえの反抗だった)
(そして今、クリスの介入を見て、彼女は私を選んだ……!)

歓喜と、クリスへの激しい怒りが、彼の中で渦を巻いた。

カイルは、リリーの手を強く握り、顔を近づける。
その瞳には、愛と、それを歪めた所有欲が宿っていた。

「私は、君を憎んでなどいなかった……!
君の完璧さに、そして、君がクリスを愛しているという事実に、嫉妬していただけだ!」

声が震える。

「だが、君は私を選んだ。
もう二度と、誰にも君を奪わせない……!」

カイルは、リリーの言葉を完全に、
『リリーはクリスへの愛を断ち切り、カイルを選んだ』
という結論へと結びつけてしまった。

この日、リリーの献身的な「救済」は、
一人の男の歪んだ愛を決定的なものにし、
もう一人の男への、激しい対抗心と憎悪を再燃させた。

彼女の“演技”は、
二人の男の誤解を深め、
運命を、より危険な方向へと押し流してしまったのだった。




愛と善意は、ときに最も残酷な誤解を生む。
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