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第十四章 過去の疑惑と、侯爵の秘密
しおりを挟むクリス公爵の婚約発表によって、
リリーは「彼の未来を守る」という目的は果たされたと判断した。
だが、その代償として、
カイルの監視と独占欲は、日に日に強まり、
彼女の精神を静かに、しかし確実に圧迫していた。
――このままでは、壊れてしまう。
リリーは、自らを解放するため、
カイルの過去に潜む不正の証拠を探すことに、より深く身を投じた。
侯爵邸の執務室は、日中は厳重に監視されている。
だが、夜――
カイルが深い眠りに落ちた後だけは、
わずかな隙が生まれる。
リリーはその時間を選び、
音を殺して執務室へと忍び込んだ。
彼女が探しているのは、
かつてクリスがカイル排除のために掴もうとした
**「公金横領」**に関わる、会計上の不審な記録。
重要な書類は、金庫か、
あるいは、もっと私的な隠し場所にあるはずだ。
リリーは、執務机を見つめ、
その古い構造に潜む“癖”を思い出した。
長年この家に仕えてきた者だからこそ気づける、
わずかな歪みと、不自然な厚み。
夜の闇の中、
燭台のかすかな明かりを頼りに、
彼女は細い金具を使い、
引き出しの底板の隙間に、慎重に指先を滑り込ませた。
――カチリ。
小さな金属音とともに、
底板が、わずかに傾いた。
同時に、壁時計が荘厳な音で、深夜二時を告げる。
その下に現れたのは、
古びた革製の封筒だった。
リリーは、息を殺しながら、それを取り出す。
中には、会計簿の切れ端、古い債務契約書、
そして――数通の手紙。
会計記録ではなかった。
だが、彼女の視線は、自然と手紙へと引き寄せられた。
それは、カイルの筆跡ではない。
女性のものだった。
流麗でありながら、切実な感情を抑え込んだ文字。
リリーは、一通目を開いた。
「カイル様。
あなたは、私の愛を裏切りました。
なぜ、あの女――リリーと結婚するのですか。
私たちの約束は、嘘だったのですか」
胸が、きゅっと締めつけられる。
次の手紙。
「あなたが私を捨て、あの女を選んだ理由が、
侯爵家の財政のためだと知っています。
それでも私は、あなたを憎みます。
あなたには、生涯、真実の愛から遠ざかってほしい」
リリーは、息を呑んだ。
――この手紙の主は、
かつてカイルが愛し、
侯爵家のために「切り捨てた」女性。
そして、最後の一文が、
彼女の心臓を、容赦なく射抜いた。
「あなたが、彼女――リリーを憎み、
永遠に不幸にすることで、
私もまた、救われます」
世界が、一瞬、静止した。
リリーは、愕然と立ち尽くした。
カイルが自分を憎む理由は、
自分がクリスを愛しているからだ――
そう、長年信じてきた。
だが、この手紙は、
まったく別の可能性を突きつけている。
――彼の憎悪は、
自分のせいではなかった。
カイルは、愛する女性を捨て、
侯爵家のために、リリーと結婚した。
そして、捨てられた女性は、
**「リリーを不幸にすることで救われる」**と願った。
もし、カイルがリリーを冷遇し、憎み続けてきたのが、
その願いを叶えるためだったとしたら――
彼は、自らの裏切りの罪を、
リリーを犠牲にすることで償ってきたのではないか。
(……私は、
愛されなかったのではない)
(最初から、
罰として使われていただけだった)
長年にわたる憎悪と冷遇の裏に潜んでいた、
あまりにも個人的で、身勝手な理由。
その事実は、
リリーの心を激しく揺さぶった。
この手紙は、
カイルの支配から解放されるための、
そして――
クリス公爵の誤解を解くための、
最も強力な鍵になるかもしれない。
だが同時に。
カイルの憎悪が、
自分とクリスの愛とは無関係だったという事実は、
リリー自身が、
これまで縋ってきた心の拠り所さえも、
静かに崩していった。
彼女は、
真実という名の刃を胸に抱えたまま、
その場に、動けずに立ち尽くしていた。
愛だと信じて耐えてきた時間が、実は誰かの罪と後悔の上に成り立っていたと知ったとき、彼女の恋は静かに行き場を失っていきます。
それでも彼女は、誰かを守ろうとした――その選択だけは、決して嘘ではありませんでした。
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