貴方が私を嫌う理由

柴田はつみ

文字の大きさ
22 / 28

第二十二章 狂乱の終焉と、崩れ落ちた偶像

しおりを挟む
「……アメリアとの婚約を解消した、だと? 嘘だ、そんなはずがない!」

壁際で這いつくばっていたカイルが、耳を疑うような叫び声を上げた。彼にとってクリス公爵は、自分からすべてを奪う“光”の象徴であり、その光が地位を捨ててまでリリーを選ぶなど、到底受け入れられる事実ではなかった。

「私は認めない……お前たちが幸せになることだけは、断じて認めない!」

近くの燭台を掴んだカイルは、よろめく足取りのままリリーへと振り下ろそうとする。だがその動きは鈍く、絶望に沈んだ心情をそのまま映し出していた。

クリスはリリーを背後へかばい、冷ややかな力でカイルの手首を掴み上げる。

「無意味だ、カイル。お前が執着していたのはリリアーヌではない。自分の罪から目を逸らすための“鏡”を求めていただけだ」

その言葉は、カイルの心の最深部を容赦なく射抜いた。彼の力は抜け、糸の切れた人形のようにその場へ崩れ落ちる。

その時、地下室へ続く階段から、大勢の足音が響いた。

「ここまでだ、ハワード侯爵!」

現れたのは、クリスが事前に手配していた王宮近衛騎士団と司法官たちだった。エリアナの証言と、クリスが独自に集めた公金横領の予備証拠により、逮捕状が執行される。

「カイル・ヴァン・ハワード。公金横領および夫人への不当拘束の容疑により、同行してもらう」

両脇を抱えられ、引き立てられていくカイル。抵抗する力も残っていない。彼は、クリスの腕の中で泣き崩れるリリーを、呪うようでありながら縋るような、虚ろな眼差しで見つめた。

「リリアーヌ……お前は……私の、唯一の……」

途切れた声は、冷たい地下室の空気に溶けて消える。侯爵家の権威と、歪んだ誇りは、ここに完全な崩壊を迎えた。

騎士団がカイルを連れ去り、地下室にはクリスとリリー、そして深い静寂だけが残された。

リリーは足首の鎖を見つめる。――本当に自分は自由になれたのだろうか。長い間、クリスを守るため、カイルの罪を背負うために、自らを縛り続けてきたのだ。

クリスは静かに跪き、軍刀の柄で錠前を叩き割る。

「重かっただろう、リリアーヌ」

「……どうして、そこまでしてくださるのですか。私はあなたを何度も傷つけ、突き放してきたのに。私の言葉は、すべてあなたへの毒だったのに……」

リリーの涙が、彼の汚れひとつなかった軍服を濡らしてゆく。その様子に胸が締めつけられる。

クリスは彼女を抱き上げ、階段へと歩き出した。

「毒であろうと何であろうと、それは君が私に向けてくれた言葉だ。私はすべて受け止めて生きる。君が自分を殺してまで守ろうとした“私の名誉”など、君の涙一粒ほどの価値もない」

地下室を抜け、侯爵邸の玄関へ辿り着くと、東の空から青白い暁光が差し込み始めていた。

リリーは眩しさに目を細める。冷たい仮面の“完璧な妻”として闇の中を生きてきた彼女にとって、その光はあまりにも鮮烈で、痛いほどにまぶしかった。

「これからは、もう演じる必要はない。君は君のままで――私の隣で、笑えばいい」

胸に響くクリスの力強い心音を感じながら、リリーは生まれて初めて、恐怖でも贖罪でもない、純粋な“希望”という感情に触れた気がした。

しかし、「公爵の婚約破棄」と「侯爵の逮捕」という大スキャンダルは、王都全土を揺るがすことになる。――二人には、なお新たな戦場、社交界という修羅場が待ち受けていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王の影姫は真実を言えない

柴田はつみ
恋愛
社交界で“国王の妾”と陰口を叩かれる謎の公爵夫人リュミエール。彼女は王命により、絶世の美貌を誇る英雄アラン公爵の妻となったが、その結婚は「公爵が哀れ」「妻は汚名の女」と同情と嘲笑の的だった。 けれど真実は――リュミエールは国王シオンの“妾”ではなく、異母妹。王家の血筋を巡る闇と政争から守るため、彼女は真実を口にできない。夫アランにさえ、打ち明ければ彼を巻き込んでしまうから。 一方アランもまた、王命と王宮の思惑の中で彼女を守るため、あえて距離を取り冷たく振る舞う。

沈黙の指輪 ―公爵令嬢の恋慕―

柴田はつみ
恋愛
公爵家の令嬢シャルロッテは、政略結婚で財閥御曹司カリウスと結ばれた。 最初は形式だけの結婚だったが、優しく包み込むような夫の愛情に、彼女の心は次第に解けていく。 しかし、蜜月のあと訪れたのは小さな誤解の連鎖だった。 カリウスの秘書との噂、消えた指輪、隠された手紙――そして「君を幸せにできない」という冷たい言葉。 離婚届の上に、涙が落ちる。 それでもシャルロッテは信じたい。 あの日、薔薇の庭で誓った“永遠”を。 すれ違いと沈黙の夜を越えて、二人の愛はもう一度咲くのだろうか。

二年間の花嫁

柴田はつみ
恋愛
名門公爵家との政略結婚――それは、彼にとっても、私にとっても期間限定の約束だった。 公爵アランにはすでに将来を誓い合った女性がいる。私はただ、その日までの“仮の妻”でしかない。 二年後、契約が終われば彼の元を去らなければならないと分かっていた。 それでも構わなかった。 たとえ短い時間でも、ずっと想い続けてきた彼のそばにいられるなら――。 けれど、私の知らないところで、アランは密かに策略を巡らせていた。 この結婚は、ただの義務でも慈悲でもない。 彼にとっても、私を手放すつもりなど初めからなかったのだ。 やがて二人の距離は少しずつ近づき、契約という鎖が、甘く熱い絆へと変わっていく。 期限が迫る中、真実の愛がすべてを覆す。 ――これは、嘘から始まった恋が、永遠へと変わる物語。

「二年だけの公爵夫人~奪い合う愛と偽りの契約~」二年間の花嫁 パラレルワールド

柴田はつみ
恋愛
二年だけの契約結婚―― その相手は、幼い頃から密かに想い続けた公爵アラン。 だが、彼には将来を誓い合った相手がいる。 私はただの“かりそめの妻”にすぎず、期限が来れば静かに去る運命。 それでもいい。ただ、少しの間だけでも彼のそばにいたい――そう思っていた。 けれど、現実は甘くなかった。 社交界では意地悪な貴婦人たちが舞踏会やお茶会で私を嘲笑い、 アランを狙う身分の低い令嬢が巧妙な罠を仕掛けてくる。 さらに――アランが密かに想っていると噂される未亡人。 彼女はアランの親友の妻でありながら、彼を誘惑することをやめない。 優雅な微笑みの裏で仕掛けられる、巧みな誘惑作戦。 そしてもう一人。 血のつながらない義兄が、私を愛していると告げてきた。 その視線は、兄としてではなく、一人の男としての熱を帯びて――。 知らぬ間に始まった、アランと義兄による“奪い合い”。 だが誰も知らない。アランは、かつて街で私が貧しい子にパンを差し出す姿を見て、一目惚れしていたことを。 この結婚も、その出会いから始まった彼の策略だったことを。 愛と誤解、嫉妬と執着が交錯する二年間。 契約の終わりに待つのは別れか、それとも――。

推しの幸せが私の願い(のはず)! ~勘違い令嬢は、伯爵様の「溺愛」に気づかない~

柴田はつみ
恋愛
事故で命を落としたオタク女子が転生したのは、生前に愛読していたファンタジー小説の世界。そして彼女が生まれ変わったのは――最推しキャラ・アルフレッド伯爵の幼馴染である、公爵令嬢エルセだった。 「推しが、生きてる……動いてる……尊い……!」 感激に震えるエルセだったが、アルフレッドの視線の先には、いつも別の令嬢・カトレアの姿がある。 「そうか……彼は彼女が好きなんだ。推しの恋を応援するのが、ファンの使命だよね!」 そう決意したエルセは、身を引くために婚約破棄を企てたり、言い寄ってくる第一王子・リュカとの縁談を進めようとする。 しかし――真実はまるで違っていた。 アルフレッドがカトレアを見ていたのは、「エルセへの贈り物」を相談していただけ。彼の本命は、最初から最後まで、エルセただひとり。 エルセが遠ざかろうとすればするほど、アルフレッドの独占欲と執着は加速していく。 「どうして僕から逃げるの、エルセ?」 「……だって、あなたはカトレア様が好きなんでしょう……!(涙)」 すれ違い続ける想い、噛み合わないまま高まっていく切なさ―― 勘違いから始まる、拗れ甘いラブストーリー

月夜に散る白百合は、君を想う

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。 彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。 しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。 一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。 家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。 しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。 偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。

陛下を捨てた理由

甘糖むい
恋愛
美しく才能あふれる侯爵令嬢ジェニエルは、幼い頃から王子セオドールの婚約者として約束され、完璧な王妃教育を受けてきた。20歳で結婚した二人だったが、3年経っても子供に恵まれず、彼女には「問題がある」という噂が広がりはじめる始末。 そんな中、セオドールが「オリヴィア」という女性を王宮に連れてきたことで、夫婦の関係は一変し始める。 ※改定、追加や修正を予告なくする場合がございます。ご了承ください。

硝子の婚約と偽りの戴冠

柴田はつみ
恋愛
幼い頃から、第一王女アリアと隣国の王子レオンは、誰もが疑わない「未来の国王夫妻」として育てられてきた。 政略で結ばれた関係でありながら、二人の間には確かな絆があった。幼馴染として共に過ごした年月の中で、アリアは感情を表に出さないながらも、レオンをただ一人、深く愛していた。 すべてが順調に進んでいるはずだった。 戴冠式と成婚を目前に控えた、その日までは。 歯車が狂い始めたのは、妹のセシルが涙に濡れた顔で、突然アリアの元へ駆け込んできた夜だった。 震える声で語られたのは、信じ難い言葉―― 「……レオン様に、愛を告白されたの」 アリアは即座に否定した。信じるはずがない。あのレオンが、そんな裏切りをするはずがないと。 だが、その確信は、夜の庭園で無惨に打ち砕かれる。 月明かりの下。 レオンは、確かにセシルを抱き寄せていた。 後に明らかになる真実は、あまりにも残酷だった。 姉に対する劣等感を長年募らせてきたセシルが仕掛けた、周到な罠。そして――レオンが決して知られてはならない「ある弱み」を、彼女が握っていたという事実。 それは、愛ではなかった。 だが、アリアの未来を根こそぎ奪うには、十分すぎる裏切りだった。

処理中です...