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第11章 王妃の隠れ家
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修道院の鐘が、夜の森に響いていた。
春が終わりを告げ、風は少し冷たい。
王妃リディアは薄い外套を羽織り、石造りの回廊を歩いていた。
ここに来て三日。
静かな祈りと、無言の時間だけが流れている。
王宮での日々が、夢だったように思えた。
けれど夢のあとには、確かに痛みが残っていた。
(――これでいい。私はもう王妃ではなく、ただの一人の女で)
自分にそう言い聞かせながらも、心のどこかでアレクシスの名を呼んでしまう。
そのたび、胸の奥が締めつけられた。
遠くで馬の嘶きが聞こえた。
夜更けにこんな音がするのは珍しい。
修道女が慌てて駆け寄ってくる。
「王妃様! 門の外に、怪しい影が……」
リディアはためらわず外へ出た。
風が木々を揺らし、月が雲間からのぞく。
修道院の門前、黒い外套の男たちが三人――。
どうやら、近くの盗賊らしかった。
「門を開けろ、金はあるだろう!」
低い声が響く。
修道女たちが怯え、後ずさる。
その時――。
風を裂くように、馬の蹄音が響いた。
黒い外套の影が一つ、駆け抜ける。
長剣が月光を受けて閃き、賊たちはたちまち逃げ去った。
その男は、馬を降りてフードを外す。
灰色の瞳。
静かな怒りを秘めた、凛とした顔立ち。
「……お怪我はありませんか、王妃殿下」
リディアは息を呑んだ。
「あなたは……?」
「カイル・エルバーン。かつて、陛下の近衛におりました」
名前を聞いて、記憶が微かに甦る。
まだ王妃教育を受けていた頃、遠くから見守ってくれていた若い騎士の姿。
“誠実な瞳”を持つ人。
「あなたが……どうしてここに?」
「任を解かれたあと、この修道院の護衛として務めています」
カイルは深く頭を下げた。
「今宵は、偶然にも門の異変を見て――。お守りできて何よりです」
リディアは小さく微笑んだ。
「ありがとう。……あなたが来てくださらなければ、どうなっていたか」
その声は静かに震えていた。
風が吹き、二人の髪を揺らす。
月明かりの下、カイルはリディアの手を取ることもなく、ただ深く頭を下げた。
「あなたを守ることが、私に残された最後の務めです」
その言葉が胸に刺さった。
“守る”という響きが、なぜこんなにも温かく、そして痛いのだろう。
数日が過ぎた。
カイルは修道院の警護の合間に、さりげなくリディアを見守っていた。
朝は庭で祈る彼女の背を。
夜は灯の消えた部屋の窓を。
それだけで十分だった。
彼女は王妃であり、自分は元騎士。
けれどその境界の向こうで、心だけが少しずつ近づいていく。
ある夜、雨が降った。
修道院の屋根を打つ音が響き、リディアの部屋の灯が消えた。
カイルは巡回の途中で、窓が開け放たれているのに気づく。
中をのぞくと、リディアが窓辺に座っていた。
白い寝衣に包まれた肩が小刻みに震えている。
「リディア様……風邪を召します」
彼はためらいながら声をかけた。
振り向いた彼女の頬には、涙の跡が光っていた。
「……ごめんなさい。眠れなくて」
「陛下のことを?」
問うと、彼女は小さく頷いた。
「忘れたいのに、忘れられないのです。
どんなに遠くへ来ても、あの人の声が、心の中で消えなくて……」
その言葉に、カイルの胸が軋む。
彼は一歩近づき、けれどその先へは進めなかった。
「……それでも、あなたは生きておられる。
愛したことを恥じる必要はありません」
リディアはかすかに笑った。
「あなたは優しい方ね」
「優しさではありません。……あなたが泣くのが、見ていられないだけです」
沈黙が流れた。
雨音だけが、ふたりの間を満たしている。
「ねぇ、カイル。
もし、あなたが私の夫だったなら……
こんなふうに、私を泣かせませんでしたか?」
カイルの肩が震えた。
答えを出せば、すべてが壊れるとわかっていた。
それでも――。
「泣かせません。たとえ、どんなことがあっても」
その言葉が、静かに夜に落ちた。
リディアが顔を上げたとき、瞳の奥で光が揺れていた。
けれど次の瞬間、彼女は首を振った。
「……ごめんなさい。そんなことを言わせてしまって」
彼女の涙を見て、カイルはそっと近づいた。
そして、言葉の代わりに――彼女を抱き寄せた。
何も求めず、何も奪わず、ただ包み込むように。
「あなたを泣かせる男には、なりたくない」
低い声が、彼女の耳元で震えた。
その腕の中で、リディアはそっと目を閉じた。
涙は止まらなかったが、不思議と温かかった。
やがて、二人は離れた。
カイルの指先が彼女の髪を掠める。
それ以上の言葉はなかった。
ただ――その夜、リディアは久しぶりに深い眠りについた。
春が終わりを告げ、風は少し冷たい。
王妃リディアは薄い外套を羽織り、石造りの回廊を歩いていた。
ここに来て三日。
静かな祈りと、無言の時間だけが流れている。
王宮での日々が、夢だったように思えた。
けれど夢のあとには、確かに痛みが残っていた。
(――これでいい。私はもう王妃ではなく、ただの一人の女で)
自分にそう言い聞かせながらも、心のどこかでアレクシスの名を呼んでしまう。
そのたび、胸の奥が締めつけられた。
遠くで馬の嘶きが聞こえた。
夜更けにこんな音がするのは珍しい。
修道女が慌てて駆け寄ってくる。
「王妃様! 門の外に、怪しい影が……」
リディアはためらわず外へ出た。
風が木々を揺らし、月が雲間からのぞく。
修道院の門前、黒い外套の男たちが三人――。
どうやら、近くの盗賊らしかった。
「門を開けろ、金はあるだろう!」
低い声が響く。
修道女たちが怯え、後ずさる。
その時――。
風を裂くように、馬の蹄音が響いた。
黒い外套の影が一つ、駆け抜ける。
長剣が月光を受けて閃き、賊たちはたちまち逃げ去った。
その男は、馬を降りてフードを外す。
灰色の瞳。
静かな怒りを秘めた、凛とした顔立ち。
「……お怪我はありませんか、王妃殿下」
リディアは息を呑んだ。
「あなたは……?」
「カイル・エルバーン。かつて、陛下の近衛におりました」
名前を聞いて、記憶が微かに甦る。
まだ王妃教育を受けていた頃、遠くから見守ってくれていた若い騎士の姿。
“誠実な瞳”を持つ人。
「あなたが……どうしてここに?」
「任を解かれたあと、この修道院の護衛として務めています」
カイルは深く頭を下げた。
「今宵は、偶然にも門の異変を見て――。お守りできて何よりです」
リディアは小さく微笑んだ。
「ありがとう。……あなたが来てくださらなければ、どうなっていたか」
その声は静かに震えていた。
風が吹き、二人の髪を揺らす。
月明かりの下、カイルはリディアの手を取ることもなく、ただ深く頭を下げた。
「あなたを守ることが、私に残された最後の務めです」
その言葉が胸に刺さった。
“守る”という響きが、なぜこんなにも温かく、そして痛いのだろう。
数日が過ぎた。
カイルは修道院の警護の合間に、さりげなくリディアを見守っていた。
朝は庭で祈る彼女の背を。
夜は灯の消えた部屋の窓を。
それだけで十分だった。
彼女は王妃であり、自分は元騎士。
けれどその境界の向こうで、心だけが少しずつ近づいていく。
ある夜、雨が降った。
修道院の屋根を打つ音が響き、リディアの部屋の灯が消えた。
カイルは巡回の途中で、窓が開け放たれているのに気づく。
中をのぞくと、リディアが窓辺に座っていた。
白い寝衣に包まれた肩が小刻みに震えている。
「リディア様……風邪を召します」
彼はためらいながら声をかけた。
振り向いた彼女の頬には、涙の跡が光っていた。
「……ごめんなさい。眠れなくて」
「陛下のことを?」
問うと、彼女は小さく頷いた。
「忘れたいのに、忘れられないのです。
どんなに遠くへ来ても、あの人の声が、心の中で消えなくて……」
その言葉に、カイルの胸が軋む。
彼は一歩近づき、けれどその先へは進めなかった。
「……それでも、あなたは生きておられる。
愛したことを恥じる必要はありません」
リディアはかすかに笑った。
「あなたは優しい方ね」
「優しさではありません。……あなたが泣くのが、見ていられないだけです」
沈黙が流れた。
雨音だけが、ふたりの間を満たしている。
「ねぇ、カイル。
もし、あなたが私の夫だったなら……
こんなふうに、私を泣かせませんでしたか?」
カイルの肩が震えた。
答えを出せば、すべてが壊れるとわかっていた。
それでも――。
「泣かせません。たとえ、どんなことがあっても」
その言葉が、静かに夜に落ちた。
リディアが顔を上げたとき、瞳の奥で光が揺れていた。
けれど次の瞬間、彼女は首を振った。
「……ごめんなさい。そんなことを言わせてしまって」
彼女の涙を見て、カイルはそっと近づいた。
そして、言葉の代わりに――彼女を抱き寄せた。
何も求めず、何も奪わず、ただ包み込むように。
「あなたを泣かせる男には、なりたくない」
低い声が、彼女の耳元で震えた。
その腕の中で、リディアはそっと目を閉じた。
涙は止まらなかったが、不思議と温かかった。
やがて、二人は離れた。
カイルの指先が彼女の髪を掠める。
それ以上の言葉はなかった。
ただ――その夜、リディアは久しぶりに深い眠りについた。
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