婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ

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第41章|公開の場へ

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 王宮が本気で“裁く”と決めた時、空気が変わる。

 噂の温度が下がり、言葉が硬くなる。
 誰もが「正しい側」に立つ準備を始めるからだ。

 ミレイユ王女は、朝の回廊を歩きながら、その変化を肌で感じていた。
 香水の匂いが薄い。笑い声が短い。
 視線が、扇の陰で忙しく動いている。

(……皆、今日が“公開”になると知っている)

 大広間での王宮裁定――それは単なる処罰ではない。
 王宮が“どの物語を採用するか”を決める儀式だ。

 扉が開く。国王の執務室。

 国王オルディスは机の前に座し、書類に目を落としていた。
 王妃エリシアは少し離れた位置で、静かに立っている。
 そして近衛隊長ガイルが壁際に控え、室内の呼吸を整えていた。

「ミレイユ」

 国王が顔を上げる。
 その目は王の目だ。感情より先に、国の形を測る目。

「準備は」

「整えます、陛下」

 ミレイユは膝を折り、すぐに立った。
 今日の自分に必要なのは儀礼ではない。速さと精度だ。

 国王の机の上には、裁定の進行表があった。

・聖女候補リディアに関わる“慈善金”の監査報告
・祈祷室の当番記録の差し替え疑惑
・光写し(写し絵)使用の許可と刻印の照合
・近衛の拘束した実働の所属照会

 言葉にすれば整然としている。
 だが、これは“火種の束”だ。

 王妃が小さく息を吐いた。

「ここまで出すなら、相手は引かないわ」

「引かせません」

 ミレイユは即答した。
 引かせる、ではない。引けない形にする。

 国王が低く言う。

「民の目がある。貴族の目もある。教会の目もある。
 王宮が“聖女”を潰したと受け取られれば、火は王宮を焼く」

 その言葉が、ミレイユの背筋を冷たくした。

(焼かれるのは、いつだって“正しい者”だ)

 だからミレイユは、最初から決めていた。
 今日の裁定は“罰”の場ではない。
 “王宮は噂では裁かない”と宣言する場だ。

「陛下。裁定の前に、私から“短い布告”を出します」

 国王の眉が僅かに動く。

「布告?」

 ミレイユは頷いた。

「王女区域の名で、王宮の侍女・近衛・下働きへ。
 ――『王宮は噂では裁かない。記録と規律で裁く』
 そして『今後、聖女候補を盾にした私刑的な断罪を禁ずる』」

 ガイルが小さく息を呑んだ。
 王女の言葉が、刃になると理解したのだ。

 国王は数秒沈黙した。
 計算。損益。火の向き。

「……よい。だが、名指しはするな」

「もちろん。名指しは“相手の望み”です」

 ミレイユは微笑んだ。扇の陰で。

 リディア側は、王宮が自分たちを迫害した形を欲しがる。
 だから名指しはしない。
 代わりに、空気を変える。

 王妃が静かに言う。

「セシリアは……耐えられるかしら」

 その問いに、ミレイユの胸が小さく痛んだ。

 あの侍女の灰青の瞳。
 泣かないために息を止める癖。
 “働く”ことで立つ子。

「耐えます。……折れない子です」

 折れないからこそ、相手は折りに来る。
 ミレイユは視線をガイルへ向けた。

「ガイル。大広間の動線は二重。
 教会の随行は“見張られている”と分かる配置にして。
 それから、光写しの提示は――観客席から距離を取る。改竄を疑われる余地を潰すわ」

「承知しました、王女殿下」

 ガイルの返答は硬い。
 硬いほど、危険の匂いがする。

 ミレイユは机の端の小さな封筒を見た。
 古文書管理官エマからの照合結果――刻印と封蝋の一致報告だ。

「エマは?」

 国王が言う前に、ミレイユが聞いた。

 王妃が答える。

「控室に。緊張で顔色が悪いわ。
 でも、彼女の照合がなければ“写し絵”はただの絵になる」

 ミレイユは頷く。

(記録係は、いつも最後に勝つ)

 記録は遅い。
 でも残る。

 ミレイユは扉へ向かいながら、最後に国王へ言った。

「陛下。今日の裁定は、セシリアの名誉回復だけではありません」

「分かっている」

「王宮が“噂の王宮”ではないと示す日です。
 誰かが泣いたから正義、ではなく。
 誰かが弱いから悪、でもなく」

 国王の目が、ほんの僅かに柔らかくなった。

「……よく見ているな、ミレイユ」

 褒め言葉ではない。
 覚悟の確認だ。

 ミレイユは微笑んだ。

「王宮の火は、見ないと燃えます」



 控室で、古文書管理官エマは手袋をはめた指で紙片を押さえていた。
 刻印。封蝋の跡。筆跡。
 小さな違いが、今日の“勝敗”を決める。

「王女殿下……これで、本当に」

 エマの声は震えていた。

 ミレイユは扇を閉じ、静かに言った。

「これで“土台”はできる。
 今日、完全に勝たなくていい。――負けない土台が必要なの」

「土台……」

「そう。民は明日も生きる。
 一晩で物語は変えられない。
 だから今日、王宮が“噂より記録を信じる”側に立つと示す」

 エマは小さく頷いた。
 その頷きが、震えている。

 ミレイユは言葉を柔らかくした。

「怖がらないで。あなたの仕事は美しい。
 派手な涙より、ずっと」

 エマの目が潤んだ。

「……ありがとうございます」

 ミレイユは頷き、扉の外へ視線を向けた。

 大広間の準備が進んでいる。
 椅子が並ぶ音。槍の柄が床を打つ音。
 王宮が“公開”を作る音。

(さあ、表へ)

 ミレイユは心の中で呟いた。

 セシリアの名誉回復のための土台は、もう作った。
 あとは、王宮が“どの物語を採用するか”を決めるだけだ。

 そして――それを許さない影が、必ず動く。

 王宮裁定の準備が整うほど、黒幕は追い詰められる。
 追い詰められた者ほど、強行に出る。

 ミレイユは扇を開き、静かに歩き出した。

 公開の場へ。
 火を、正しい方向へ流すため
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