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番外編 雨上がりの告白 ──ミレーユ視点
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舞踏会の夜、ミレーユ・ローランは窓辺に立っていた。
雨上がりの夜風が、薄く香水の匂いを運んでくる。
胸元に飾られた白薔薇は、もう色を失いかけていた。
ホールの向こうでは、人々の笑い声。
新しい婚約の報せが社交界に広まっていた。
グレイフォード公爵と、エルフォード令嬢——
誰もが祝福の言葉を口にしている。
ミレーユは、グラスの中のワインをゆっくりと回した。
光が揺れ、記憶が滲む。
(やっぱり、あの方の隣に似合うのは——彼女だったのね)
思い出す。
初めてアーヴィンに出会った日のこと。
冷たく見えた瞳が、ふと柔らかく笑った瞬間。
その一瞬の優しさに、心が奪われた。
けれど気づいていた。
彼が誰を見ていたのかも。
お茶会のとき、アーヴィンがリディアを見る眼差し。
それは“友人”のものではなかった。
——それでも、好きになってしまった。
負けたくなかった。
穏やかで静かな令嬢より、自分の方が彼を笑わせられると思っていた。
けれど、どれほど話しても、どれほど微笑んでも、
彼の心の奥にある影は晴れなかった。
あの人の世界に、ずっと“リディア”という光が差していたのだ。
廊下の奥、控室の扉が開く音がした。
振り向くと、そこに立っていたのは——リディアだった。
白いドレスの裾を少し濡らしながら、彼女は静かに微笑んだ。
「ミレーユ様。……お話し、よろしいでしょうか」
その声は柔らかかった。
責める気配も、誇る気配もない。
ただ、まっすぐに向き合う人の声。
ミレーユは小さく息を呑み、微笑み返した。
「ええ。おめでとうございますわ、リディア様。
——とてもお似合いの方ね」
「ありがとうございます」
リディアは少しの沈黙のあと、そっと言葉を継いだ。
「ミレーユ様。あのとき……わたくし、本当は少し羨ましかったのです」
「……羨ましい? わたくしが?」
「ええ。あなたのように、素直に笑って、心のままに動ける方を。
わたしにはそれができませんでした。
だから、もしあの時あなたが彼の傍にいたなら、
きっと彼はもっと早く笑っていたかもしれません」
その言葉に、ミレーユは目を見張った。
彼女の胸の奥で、何かがふっと緩む。
「あなたって、本当に……優しいのね」
「いいえ。弱いだけですわ」
リディアの笑顔が、雨上がりの光のように淡かった。
その笑顔を見て、ミレーユはようやく心から笑った。
「なら、わたくしも少しだけ、強くなったのかもしれません。
だって今、悔しいけれど——祝福したいと思えるから」
リディアが目を潤ませ、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、ミレーユ様」
その瞬間、窓の外から風が吹き込む。
雨雲がすっかり消え、夜空に月が浮かんでいた。
ミレーユはグラスを置き、リディアの手をそっと握った。
「あなたは幸せになってね。
わたくしも……いつか、本当の意味で誰かを愛せるように努力するわ」
「きっと、なれますわ」
二人は微笑み合った。
そして、まるで何かを解き放つように——
同時に、ほっと息を吐いた。
夜が更け、舞踏会の灯がひとつずつ消えていく。
ミレーユは馬車に乗り込み、窓から空を見上げた。
雲間に浮かぶ月が、ゆっくりと動いていく。
(恋って、奪うものじゃなく、手放して知るものなのね)
その思いが胸に広がる。
彼女はそっと微笑み、囁いた。
「アーヴィン様、幸せになってくださいね」
その声は、もう涙ではなかった。
風が夜の街を抜け、香りがかすかに流れる。
——紅茶のように、やさしく、静かに。
後日談メモ
・ミレーユはのちに、外交官の次男と結婚。
旅先で見た異国の茶葉を好み、「紅茶の外交夫人」と呼ばれるようになる。
・リディアとアーヴィンとは年に一度、茶会を開き、穏やかな友人関係を続けた。
・彼女の持つ明るさは、今度こそ誰も傷つけない“光”として、人々を癒していった。
雨上がりの夜風が、薄く香水の匂いを運んでくる。
胸元に飾られた白薔薇は、もう色を失いかけていた。
ホールの向こうでは、人々の笑い声。
新しい婚約の報せが社交界に広まっていた。
グレイフォード公爵と、エルフォード令嬢——
誰もが祝福の言葉を口にしている。
ミレーユは、グラスの中のワインをゆっくりと回した。
光が揺れ、記憶が滲む。
(やっぱり、あの方の隣に似合うのは——彼女だったのね)
思い出す。
初めてアーヴィンに出会った日のこと。
冷たく見えた瞳が、ふと柔らかく笑った瞬間。
その一瞬の優しさに、心が奪われた。
けれど気づいていた。
彼が誰を見ていたのかも。
お茶会のとき、アーヴィンがリディアを見る眼差し。
それは“友人”のものではなかった。
——それでも、好きになってしまった。
負けたくなかった。
穏やかで静かな令嬢より、自分の方が彼を笑わせられると思っていた。
けれど、どれほど話しても、どれほど微笑んでも、
彼の心の奥にある影は晴れなかった。
あの人の世界に、ずっと“リディア”という光が差していたのだ。
廊下の奥、控室の扉が開く音がした。
振り向くと、そこに立っていたのは——リディアだった。
白いドレスの裾を少し濡らしながら、彼女は静かに微笑んだ。
「ミレーユ様。……お話し、よろしいでしょうか」
その声は柔らかかった。
責める気配も、誇る気配もない。
ただ、まっすぐに向き合う人の声。
ミレーユは小さく息を呑み、微笑み返した。
「ええ。おめでとうございますわ、リディア様。
——とてもお似合いの方ね」
「ありがとうございます」
リディアは少しの沈黙のあと、そっと言葉を継いだ。
「ミレーユ様。あのとき……わたくし、本当は少し羨ましかったのです」
「……羨ましい? わたくしが?」
「ええ。あなたのように、素直に笑って、心のままに動ける方を。
わたしにはそれができませんでした。
だから、もしあの時あなたが彼の傍にいたなら、
きっと彼はもっと早く笑っていたかもしれません」
その言葉に、ミレーユは目を見張った。
彼女の胸の奥で、何かがふっと緩む。
「あなたって、本当に……優しいのね」
「いいえ。弱いだけですわ」
リディアの笑顔が、雨上がりの光のように淡かった。
その笑顔を見て、ミレーユはようやく心から笑った。
「なら、わたくしも少しだけ、強くなったのかもしれません。
だって今、悔しいけれど——祝福したいと思えるから」
リディアが目を潤ませ、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、ミレーユ様」
その瞬間、窓の外から風が吹き込む。
雨雲がすっかり消え、夜空に月が浮かんでいた。
ミレーユはグラスを置き、リディアの手をそっと握った。
「あなたは幸せになってね。
わたくしも……いつか、本当の意味で誰かを愛せるように努力するわ」
「きっと、なれますわ」
二人は微笑み合った。
そして、まるで何かを解き放つように——
同時に、ほっと息を吐いた。
夜が更け、舞踏会の灯がひとつずつ消えていく。
ミレーユは馬車に乗り込み、窓から空を見上げた。
雲間に浮かぶ月が、ゆっくりと動いていく。
(恋って、奪うものじゃなく、手放して知るものなのね)
その思いが胸に広がる。
彼女はそっと微笑み、囁いた。
「アーヴィン様、幸せになってくださいね」
その声は、もう涙ではなかった。
風が夜の街を抜け、香りがかすかに流れる。
——紅茶のように、やさしく、静かに。
後日談メモ
・ミレーユはのちに、外交官の次男と結婚。
旅先で見た異国の茶葉を好み、「紅茶の外交夫人」と呼ばれるようになる。
・リディアとアーヴィンとは年に一度、茶会を開き、穏やかな友人関係を続けた。
・彼女の持つ明るさは、今度こそ誰も傷つけない“光”として、人々を癒していった。
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