硝子の婚約と偽りの戴冠

柴田はつみ

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第九章:反撃の狼煙、あるいは覚醒の紅

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辺境の夜は、王都のそれよりも、刺すように冷たかった。

粗末な別荘の暖炉の前で、アリアは一枚の紙を見つめていた。
それは、カイルが王都に潜伏させていた伝令からもたらされたもの――
セシルとレオンの**「婚約発表」**を報じる号外の写しだった。

「……一週間後の建国祭」

アリアの声には、もはやかつての震えはない。

「そこで、すべてを終わらせるつもりね」

紙を握る指先が白く強張る。
その目には、哀しみではなく、凍りつくほど澄んだ決意が宿っていた。

「アリア様」

カイルが一歩近づき、低く進言する。

「これ以上の深追いは危険です。
セシル王女は、すでに軍の一部を掌握している様子。
今、王都へ戻れば……今度こそ、命の保証はありません」

だがアリアは、静かに首を振った。

彼女は立ち上がり、壁に掛けられた古びた鏡の前に立つ。
そこに映るのは、やつれた頬――
しかし、それ以上に、かつてないほど鋭く澄んだ瞳だった。

「カイル」

鏡越しに、彼を見据える。

「私は今まで、奪われるばかりだった。
母を、地位を……そして、愛した人の信頼さえも」

一拍、間を置いて、言い切る。

「……でも、これ以上は許さない。
妹が私の名を汚し、レオン様を欺いて玉座を穢すのを、
指をくわえて見ているつもりはないわ」

アリアは自らの漆黒の長い髪を掬い上げ、
カイルの腰に差されていた短剣を、迷いなく引き抜いた。

「アリア様……!?」

驚くカイルの前で、彼女は一房の髪を、ためらいなく切り落とす。

床に散った黒髪は、
かつての「守られるだけの王女」との、明確な決別だった。

「私を王宮へ連れて行って」

アリアは短剣をカイルに返し、その胸元にそっと手を置く。

「騎士としてではなく……
一人の男として、私の復讐に手を貸して」

カイルは息を呑み、彼女の瞳の奥を見つめた。
そこに燃えているのは、激情ではない。
静かで、消えることのない――怒りと誇りの炎。

それは、彼が一生を捧げるに値すると悟った、
真の女王の輝きだった。

「……御意」

カイルは深く膝をつく。

「この命、貴女の勝利のために捧げましょう」

そうして、アリアの手に誓いの口づけを落とす。

その瞬間――
窓の外を旋回していたセシルの伝書鷹が、
カイルの放った矢によって、音もなく夜に墜ちた。

「まずは……私がレオン様に送ったはずの
『消えた手紙』の行方を探るわ」

アリアは静かに言う。

「筆跡を偽造したのなら、必ずどこかに本物が残っている。
セシルは……勝利の証を捨てられない性格だもの」

脳裏に浮かぶのは、かつて妹が浮かべた、不気味な笑顔。

――「お姉様の筆跡、私そっくりに書けるのよ」

「反撃の準備をしましょう」

アリアは、暖炉の火を見据えた。

「建国祭の夜。
彼女が最も輝く瞬間に、その偽りの仮面を剥ぎ取ってあげる」

辺境の小さな隠れ家で、
かつてないほど激しい反撃の狼煙が、静かに上がった。

それは――
裏切りと勘違いによって引き裂かれた運命を、
自らの手で縫い直すための、
命を懸けた行軍の始まりだった。
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