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2巻 寮長になったあとも2人のイケメン騎士に愛されてます
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しおりを挟む第一章 異世界の日常
「うーん、いい香り」
まだ太陽が顔を覗かせたばかりの、穏やかな朝。
僕は両手でやっと抱えられるほど大きな籠に顔を突っ込んで、いっぱいに摘んだ果物の香りを思い切り吸い込んだ。爽やかな香りが身体中に染み渡るようで気持ちがいい。
ここは僕が寮長を務める王立第二騎士団寮の裏庭。
寮と騎士団の訓練場を隔てる垣根には、レモンに似た爽やかで酸味のある果物『マルム』がたわわに実っている。今日はこのマルムの皮を剥いて精油を作ろうと考えている。
「なんだか平和だなぁ」
晴れた青い空に、朝特有の澄んだ空気。
濃い緑の葉を茂らせる垣根には、朝日を浴びて輝く黄色い果実。すぐ近くからは早朝訓練中の騎士団員たちの大きな声が響く。
今でこそこれが日常になりつつあるけど、数ヶ月前まで僕は東京に住むごく普通の、二十歳のフリーターだった。
唯一の肉親だった母親を二年前に亡くし生きるためにバイトに明け暮れていた僕は、あの日もバイトを終えてアパートに帰ったところだった。
バイト先の先輩のおじさんたちからお年玉として五百円玉をもらったのだが、それをうっかり落としてしまったのである。転がる五百円玉たちを追いかけようとして階段から落ちた。
……と思っていたら、いつの間にか異世界のレイルという街――にある大木の上にいたのだ。
「今思い出しても不思議だな。どうして僕、この世界に来たんだろう……」
大木から落ちそうだった僕を助けてくれたのは、王立第二騎士団の団長のレオナード・ブリュエルと、副団長のリア・ディル・ヒュストダール。黒髪のせいか、二人は僕を見るなり『黒の旗手』だと思ったらしい。
黒の旗手というのは『聖木マクシミリアン』という木から風に乗って舞い降りてくる人のことで、その人が騎士団の旗を振れば一騎当千の力で敵を倒せるんだとか。
二人から元の世界には帰れないと言われてしまい、この世界で生きる決心をした僕は、ひとまず食い扶持を稼ごうとし、彼らに勧められて王立第二騎士団の寮長となったのだった。
寮長の仕事は寮内の掃除や簡単な事務仕事が主なので、僕の得意分野だ。
きっと上手く続けられる……と思っていた矢先、とんでもない事実が発覚する。
――なんと寮長は団長と伴侶になる決まりがあったんだ!
そのおかげで、寮長となった僕は同時に、団長のレオナードの伴侶になってしまった。
それだけでも驚きだったのに、レオナードとリアが結んでいた『盟友の誓い』なるもののせいで、リアの伴侶にもなってしまった。
つまり僕は運よく異世界で仕事にありつけたと思ったら、なぜか二人の男性の伴侶になってしまった……というわけ。
「恋愛経験もない僕がいきなり二人の伴侶だなんて、びっくりしたなぁ……今は二人が伴侶でよかったって思ってるけど」
でも二人は僕の気持ちを急かすような真似はしなかった。まずはゆっくりお互いを知っていこうと言ってくれて、寮長の仕事がやりやすいように配慮してくれたり、一緒に買い物に付き合ってくれるところから始めて、少しずつ距離が縮まっていった。
それから二人の悲しい過去を知ったり、この平和なレイル領に忍び寄る魔の手――ザカリ族と対峙したりもしたけれど、僕は騎士団の寮長として、そして二人の伴侶として、日々頑張っていた。
ザカリ族とは決着はついてないから、これからまた対峙するかもしれない。
でも今は、あの嵐の夜に抱いていた怖さはない。なぜなら僕には、頼もしい伴侶がいるから。きっと何があっても三人で乗り越えられるって信じている。
「そう思わせてくれるのは、レオナードとリアのおかげかな」
ふふ、と一人にやけながら籠を持ち上げた、その時。
「俺とリアが、なんだって?」
後ろから声をかけられ振り返ると、レオナードがすぐ後ろに立っていた。
燃えるような赤髪がそよ風になびき、灰色の瞳が優しく僕を見つめている。
「レオナード! 早朝訓練は?」
「やることやったから、俺の仕事は終わり」
「……途中ですっぽかしてきたんでしょ」
「まあ、細かいことは気にすんな」
レオナードは僕の腕からひょいっとマルムがたくさん入った籠を取り上げると、さっさと寮の勝手口に向かっていった。
レオナードは一見すると面倒くさがりでだらしがない。本当にこんな人が団長で大丈夫なのかな、って最初は思っていた。
でもそれは本当の彼じゃない。本当のレオナードは真面目で世話好きだし、それにすごく愛情深いのだ。
僕はレオナードにお礼を言い、彼と雑談しながら厨房へ向かった。
本当は早朝訓練に戻るよう言うのがいいんだろうけど、きっとレオナードは僕が籠を重たそうに持ち上げているのを見つけて手伝いに来てくれたんだよね。
分かりづらいかもしれないけど、レオナードはいつだって優しい。
寮内に入ると朝食の時間になったのか、食堂から団員たちの楽しそうな声が厨房まで聞こえてきた。
「まったく朝っぱらから元気だな、あいつら」
「なんかいいことでもあったのかな?」
「また歩兵部隊の奴らが夜遊びの報告でもしてるのかもな」
「あはは……なるほど」
歩兵部隊はどういうわけか軽いノリの人が多い。
この世界に来るまで僕は恋愛と無縁の生活を送っていたから、歩兵部隊にあからさまな恋愛の話をされると、恥ずかしくてすぐに顔が熱くなってしまう。
このまま行ったらまた恥ずかしくて朝食の味がわからなくなっちゃうから、朝食は後回しにして今はマルムの皮を剥くことにしよう。
台所に入ると、食器棚の前にリアが立っていた。
「やあ、ソウタ。朝からそんなにたくさん採ってきたのかい」
籠の中を見たリアが、にこりと笑った。
リアは実直で自分に厳しいが、他人にはいつも優しい。そして異常なほど自分を軽んじることがある。どうやら彼が王族の血を引いた王子であることに関係しているらしく、いつも見ていてヒヤヒヤする。
ちなみに、どうして王宮にいるはずの王子が騎士団で副団長をしているのか、その辺の事情はまだ教えてもらってない。いつかもう少し仲が深まったら、教えてもらおうと思ってる。
「うん、リアは訓練が終わったところ?」
「そうなんだ。だから休めと君に怒られる前に少し休もうと、茶を淹れに来たんだよ」
リアは茶目っ気たっぷりにウインクすると、僕とレオナードの分のお茶も淹れてくれた。
出会った頃のリアは仕事の鬼で、一分たりとも休憩を取らずに訓練や騎士団の事務仕事に明け暮れていた。
でもあの嵐の夜に心境の変化があったのか、少しずつ仕事を僕に任せてくれるようになったし、休憩も取るようにしている。リアが自分を大事にしてくれて本当に嬉しい。
「ところで、その籠いっぱいのマルムをどうするの? 酸味が強いから食用には向かないと思うんだけど」
「これは皮を絞って精油を作るんだ。実のほうはお砂糖と煮てみるつもり」
実を食べるという僕の回答に、レオナードとリアは顔を見合わせて、本当に美味しいのか、と訝しげな顔をしている。
この国の人はどうやら酸味が苦手なようで、強い酸味のあるマルムは食用には使われない。
でも、もったいないと思うんだよね。せっかくこんなにたくさん実がなっているんだもの、使わない手はないよ!
「二人の気持ちはわかるけど、ちょっとだけ試させてよ。お肉の味付けなんかにちょうどいいと思うんだよね」
「まあ、お前がそう言うなら味見ぐらいはしてやってもいいが……」
レオナードが絞り出すように返事をするそばで、リアがマルムを見て固まっている。リアは結構な甘党で、酸っぱいものは人一倍苦手のようだ。
「本当!? 良かった! それじゃあ僕は早速皮を剥いていろいろと試してみるから、二人は食堂でご飯食べてきなよ」
レオナードに籠を運んでくれたお礼を言って皮剥きを始める。しかしレオナードとリアは僕のそばから離れない。
二人はお茶を飲みながら僕の手元を覗き込んだり、マルムの実の部分を少し摘まんで口に入れては酸っぱさにしかめ面をしたりしている。
ある程度皮剥きが進んだところで、思わず僕は二人に声をかけてしまった。
「えっと……あの、二人とも食堂に行かないの?」
「ああ、食事は後でいい」
「ソウタの作業が終わったら一緒に食べよう」
にっこりと微笑んでそう言う二人。そんな二人が愛おしくて、なんだかたまらない気持ちになった。
さすがに急に二人の伴侶になったときは驚いたけど、今は彼らを心から好いている。二人が一緒にいてくれるとやっぱり嬉しいし、心強い。
――と思ってはいるんだけど、今はもう少しだけ距離を取ってほしい気分だった。
先ほどから二人はさらに僕に近づいているのだ。
レオナードは僕の右肩に顎を乗せて体をピッタリとくっつかせた状態で、僕の手元を凝視しているし、左側にいるリアは僕の腰に右手を回して左手に持ったマルムの実にガンを飛ばしている。
はっきり言うと、そんなにくっつかれたら、皮剥きがやりづらいんだよ!
僕は密着してくる二人の伴侶に何か仕事を振ろうと少し考えて、剥いた皮の皮絞りをお願いすることにした。
実際、皮を絞るための機械がない以上、精油を取るには力が必要になってくる。この作業は優秀な騎士の二人にぴったりでしょ!
「これを握り潰せばいいのかい?」
リアが皮を手のひらに乗せて質問してきたので、僕は頷きながら実演することにした。
「こうやって手でぎゅっと握りつぶすんだ。こういう果物の皮って小さなつぶつぶがたくさんあるでしょ? このつぶつぶを潰すといい香りの液体が出てくるんだ」
「その液体を集めりゃいいのか?」
レオナードが皮をいくつか右手のひらに乗せた。
「そうなんだけど、ただ握るだけじゃ大変だから、小さな棒みたいなものでつぶつぶを潰していくといいと――」
僕がそう言い終わらないうちに、レオナードがぎゅっと右手でマルムの皮を握りつぶす。すると彼の手からポタポタといい香りの雫が滴った。
いやこれ、普通は機械を使って圧縮することで抽出するんだけど。そんな握りつぶしただけで精油が取れるなんて聞いたことないよ……
「ふうん、案外結構な量が取れるな」
「思ったより簡単だ。よしレオナード、早く終わらせよう。そうしないとソウタがいつまでも朝食を食べられない」
「だな」
レオナードとリアは呆然とする僕に構わず、山盛りになっていた皮をどんどん握りつぶしていった。
おかげで僕が想定していたよりも早く、そして結構な量の精油が取れてしまった。
嬉しいんだけど二人の怪力に、改めて騎士の強さを知った気がした。気をつけないと僕も握り潰されちゃいそう……
二人がものすごい速さで皮を握り潰している間に、僕はマルムの実をほぐして鍋に入れ、砂糖と一緒に煮込む。
そこにリキュールがわりのお酒と香草、塩、胡椒を入れてさらに煮込んだら、こっちもあっという間に柑橘ソースの完成だ。これを毎食出てくるお肉にかけたらさっぱりして美味しいだろうなあ……と、ずっと考えてたんだ。
というのも、寮のご飯には毎食必ず濃いめのソースで味付けされたお肉が出るんだけど、実はその味付けが少し重くて、僕にはちょっとだけ合わないのだ。
ときどきなら僕も気にしないんだけど毎食ともなるとさすがに厳しくて、なるべくサッパリな味にするために柑橘ソース作りを計画していた、というわけ。
ちなみに絞ってもらった精油は布巾で濾して、小さな瓶に入れ替えた。
このあと水で薄めて玄関と廊下の床拭きに使うつもり。掃除したところから爽やかな香りがするようになって気持ちがよさそうだなぁ。
「よし、それじゃあさっさと食堂に行くとするか」
片付けを終わらせたレオナードがそう言ったところで、勝手口から声が響いた。
「毎度! 肉を持ってまいりました!」
この声は、騎士団寮が懇意にしているお肉屋さんだ。
毎日この時間に新鮮なお肉を持ってきてくれるのは、中央市場で肉屋と料理店を経営しているリーさん。寮に物資を届けてくれる人から商品を受け取るのも寮長の仕事だ。
僕はすぐに厨房から出ると、勝手口で待っていたリーさんに声をかけた。
リーさんは真面目な青年で、今日もいつものように勝手口の前でピシッと立っていた。
「リーさんおはようございます! ちょうどよかった、いま柑橘ソースを作ったところなんですけど少しだけ試食していきませんか?」
「かんきつそーす? でございますか?」
「えっと、焼いたお肉にちょうどいい調味料なんです。もし良かったら、出来を見ていただけると嬉しいなって」
「ソウタ殿のお手製とあらば喜んで」
リーさんが快諾してくれたので、僕は厨房にお肉を運び入れてもらった後でソースを味見してもらうことにした。
このままでも美味しいとは思うけど、 お肉のプロにアドバイスをもらって、ソースをもっと美味しくしたい。
我ながら図々しいとは思うけど、どうせなら美味しく食べたいもんね。
僕は食堂から調理済みのお肉をちょっとだけもらってくると、リーさんとレオナード、リアの分と三つに分け、できたばかりの柑橘ソースをお肉にかけた。
僕がお肉を手渡すとさすがプロ、リーさんの目つきは変わり、真剣な表情で口に入れた。
「では、頂戴いたします……。うん、美味い!」
リーさんは目をまん丸にして、褒めてくれた。
その後少しだけ塩と酒の量を調整してくれて、「これで完璧です」とお墨付きをくれた。僕はその改良された柑橘ソースのかかったお肉を口にいれる。
お酒の芳醇な香りがさらに立つようになっていて、強くなった塩味のおかげでマルムの酸味がより美味しくなってる!
「うん、リーさんが手をくわえてくれたから、さっきのより美味しい!」
僕がにこにこしながらお肉を食べるのに驚いたのか、レオナードとリアは顔を見合わせている。
ちなみにリーさんはレオナードとリアが厨房にいたことに驚いたようで腰を抜かしそうになっていた。
そうだよね、騎士団の団長と副団長が厨房にいるの、想像つかないもんね……
「へえ、お前がそんなに美味そうに肉を食ってるのを見るのは初めてだ。いつも半べそで食ってるもんな」
「そ、そこまでひどい顔して食べてないよ、レオナード。普段の味付けがちょっと口に合わなかっただけで」
「味付けが口に合わないんなら、我慢しないでちゃんと言え」
「う、すみません……」
レオナードにおでこをぺしんと叩かれながら謝る僕の前で、リアはしかめっ面のまま恐る恐るお肉を口に運んでいた。
リアの口に合うかどうかハラハラしていると、リアは目を見開いた。
「うん、これは美味い。あの果物の実は酸っぱくて食べられたものではないが、こうして他の調味料と煮るとまろやかな味になるんだな」
「よかった、リアの口に合って。少しだけ砂糖を多めに入れてるんだ」
「ソウタは天才だな」
「いやいや、これは僕っていうより、味を調整してくれたリーさんの腕がいいからで……」
そう言いながら彼を見ると、リーさんは手の上のお皿を凝視したまま何かを考えているようだった。
「リーさん? どうかしましたか?」
僕が声をかけると、彼は弾かれたように顔を上げて真剣な面持ちになり、ある提案をした。
「ソウタ殿、こちらの調味料は本当に素晴らしい出来栄えです。どうでしょう、こちらを商品として私の店で売りませんか?」
「え、これをですか……? 別に僕が考え出したものではないので、リーさんのお店でお好きに使っていただいていいですよ」
「そうではないのです! ソウタ殿が作ったというところが大事なのですよ!」
「はあ……」
彼はものすごい勢いでプレゼンを開始した。
聞けばどうやら、このソースに僕の名前をつけて売りたい、ということだった。
この領の騎士団寮長が作ったということがわかったほうがみんなに食べてもらえるだろうし、ゆくゆくはレイル領の名物になるかもしれない、と。
リーさんは話に力が入りすぎて、どんどん僕に顔を近づけてくる。
勢いに負けてうんと言ってしまいそうだ。でも、自分の名前がついたソースなんて恥ずかしすぎる!
「おいおい、ちょっと落ち着けよ」
勢いに押され気味の僕に救いの手を差し伸べてくれたのはレオナードだった。レオナードは前のめりになったリーさんの体をぐいっと後ろに戻す。
「つまりお前の提案としては、この調味料にソウタの名前をつけて箔を付けたい、ということだな?」
「はい、おっしゃる通りでございます」
「だが、あいにくソウタは自分の名前をつけたくないようだ。そこでだ、ソウタではなく王立第二騎士団の名前を使って売るのはどうだ?」
「よ、よろしいのですか!?」
「ああ。お前にはいつも肉を届けてもらっているしな。騎士団の紋章の使用を許可しよう。ソウタの名前の代わりに寮長のお墨付きと書けばいい」
それなら別にいいよな、とレオナードがリアに聞き、リアも首を縦に振った。
「問題ない。後で契約書を整えるから、少し待ってくれ」
「もちろんでございます! ありがとうございます!」
リーさんははちきれんばかりに破顔すると、早速リアと契約の話を始めてしまった。
僕の名前がでかでかと載らなくて済んだのは良かったけど、僕のお墨付きなんて謳い文句につられて買う人が果たしているのだろうか……不安でしかない。
僕が眉根を寄せていると、レオナードがニヤニヤと笑った。
「なんだ、ソウタは不満か?」
「不満っていうか、僕のお墨付きなんてつけて売っちゃっていいのかなぁって。もし売れなかったら、赤字になっちゃうでしょ?」
「いらん心配だな」
僕の心配はレオナードにばっさりと切り捨てられてしまった。
「まあちょっと様子を見てろよ。どうせいきなり多くは作れないだろうし、少量を売って成り行きを見守ろうぜ」
「うん、そうだね……」
僕はちょっとの不安を抱えつつも、リーさんの商売がせめて赤字になりませんようにと祈るしかなかった。
ところが、数日経って僕の不安はレオナードの言う通り杞憂に終わった。
どうやらあのソースはたちまち評判になったらしく、中央区にあるリーさんの店は大繁盛しているらしい。
僕はリーさんにものすごく感謝された。
そして、僕のもとには毎日結構な額のお金が送られてくるようになった。
どうやらリアとの契約で決められていたようで、売上の一割を僕がもらうことになっていたのだ。
「これ、どうしよう」
寮長室の柔らかいソファに座りながら手持ちのお金を数えていた僕は、その金額に頭を抱えてしまった。
だって、寮長になってからというもの、就任の祝い金とか各種手当とか臨時給付とかいう理由をつけて、結構な額のお金が僕の懐に入ってくる。
結果として、僕の貯金はあっという間に見たこともない数字に膨れ上がってしまったのだ。
日本のお金に換算すると、その額なんと一千万円!
しかもそれは騎士団からの給料や臨時給付金だけのお金で、ソースの売り上げ分配金はまた別。
元の世界で必死に貯めたお金は二年で五十万円。それだってだいぶ頑張って作ったお金なのだ。
それなのに、たったの半年足らずでこんな大金が集まってしまい、もはや嬉しいと言うよりも恐ろしさのほうが勝ってしまう。
いっそ王立第二騎士団に寄付したかったんだけど、レオナードとリアに断固拒否されてしまった。この調子で行けば、あと数年で夢の一億円を達成しそうだ。
「まあ今のところ欲しいものもないし、このお金はもしものために貯めておこう。万が一何かあっても大丈夫なようにしないとね」
僕はお金をクローゼットの奥にある貴重品入れに丁寧にしまうと、一階の玄関へ向かった。
今はお昼過ぎ。
ちょうど午後の訓練時間なので、いつも団員たちがくつろいでいる玄関は静かだった。
「よし、僕もひと仕事頑張ろう!」
作業服としていつも着ているつなぎの袖をまくりながら、僕は玄関の外に立てかけておいた自分の背より大きな板に手を伸ばした。
この板は、先日の大嵐の時に壊れてしまった小屋を解体した時に出た廃材で、これで団員たちの下駄箱を作るつもり。
というのも、この騎士団寮には下駄箱がないのだ。
そもそもとして、寮内に入るときに靴を脱ぐ習慣がない。
一応寮の玄関前には泥を落とすためのマットのようなものが敷かれてはいるんだけど、誰も真面目に泥を落としてから中に入ったりしない。
そのため、寮の玄関はもちろん、寮内のあらゆる床には泥と砂がこびりついてて、それはもう……我慢できないくらいに汚い。本当に気になる!!
寮内を靴で移動するという習慣を変えてもらうつもりはない。ただ泥を落とすか、別の室内履きに履き替えてほしいんだ……
そこであれこれと団員に聞き取りをした結果、室内履きに履き替える案を採用することにした。だってみんな泥落としのマットの存在すら認識していなかったから……
寮の玄関を正面に見てすぐ左側に、ちょっとした道具なんかを置いておける四阿みたいな場所がある。僕はここに下駄箱を作ろうとしていた。
屋根がついているから雨を防げるし、手前には垣根があるから来客があったとしても見た目がさほど気にならない。
実は僕、DIYが結構好きなんだ。前の世界にいた時も、使わなくなったカラーボックスを解体して、机や椅子にリメイクしていた。
今回は寮にいる団員六十人分に加えて、普段は街に住んでいる団員の分も入る大きな下駄箱を作る予定だ。
訓練終わりに、団員みんなで寮でご飯を食べたりするからね。
そうすると総勢百八十人分。完成したら学校の昇降口みたいな光景になりそうだ。
僕は自分で書いた設計図を取り出し、その設計図通りに組み立てて釘で固定していく。
毎日仕事の合間にコツコツと作業を続けているおかげで、だいぶ形になってきた。この分だと数日以内には完成しそうだ。
「なんだか最初の頃が懐かしいなぁ。寮内の一斉掃除、めちゃくちゃ大変だったっけ」
この寮に初めて来た時、寮内はろくに掃除をしてなくて埃まみれだった。
とにかくこびりついていた埃を取って、床や窓をピカピカに磨いて、全て綺麗になるまでに結局一ヶ月ほどかかってしまった。
それからはとにかく綺麗な状態を維持するために努力してきたわけだけど、外から泥や砂を持ち込まれると、その努力も水の泡になってしまう。
「これでやっと、玄関の泥ふきに苦戦しなくて済むよ……。意外と乾いた泥って落とすの大変なんだよなぁ、壁に跳ねたりするし」
僕は厄介な泥拭きの大変さを思い出しながら釘をトントンと板に打ち付けていく。
この下駄箱が完成すれば、きっと寮内はもっと清潔になるに違いない。それを思うとトンカチを持つ手にもグッと力が入る。
やがて、僕が釘を打ち付ける音だけが響いていた庭に、団員たちの声が混じるようになった。そろそろ訓練が終わったようだ。
僕はみんなを出迎えるために作業の手を止め、急いで大工道具を片付けた。寮の裏にある訓練場で鍛錬していたのは偵察・斥候部隊の面々だ。
「みんな、お疲れ様!」
僕が余った板を持ち上げながら声をかけると、偵察・斥候部隊のみんながわらわらと集まってきた。
「寮長殿、そのように華奢な手で板を持ってはお怪我をしますよ」
「そういう力仕事はどうか我々にお任せください。もしも木の板のささくれが刺さったらどうなさるのです」
みんなは僕に片膝をついてただいまの挨拶をすると、すぐに僕の手から板を奪ってしまう。
「あ、ありがとう……」
「なんと、これほど立派な棚をお一人で作られるとは……。寮長殿は本当に器用でいらっしゃる」
「素晴らしい出来です。完成が楽しみでなりません。もしも手伝いが必要な際は、どうか遠慮なく我々をお使いください。万が一お怪我をなさっては一大事ですから」
数枚残っていた板をさっさと寮の壁に立てかけてくれた彼らは、作りかけの下駄箱を見ると大袈裟なくらいに褒めてくれた。
なんだか、偵察・斥候部隊のみんなと話していると、僕は自分がお伽噺のお姫様にでもなった気がして恥ずかしくなる。
彼らの態度は部隊長の影響が大きいんだろう。
今は姿が見えないが、部隊長のヘンリクさんは王立第二騎士団の中でも古株の五十代で、僕を繊細なガラス細工のように扱う。部隊のみんなもその様子を見て、僕への接し方を真似ているようだ。
面白いことに、王立第二騎士団の各部隊は部隊長の性格をそのまま部隊のみんなが映し出していることが多い。
歩兵部隊長のセレスティーノは陽気な遊び人だし、騎馬部隊長のアドラーは生真面目で無口。衛生部隊長のムントさんはマイペースで穏やかで、偵察・斥候部隊長のヘンリクさんは紳士的で感動屋だ。
そういえば、あともうひとつ特別部隊があるらしいんだけど、長期任務に出ているとかでまだ会ったことはない。
それぞれの部隊の特徴や部隊のみんなの顔と名前も、もうほとんど覚えてしまった。最初の頃は百八十人もいる団員を全員覚えられる自信はなかったのに。
そう考えると、みんなとの絆がどんどん深まっていくような感じがして、なんだか嬉しいな。
僕は偵察・斥候部隊のみんなにお礼を言うと、一緒に玄関に向かった。部隊のみんなは終始僕のことを褒めながら、ぞろぞろと玄関へ入って行こうとする。
「あ、待ってみんな! 玄関のマットで靴の裏についた泥を落としてほしいんだけど……ねえってば!」
みんなに聞こえるように大きな声でお願いしたけど、部隊のみんなは誰も聞いていなかった。
「ああ、我々は本当に幸せ者だな。あんなに健気で愛らしい寮長のもとで働けるのだから」
「その通りだ。彼を守るためにももっと鍛錬を積まなければ」
部隊のみんなは僕を褒め称えながら、ずんずんと泥のたっぷりついた靴で玄関の中に吸い込まれてしまった。
応援ありがとうございます!
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