私とラジオみたいな人

あおかりむん

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すき【好き】

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すき【好き】自分の感覚や感情に会うものとして心が引きつけられ、積極的に受け入れよう(接し続けよう)とする気持ちにさせられる様子だ。



 私は日にちを数える事が得意ではないので、祝言から何日が経った頃だったかは分からないのですが、突然障子が勢いよく開きました。その先では肇様が縁側から身を乗り出していて『君、暇そうだな!』と大きな声で言いました。私は暇だとは思っていなかったので首を横に振りましたが肇様は気が付いていない様子で『ちょっとこっちに来てくれ』と手招きをしました。縁側に出た私に肇様は四角いかごを押し付けて『僕は忙しいから、こいつらを見ておいてほしい』と早口で言って庭へ飛び出していきました。走り去る肇様の手には虫網が握られていました。かごを覗いてみると、小さな蝶が数匹中に入っていました。蝶を捕まえるのにかごを持ったままでは邪魔だったのでしょう。『見ていてほしい』と言われたので、私は膝の上のかごを見下ろして飛んだり止まったりしている蝶を見ていました。どれも白っぽい蝶でしたが、一匹だけ羽根の表側が鮮やかな青色の蝶がいて、こんな色の蝶もいるのだなあなどと考えていました。ややあって庭の方からがさごそと音がしたあと、足音がこちらへ近づいてきました。蝶から目を離してしまうので顔を上げられずどうしようかと思っていると『ああ、僕が見ておけと言ったからか』と肇様の声がして隣に座る気配がしました。『もういいよ』と聞こえたので顔を上げて隣を見ると、虫網の中を手で探る肇様がいました。捕まえたのであろう蝶を取り出してこちらを向くと『こいつを入れるから入口を開いてくれ。他の蝶が逃げないように素早くだよ』といつもよりゆっくり言いました。私は頷いて肇様が指さした入口を持ち上げました。小さな入口に肇様の大きな手が窮屈そうに入ってまた出てゆくのを見て急いで入口を閉めました。中の蝶は逃げませんでしたが肇様の思うようにできたのか気になって顔を見上げると、肇様は私の顔をしばらく眺めてから『どの蝶が好き?』と尋ねました。私は物の好みを聞かれることが初めてで、好きという感覚もよくわからなかったのでかごの中の蝶を順ぐりに見て青い蝶が綺麗だと思うとなんとか答えました。肇様が『どれ?』と言ってかごに近づいたので、ひらひら飛んでいる蝶を指で追うと『ふうん』と言ったきりまた縁側から立ち去りました。虫網もかごも置きっぱなしだったので片付けておけということだと思ったのですが、私は肇様の部屋の場所を知らないのです。かごを抱えたままどうしようかと考えていると肇様が何かを持って戻ってきました。先ほどと同じように隣に腰掛けると私の手からかごを取り上げ、代わりに持ってきたものを押し付けられました。それを見て私は思わず声を漏らしてしまいました。木枠の中で青色の蝶が何匹も綺麗に羽を広げて並んでいたからです。かごの中にいた蝶とは少しずつ模様は違うものの、どれも鮮やかな青色をしていました。木枠を覆うガラスに顔を近づけてじっと見ていると肇様が真ん中あたりの蝶を指さして『これが君が好きだと言ったルリシジミだ。捕まえてきたのはオスで、メスはこっちの羽の縁が黒くなっているやつ。今の時期はたくさん飛んでいるから楽に捕まえられる』と説明してくれました。私は余計なことを言わないように口を押さえたまま幾度か頷きました。すると肇様は少し早口で木枠の中の蝶を端から説明し始めました。肇様のさらさらしたお声を聞いているとラジオを聴いている時みたいな心地になります。間断なく流れる音は私の頭の中をそれだけで一杯するので他の色々なことを考えずにいられます。ただ、ラジオの罅割れた知らない人の声よりも肇様の声の方がずっと聞きやすくていい気持ちになるのです。肇様は右下のムラサキシジミは幼虫の時には樫の木の葉を食べることを説明し終えるとしばらく黙ったあと『なんなんだ君は』と私に言いました。打って変わって不機嫌な声でした。『一週間も部屋からほとんど出てこないから、そろそろ僕の顔など二度と見たくないとでも言い出すのかと思ったのに、仕方なく様子を見にくれば興味もない蝶の話を楽しそうに聞いたりして。前も言ったが別に出て行けなんて狭量なことは言わないから僕に媚を売る必要はないんだからな』と庭を睨みながら随分な早口で言った後、ちらっと私へ視線をよこしました。部屋から出なかったのは出ろと言われなかったからですし、肇様のお顔を見たくないとか媚を売るとか、そんなことは全く考えていなかったので私はどう答えたらいいかわからず肇様を見返して小さく首を傾げました。肇様はそんな私の顔を見るなりぐにっと口元を曲げて『本当になんなんだ』とぼそりと言って大きなため息をつくと、両手で顔を覆って俯きました。肇様は耳のふちを赤くしながらしばらくの間そうしていましたが、急に勢いよく顔を上げるとこぶし一個分ほどあいていた距離を詰めてすぐ近くまで顔を寄せました。私はそのことに驚くよりも先に肇様はこんな顔をしていたのかと変なことを考えていました。髪の毛と同じ焦茶色の目でじっと私を見つめたまま肇様は話し始めました。『自然界では多くの場合メスがオスを選ぶ。オスたちはメスに選んでもらうために、角を生やしたり羽を美しい色にしたり餌をせっせと運んだりする。人間はシャカイツウネンジョウその限りではないが、トウタの根本に立ち返れば女が男を選ぶ方が理にかなっているのだ』とさらさらと言った後、口元をもごもごと動かしてから『君という魅力的な女性に選んでもらえるよう僕もせいぜい頑張るよ』と言いました。私は肇様に褒めていただいたと思ったので『お上手ですわ』と言って笑いました。すると肇様はみるみる顔を真っ赤にして『君、本当に覚悟しておけよ!』と大きな声で言ったのでした。




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