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浅間がヤマと二人で暮らすようになって半月が過ぎた頃のある日。
「川に行ってくるから」
「いってらっしゃい、アサマ」
ヤマはもう会話ができるくらいになっていた。教えているとはいえ、上達具合が著しく早い。たまに教えた覚えのない様な言葉を投げかけてくるので、浅間は驚くこともある。先日はひょんなことからヤマの機嫌を損ない『アサマのアホウ』と言ってきたときには絶句した。
ふと浅間は山伏の修行をしているとき仲間から聞いた話を思い出していた。物怪の唾液を摂取すると言葉がわかる、という。ヤマが口に咥えて持ってきた肉を浅間が食うのだから、もしかしたらその力なのか。いずれにしても言葉を交わせるということに感謝した。
斜面を下り、少し開けた場所にある小さな川にたどり着くと、腰を落ちつかした。鳥の囀りと、川のせせらぎが心地よい。しばらく休んだ後に山野草の収穫をしていると、後ろから足音がして浅間は思わず振り返る。
この場所は山深く、一般の者は立ち入らない。入ってくるとすれば……
「浅間ッ!」
名前を呼ばれ、浅間は立ち尽くした。そこにいたのは同じく山伏として修行していた羽黒だった。羽黒も浅間の姿を見ながら呆然としている。
「お前どこ行ってたんだ! みんな心配してたんだぞ」
「……すまない」
ヤマと出会って以来、浅間は一度も山を降りず山伏仲間の元に戻らなかった。羽黒の話では、修行が辛くて逃げ出す輩は今までにも居たが、浅間は真面目でそんなことはしない、と皆心配して探していたらしい。
何も言わずに居なくなったことは、逃げ出した輩と同じことだと責められてもいいのに、目の前の羽黒は笑顔を見せる。
「しかし痩せたな、お前大丈夫か?」
背中をさすりながらそう言う羽黒に、浅間は居た堪れなくなり、手に持った山野草を強く握った。そしてそんな二人の様子を木々の向こうからヤマが立ちすくんで見ていた。
一緒に戻らないのか、と羽黒に何度も聞かれたが浅間は首を縦にしなかった。一度荷物を取りに行くから、と主張する浅間に羽黒は訝しげな顔を見せたが、どうにも浅間の頑固さに折れた。
『絶対、戻ってこいよ』と言った時の羽黒の鋭い視線を受けながら、浅間は逃げるようにその場を離れた。
小走りになりながら、ヤマの待つ場所に戻ったが姿が見えない。いつもなら浅間が帰ってきたら飛びついてくるのに。
「ヤマ?」
暫く待っても、あたりを探してもヤマはいない。あまりにも戻らないヤマを心配して浅間は探す範囲を広げていく。
(何かあったのだろうか)
もしかしたら、崖から落ちて身動きがとれないのか。あるいは狼のままで人に遭遇して、怪我でもしてるのではないか……。最悪なことしか頭の中をよぎっていた時、茂みの奥に茶色の何かを見つけた。それは本来の姿をしたヤマだった。こめかみの大きな傷跡は狼に戻っても消えないので、ヤマだと分かるのだ。
「ヤマ」
ようやくヤマを見つけ出して安堵した浅間が、茂みをかき分けて近寄ろうとしたとき。
ヤマは喉を鳴らしものすごい剣幕で吠えてきたのだ。手を出していた浅間は驚き思わず仰反る。もしかしたら、ヤマではない狼なのかもしれないと思ったがこめかみの傷と、瞳の色は間違いなくヤマなのだ。
「ヤマ、どうした?」
何度も浅間が声をかけるが、目の前の狼はただ吠えてばかり。しかも牙を剥き出しにして襲いかかってきそうなほどの気迫。浅間は混乱していた。さっきまでいってらっしゃいと、笑いながら手を振っていたヤマ。突然敵意をむき出しにして、まるで知らない人間に会ったかのように、何故吠えるのか、と。
それでも浅間が歩み寄ろうとしたとき、ヤマは浅間の方へと飛びかかってきた。
「うわっ!」
浅間の頬の真横に飛びかかってきたものだから、思わず尻餅をつく。ヤマは一瞬だけ、浅間の方を振り向くとそのまま駆けていく。そして、それが浅間の見た、ヤマの最後の姿だった。
「川に行ってくるから」
「いってらっしゃい、アサマ」
ヤマはもう会話ができるくらいになっていた。教えているとはいえ、上達具合が著しく早い。たまに教えた覚えのない様な言葉を投げかけてくるので、浅間は驚くこともある。先日はひょんなことからヤマの機嫌を損ない『アサマのアホウ』と言ってきたときには絶句した。
ふと浅間は山伏の修行をしているとき仲間から聞いた話を思い出していた。物怪の唾液を摂取すると言葉がわかる、という。ヤマが口に咥えて持ってきた肉を浅間が食うのだから、もしかしたらその力なのか。いずれにしても言葉を交わせるということに感謝した。
斜面を下り、少し開けた場所にある小さな川にたどり着くと、腰を落ちつかした。鳥の囀りと、川のせせらぎが心地よい。しばらく休んだ後に山野草の収穫をしていると、後ろから足音がして浅間は思わず振り返る。
この場所は山深く、一般の者は立ち入らない。入ってくるとすれば……
「浅間ッ!」
名前を呼ばれ、浅間は立ち尽くした。そこにいたのは同じく山伏として修行していた羽黒だった。羽黒も浅間の姿を見ながら呆然としている。
「お前どこ行ってたんだ! みんな心配してたんだぞ」
「……すまない」
ヤマと出会って以来、浅間は一度も山を降りず山伏仲間の元に戻らなかった。羽黒の話では、修行が辛くて逃げ出す輩は今までにも居たが、浅間は真面目でそんなことはしない、と皆心配して探していたらしい。
何も言わずに居なくなったことは、逃げ出した輩と同じことだと責められてもいいのに、目の前の羽黒は笑顔を見せる。
「しかし痩せたな、お前大丈夫か?」
背中をさすりながらそう言う羽黒に、浅間は居た堪れなくなり、手に持った山野草を強く握った。そしてそんな二人の様子を木々の向こうからヤマが立ちすくんで見ていた。
一緒に戻らないのか、と羽黒に何度も聞かれたが浅間は首を縦にしなかった。一度荷物を取りに行くから、と主張する浅間に羽黒は訝しげな顔を見せたが、どうにも浅間の頑固さに折れた。
『絶対、戻ってこいよ』と言った時の羽黒の鋭い視線を受けながら、浅間は逃げるようにその場を離れた。
小走りになりながら、ヤマの待つ場所に戻ったが姿が見えない。いつもなら浅間が帰ってきたら飛びついてくるのに。
「ヤマ?」
暫く待っても、あたりを探してもヤマはいない。あまりにも戻らないヤマを心配して浅間は探す範囲を広げていく。
(何かあったのだろうか)
もしかしたら、崖から落ちて身動きがとれないのか。あるいは狼のままで人に遭遇して、怪我でもしてるのではないか……。最悪なことしか頭の中をよぎっていた時、茂みの奥に茶色の何かを見つけた。それは本来の姿をしたヤマだった。こめかみの大きな傷跡は狼に戻っても消えないので、ヤマだと分かるのだ。
「ヤマ」
ようやくヤマを見つけ出して安堵した浅間が、茂みをかき分けて近寄ろうとしたとき。
ヤマは喉を鳴らしものすごい剣幕で吠えてきたのだ。手を出していた浅間は驚き思わず仰反る。もしかしたら、ヤマではない狼なのかもしれないと思ったがこめかみの傷と、瞳の色は間違いなくヤマなのだ。
「ヤマ、どうした?」
何度も浅間が声をかけるが、目の前の狼はただ吠えてばかり。しかも牙を剥き出しにして襲いかかってきそうなほどの気迫。浅間は混乱していた。さっきまでいってらっしゃいと、笑いながら手を振っていたヤマ。突然敵意をむき出しにして、まるで知らない人間に会ったかのように、何故吠えるのか、と。
それでも浅間が歩み寄ろうとしたとき、ヤマは浅間の方へと飛びかかってきた。
「うわっ!」
浅間の頬の真横に飛びかかってきたものだから、思わず尻餅をつく。ヤマは一瞬だけ、浅間の方を振り向くとそのまま駆けていく。そして、それが浅間の見た、ヤマの最後の姿だった。
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