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木枯らしが吹き、木々に葉がなくなった頃。山野草を配合した薬を籠に入れ、山伏たちは檀家のある村へと向かう。それぞれの檀家を廻ながら、調合した薬を置き、家内安全の祈願をしていく。冬山の修行までの間、それが山伏たちの務めだ。その山伏たちのなかに、浅間もいた。
「ありゃ、山伏さま。手がかじかんどる。いま温かいものを持ってくるけ」
檀家の老婆が、薬を差し出した浅間の手を見て奥から白湯を茶碗に入れて持ってきた。
「ほら、飲みな」
暖かい湯の感触と、老婆の気持ちに浅間はホッとする。
山から戻ってきた浅間を、羽黒をはじめ山伏たちは安堵した表情で迎えてくれた。もっぱら浅間の痩せた姿に皆、驚きながらも何があったのかは深く聞いてこなかった。ヤマと別れた日から、浅間は彼を当分探したものの、やはり出会うことはなかった。失意のままに下山した浅間はそれ以降、修行に以前にもまして励んだ。
もしかしたら山が見せた幻覚だったのか、と浅間は考えることもあったがやがてそれをやめた。
白湯を飲んでいると、ぴゅうと風が吹く。そろそろ冬が近くなっているのだ。日が落ちるのも早くなっている。
(ヤマは冬を越す術をわかってるのだろうか)
相手は狼だ。知らなくとも自然の摂理で本能的に過ごすのだろうけれど、浅間は心配せずにいられなかった。少しの間過ごしただけなのに、こんなに情が映るとは。
ふと、その時。山の向こうから何か音が聞こえた。風の音かと耳を澄ませたのだが、また聞こえたのは、遠吠えだった。野犬だろうか。
「あらあ、また吠えよるな」
老婆が山の方を見てそう言った。
「よく吠えるんですか」
「ここ最近だけどな。ほぼ毎日、この時間になったら吠えよる。ありゃあ狼の遠吠えよ。昔、親に教わったわ」
「狼……」
「夕七つの鐘が鳴る頃になるとな、切なそうに遠吠えがするもんでな。ほれ、あの木が葉っぱ落ち出した頃から聞こえとる」
葉っぱが落ち出した頃。それはヤマがいなくなり、浅間が下山した頃だ。一緒に暮らしていた時、夕七つの鐘が村から聞こえて、飯を二人で食べる合図にしていた。
(この遠吠えは、もしかして)
ヤマではないのか、と浅間は立ち上がった。その耳にまた聞こえた遠吠え。長く響くその声は確かに寂しそうで……
「白湯、ありがとうございました」
茶碗を老婆に手渡し、浅間はその場を離れた。
浅間はそのまま、獣道を駆けていく。まだ遠吠えが聞こえ、その声の方へと向かって全速力で。きっとヤマは寂しがってる。それを紛らわすために吠えているんだろう。
『悲しいときや、寂しいときは思い切り泣け』
自分の言葉をヤマは覚えていて、きっと泣いているのだろうと浅間は思いながら夕焼けの中を駆ける。場所は分かっていた。木の枝や石が足元に転がり、幾度となく足を掬われそうになりながらも、必死に走りやっとその場に辿り着く。
そこはあの母狼とヤマと一緒に暮らした洞穴。浅間は足を止めてそっと茂みから伺う。すると目の前にはこめかみに傷のある狼がいた。ヤマだ。
もう一度、遠吠えをするヤマ。その声が切ない。
浅間は居ても立っても居られなくなり、飛び出した。
「ヤマ!」
ヤマはすぐ浅間の方を向き、睨みつけたかと思ったら飛びかかってきて、浅間は茂みに押し倒されるような形となった。
牙を剥いて浅間の顔の前で息を荒くしている。だが、それ以上は近づかない。浅間を傷つけようとは思っていないようだ。
「泣くな、ヤマ。私が一緒に居てやるから」
その浅間の言葉にヤマが一瞬、怯んだ。浅間はゆっくりとヤマの体をさすり始める。
「頼むから」
体をさすりながら、浅間が懇願する。一緒に居てやる、と言いながらも一緒に居たいと強く願うのは浅間自身だった。目頭が熱くなり、温かい涙が頬を伝う。そんな浅間を見ながら、ヤマは牙を収めゆっくりと人間の姿になっていく。姿が変わっても浅間はヤマを抱きしめたままだ。
ふいに、ヤマは浅間の涙を舌で舐めた。
「アサマ、泣くな」
「ありゃ、山伏さま。手がかじかんどる。いま温かいものを持ってくるけ」
檀家の老婆が、薬を差し出した浅間の手を見て奥から白湯を茶碗に入れて持ってきた。
「ほら、飲みな」
暖かい湯の感触と、老婆の気持ちに浅間はホッとする。
山から戻ってきた浅間を、羽黒をはじめ山伏たちは安堵した表情で迎えてくれた。もっぱら浅間の痩せた姿に皆、驚きながらも何があったのかは深く聞いてこなかった。ヤマと別れた日から、浅間は彼を当分探したものの、やはり出会うことはなかった。失意のままに下山した浅間はそれ以降、修行に以前にもまして励んだ。
もしかしたら山が見せた幻覚だったのか、と浅間は考えることもあったがやがてそれをやめた。
白湯を飲んでいると、ぴゅうと風が吹く。そろそろ冬が近くなっているのだ。日が落ちるのも早くなっている。
(ヤマは冬を越す術をわかってるのだろうか)
相手は狼だ。知らなくとも自然の摂理で本能的に過ごすのだろうけれど、浅間は心配せずにいられなかった。少しの間過ごしただけなのに、こんなに情が映るとは。
ふと、その時。山の向こうから何か音が聞こえた。風の音かと耳を澄ませたのだが、また聞こえたのは、遠吠えだった。野犬だろうか。
「あらあ、また吠えよるな」
老婆が山の方を見てそう言った。
「よく吠えるんですか」
「ここ最近だけどな。ほぼ毎日、この時間になったら吠えよる。ありゃあ狼の遠吠えよ。昔、親に教わったわ」
「狼……」
「夕七つの鐘が鳴る頃になるとな、切なそうに遠吠えがするもんでな。ほれ、あの木が葉っぱ落ち出した頃から聞こえとる」
葉っぱが落ち出した頃。それはヤマがいなくなり、浅間が下山した頃だ。一緒に暮らしていた時、夕七つの鐘が村から聞こえて、飯を二人で食べる合図にしていた。
(この遠吠えは、もしかして)
ヤマではないのか、と浅間は立ち上がった。その耳にまた聞こえた遠吠え。長く響くその声は確かに寂しそうで……
「白湯、ありがとうございました」
茶碗を老婆に手渡し、浅間はその場を離れた。
浅間はそのまま、獣道を駆けていく。まだ遠吠えが聞こえ、その声の方へと向かって全速力で。きっとヤマは寂しがってる。それを紛らわすために吠えているんだろう。
『悲しいときや、寂しいときは思い切り泣け』
自分の言葉をヤマは覚えていて、きっと泣いているのだろうと浅間は思いながら夕焼けの中を駆ける。場所は分かっていた。木の枝や石が足元に転がり、幾度となく足を掬われそうになりながらも、必死に走りやっとその場に辿り着く。
そこはあの母狼とヤマと一緒に暮らした洞穴。浅間は足を止めてそっと茂みから伺う。すると目の前にはこめかみに傷のある狼がいた。ヤマだ。
もう一度、遠吠えをするヤマ。その声が切ない。
浅間は居ても立っても居られなくなり、飛び出した。
「ヤマ!」
ヤマはすぐ浅間の方を向き、睨みつけたかと思ったら飛びかかってきて、浅間は茂みに押し倒されるような形となった。
牙を剥いて浅間の顔の前で息を荒くしている。だが、それ以上は近づかない。浅間を傷つけようとは思っていないようだ。
「泣くな、ヤマ。私が一緒に居てやるから」
その浅間の言葉にヤマが一瞬、怯んだ。浅間はゆっくりとヤマの体をさすり始める。
「頼むから」
体をさすりながら、浅間が懇願する。一緒に居てやる、と言いながらも一緒に居たいと強く願うのは浅間自身だった。目頭が熱くなり、温かい涙が頬を伝う。そんな浅間を見ながら、ヤマは牙を収めゆっくりと人間の姿になっていく。姿が変わっても浅間はヤマを抱きしめたままだ。
ふいに、ヤマは浅間の涙を舌で舐めた。
「アサマ、泣くな」
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