似紫の境界線

柏木あきら

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世話人として

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結局、柳の屋敷に真一が週三回通う形で、身の回りの世話をすることになった。掃除、洗濯、そして料理。
幸いにも昔、小料理屋でアルバイトをしていたことがある真一は料理が得意だ。律子もそれを知っているので任せられると思ったのだろう。
屋敷に行かない日は作り置きをして冷蔵庫へ。屋敷に行く時は柳と一緒に暖かい料理を食べることにした。

柳はほぼ、屋敷から外出しない。買い物は宅配で済ませ、人と会う時は屋敷に来させていたらしい。しかも玄関先で用件をすませていたというから驚きだ。
一緒に過ごすようになり柳は人と関わるのが苦手だということに気がついた。真一との話も必要最低限のことしか話さない。全く会話のない食事は当初、苦痛でしかなかった。しかし真一の持ち前のコミュニケーション能力の高さでそれはしばらくして解消した。

律子の『お願い』から二ヵ月が過ぎた頃。季節はもう盛夏、というより猛暑。屋敷の周りの木に止まっている蝉の鳴き声が煩くて耳を塞ぎたくなる程だ。
屋敷の一角にあるアトリエで柳は創作を続けている。創作活動中はラフな格好で、Tシャツに短パン姿。しかも頰には墨がついてしまっている。初めてこの格好を見た時、着物姿とのギャップに真一は頭を抱えた。

「先生、今日はC出版のかたが来られるんですよね? いつまでそんなカッコしてるんですか」
十四時に来客予定があるというのに、十五分前になってもアトリエから出てこない柳に、真一が見かねて迎えに来たのだ。
「どうせ大した話じゃないだろうしなあ、適当に答えといて」
「今日はダメですよ、前回もそうやって帰したじゃないですか。しかも取材ですから俺は答えられませんよ」
二ヵ月、せっせと通っているうちに真一の柳に対する態度は変わっていた。一応、作家である柳に対しては下手に出ているものの明らかに小言が多くなり、まるで小姑のようだ。
ふう、とため息をついてキャンバスから離れた柳は筆を置いた。大きく背伸びをして真一の方を向くと一言、呟く。
「真一、俺はこういうので途切れると、筆が進まなくなる……」
絵を注文している律子も真一も「雛野」でややこしいから、と柳は下の名前で呼ぶ様になっていた。
「分かってますよ、うるさいって言いたいんでしょ」
柳の方も明らかに真一に向けて、文句を言うことが多くなっていた。今まで一人で気儘に暮していたのに、週に三日とはいえこうも小言が続けられると、文句の一つも言いたくなる、と言ったこともあった。それでも真一に対して本気で怒ったことは一度もない。

ようやくアトリエを出て着替えをするために自室へと向かう。移動するその間、柳はTシャツと短パンを脱いでポイポイとその場に脱ぎ捨てる。
「何度言わせるんですか。脱いだものは部屋まで持って行ってください」
「真一が拾えばいいじゃないか。すぐ後ろにいるんだし」
「そういう事じゃないんですよっ」
真一の言葉に返事をせずに、柳は自室に入り戸を閉めた。
(まーーーーったく!)
柳の来ていたTシャツと短パンを拾い集めて、真一はため息をつく。手にしたその衣服は汗でしっとりしていた。

そんなことがあっても夕食の時間には二人、何事もなかったかの様に食事をする。無言の食事に真一のほうが慣れてきて、箸が食器を鳴らす音と、汁物をすする音だけが食堂に響いていた。
日本画家だし、着物を着るくらいだから和食がいいのだろうと思って、気を使って和食メインにしていた頃があったが、ある日柳が『老人の食卓か』などと言ってきたので洋食、中華などなど真一はレパートリーを増やした。
「いただきます」
食事の際、柳は必ず手を合わせる。
『いただきます』『ごちそうさま』はっきりと言ってもらえると、料理を作った者としては嬉しくなる。
(そういうとこは、義理堅いよなあ)

柳が真一の分まで食費を出してくれているため、少しでも材料費を浮かそうと真一は考えて、食材は宅配をやめて、街の商店街に買い出しに行く様にしていた。
少し距離はあるが、いい運動にもなるし、何より商店街の雰囲気がよくていつの間にか通うのが楽しくなっていた。

「ちょっと、雛野くん! 顔真っ赤になっとるよ! ちょっと待っとき、冷やしタオル持ってくるけん!」
屋敷から買い出しに来た真一の顔を見て、八百屋『サイトウ』の女性店員、斉藤が(オバちゃんと真一は呼んでいる)慌てて、そう言った。
「今日暑いから……」
奥に引っ込んだ斉藤は濡らしたタオルを持って来て真一に渡す。酷暑の中ですっかり茹ってしまった頭や顔をタオルで覆うとヒンヤリする。こんな中、帽子も日傘もせずに歩くなんて、自殺行為じゃ! と斉藤はブツブツ言っている。
「ありがとうございました。ええと何にしようかな……」
「ほら、そこ座って。麦茶でも飲みな」
差し出された麦茶の入ったコップを受け取ると、キンキンに冷えていて思わず頰に当てる。まだ熱を持っている顔がだんだんと冷やされて行く。
頻繁に買い出しに行く様になって、商店街の店主や店員に顔を覚えられる様になった。昔ながらのこの商店街は、馴染みのお客と店員の距離がまるで友達の様に近い。時には安くしてくれたり、時にはお茶を出して来て長話することもある。近所にスーパーもあるのだが、それでのこの商店街が寂れることなく続いているのは、そのお陰だろうか。

「ゴーヤチャンプルとかどうかね? 総ちゃん、夏バテするけん、気をつけてやってね」
斉藤はゴーヤを商品棚から取り出して、真一の持っている籠へ入れた。昔からあるこの八百屋はまだ柳の両親が健在だった頃、母親とよく一緒に来ていたらしい。なので、幼少から学生時代の柳をよく知る斉藤は柳を『総ちゃん』と呼ぶ。
「夏バテにはもってこいですもんね。俺も大好きで」
真一は麦茶を飲みながら財布を取り出し、代金を渡す。夏になるとあの苦いゴーヤを無性に食べたくなるのだ。

「豚肉を入れるか、スパムを入れるか迷うところですよねえ」
真一がそういうと斉藤が笑った。
「そういや、泉くんもそんなこと言いよったわ。総ちゃんはどっち派か分からんって」
「イズミ……?」
斉藤の言葉から知らない名前が出て、真一はキョトンとした顔を向けた。斉藤はすぐに手を口に押さえて『しまった』という様な顔をしたがすぐに笑顔になった。
「総ちゃんは、豚肉入れるほうが好きなんよ」
するりと話を変えられて、お釣りを渡された真一。何だろうと違和感を感じたが、言いたくないことなら詮索しないほうがいいなとそれ以上、聞かなかった。
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