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似紫の境界線
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「土下座なんて、しないで!」
真一が慌てて柳の腕を取り、身体を立たせる。まさかの柳の告白に、真一自身も混乱していた。
数ヶ月も「騙された」と怒るべきなのか、柳がこれほどまで自分を想っていてくれたことに、素直に喜ぶべきなのか。
ただ言えるのは……
「自分が好きな人に、好きでごめんって土下座される方の身になって」
真一は柳の身体を抱きしめた。強く、強く。今までの想いを柳の身体に分からせるかのように。真一は長く抱いていた。
「でも俺、酷いことしてた。とうてい、許されないし、このままじゃ俺……」
涙が止まらない柳。真一はため息をついてぽつりと呟く。
「……それは確かに、辛かったけど」
この数ヶ月のことを思うと確かに、早く言ってくれていたらと思うのだが、何よりも今こうして泉を演じなくても柳が離れないという嬉しさの方が上だ。
そう、雛野真一として柳の側にいていいという幸せ。
それを掴んだのだから、もう言うことなんてない。
「柳さんが、どうしても気が済まないのなら……、一発、殴らせて」
身体を離れて、真一が微笑むと、涙でぐしゃぐしゃになった顔の柳はその提案にゆっくり頷く。
「それくらいで、いいの」
「好きな人を殴るんだから、大したことだよ」
やがて柳は目を瞑る。殴られる覚悟を決めたようだ。真一は柳の眼鏡を外し、テーブルに置き、そして拳を握る。
「いくよ」
一言、声をかけると柳がビクッと身体を揺らす。しかし柳が想像した衝撃は起こらなかった。
真一が出したその拳が柳の右頬を殴ったが、押し付けたくらいのほんの軽く当てた程度だったからだ。
気が抜けた柳が目を開けると、真一が泣き笑いのような顔を見せて言う。
「俺が優しくて、良かったね」
それから一週間後。真一は柳の作品を持って『Hinagallery』を訪れた。律子は喜んで、その作品二つを眺める。
「こういう構図で並べるなんて、待った甲斐があったわね。さすが柳先生」
本当は当初描く気なんてなかったんですよ、と言いたくてたまらない真一はこころの中で笑った。
テーブルに置かれた、律子の淹れてくれたコーヒーを飲みながら、近況を語った。そして柳の屋敷でこのまま暮らすことを告げる。
「こっちには通ってくれるのね。先生の家から」
「はい。少し遠くなりましたけど」
律子は何故、柳と暮らすようになったのかを深く聞かないが勘のいい律子のことだ、恐らく二人の関係に気がついているだろう。
「先生が訳ありなのは分かったでしょう? でももう大丈夫ね、真一くんがいるから」
「……はい」
「ふふ。大丈夫なら、聞いて欲しいんだけど。あの屋敷に住んでいたのは、私の友人の弟なの」
「えっ! 泉さんをご存知なんですか」
真一は思わず声を荒げた。まさか、律子が泉を知っているなんて……。
「直接、彼に会ったことはないし、どんな子かは知らないのよ。それに……もう会えないから」
その言葉に体が震えた。嫌な予感しかしない。
「昨年、亡くなったの」
真一は思わず目を閉じた。斉藤に泉が伝えた『時間がない』。やはり、としか言いようがなかった。
「彼女とは長い間疎遠だったんだけど、私が画廊を経営していることを知ったそうで、久しぶりに連絡があってね。柳先生を知っているかって聞かれたわ」
少し寂しそうに呟く。
「もし会うことがあればこれを渡して欲しいって」
律子はそっと封筒一枚を真一に渡す。表には『柳総一郎様』と書かれていた。姉である律子の友人は藁をも掴む気持ちでこの手紙を律子に託したのだろう。
真一はその便箋を受け取り、鞄の中に入れる。
「それを渡すかどうかは、真一くんにまかせる。貴方が判断してちょうだい」
「律子さん……」
その時、来客を告げるドアチャイムの音がして、律子は立ち上がった。ふっと律子は優しく笑い、真一の頭をポンと撫でた。
***
それから二人はあの屋敷で暮らしている。
いつか真一が妄想した通りに、緑から陽の光が入るアトリエで柳が創作を行い、隣で真一は小説を読む。
最近の柳の作品は、優しく色がついており、評価は以前より高くなっている。数ヶ月後にはパリで個展があり、一緒に向かう予定だ。
ただの同居人としてではなく、恋人として。柳のそばにいる事が、真一は何よりも嬉しく思う。
そして、今。
海の見える墓地に柳と真一は立っていた。
春の風はまだ少し冷たくて、身震いしてしまう。
「泉はここにいるんだな」
一つの墓の前で、柳がそう呟いた。そっと墓石にふれて神妙な顔をする。
泉の姉である律子の友人に連絡してもらい、彼が眠る墓地を二人で訪ねた。
律子から封筒をもらった日から、一ヶ月経ってようやく真一は柳に真実を告げた。
泉が病に侵されていたこと。出て行ったのは柳に心配をかけまいとしたこと。律子の友人の弟が、泉だったこと。最後まで渡すべきか悩んだ封筒はその時に渡した。
そこに書かれてた右上りの文字。
『僕はきみと出会えて幸せだったよ。願わくば他の誰かと幸せに』
結局、真一が思っていたような柳を陥れるような思想は泉になかった。
泉に、屋敷に捕えられていたのは結局柳の頑な意思。泉はずっと柳の幸せを願っていたのだ。
その手紙を柳から見せてもらった時に、自分の心の醜さに悔やんだ。
そして手紙にはこんな言葉があった。
『ただ一つ、僕の誕生日には僕を思い出して欲しい』
それを見た二人は泉の誕生日である三月五日に、毎年墓参りをしようと決めた。
きっと泉は悔しかったに違いない。柳を残して逝ってしまう自分。柳を幸せにできない自分に。真一がその立場だったとしても、きっと柳から離れて、一人で逝ってしまうだろう。遺された方は、たまったものではないけど。
(ひょっとしたら俺は泉に似ていたのかもしれない)
本紫に似せた似紫。泉に似せた真一。
どちらもオリジナルを超えて愛されている。
境界線なんてあってないようなものだ。
「泉、久しぶりだね」
そう柳が言うと、海から風がさぁ、っと吹いた。まるで泉がよく来たね、と返事をしたかのように。
風の冷たさに思わず震えた柳の身体を、真一はゆっくりと抱き寄せた。
【了】
真一が慌てて柳の腕を取り、身体を立たせる。まさかの柳の告白に、真一自身も混乱していた。
数ヶ月も「騙された」と怒るべきなのか、柳がこれほどまで自分を想っていてくれたことに、素直に喜ぶべきなのか。
ただ言えるのは……
「自分が好きな人に、好きでごめんって土下座される方の身になって」
真一は柳の身体を抱きしめた。強く、強く。今までの想いを柳の身体に分からせるかのように。真一は長く抱いていた。
「でも俺、酷いことしてた。とうてい、許されないし、このままじゃ俺……」
涙が止まらない柳。真一はため息をついてぽつりと呟く。
「……それは確かに、辛かったけど」
この数ヶ月のことを思うと確かに、早く言ってくれていたらと思うのだが、何よりも今こうして泉を演じなくても柳が離れないという嬉しさの方が上だ。
そう、雛野真一として柳の側にいていいという幸せ。
それを掴んだのだから、もう言うことなんてない。
「柳さんが、どうしても気が済まないのなら……、一発、殴らせて」
身体を離れて、真一が微笑むと、涙でぐしゃぐしゃになった顔の柳はその提案にゆっくり頷く。
「それくらいで、いいの」
「好きな人を殴るんだから、大したことだよ」
やがて柳は目を瞑る。殴られる覚悟を決めたようだ。真一は柳の眼鏡を外し、テーブルに置き、そして拳を握る。
「いくよ」
一言、声をかけると柳がビクッと身体を揺らす。しかし柳が想像した衝撃は起こらなかった。
真一が出したその拳が柳の右頬を殴ったが、押し付けたくらいのほんの軽く当てた程度だったからだ。
気が抜けた柳が目を開けると、真一が泣き笑いのような顔を見せて言う。
「俺が優しくて、良かったね」
それから一週間後。真一は柳の作品を持って『Hinagallery』を訪れた。律子は喜んで、その作品二つを眺める。
「こういう構図で並べるなんて、待った甲斐があったわね。さすが柳先生」
本当は当初描く気なんてなかったんですよ、と言いたくてたまらない真一はこころの中で笑った。
テーブルに置かれた、律子の淹れてくれたコーヒーを飲みながら、近況を語った。そして柳の屋敷でこのまま暮らすことを告げる。
「こっちには通ってくれるのね。先生の家から」
「はい。少し遠くなりましたけど」
律子は何故、柳と暮らすようになったのかを深く聞かないが勘のいい律子のことだ、恐らく二人の関係に気がついているだろう。
「先生が訳ありなのは分かったでしょう? でももう大丈夫ね、真一くんがいるから」
「……はい」
「ふふ。大丈夫なら、聞いて欲しいんだけど。あの屋敷に住んでいたのは、私の友人の弟なの」
「えっ! 泉さんをご存知なんですか」
真一は思わず声を荒げた。まさか、律子が泉を知っているなんて……。
「直接、彼に会ったことはないし、どんな子かは知らないのよ。それに……もう会えないから」
その言葉に体が震えた。嫌な予感しかしない。
「昨年、亡くなったの」
真一は思わず目を閉じた。斉藤に泉が伝えた『時間がない』。やはり、としか言いようがなかった。
「彼女とは長い間疎遠だったんだけど、私が画廊を経営していることを知ったそうで、久しぶりに連絡があってね。柳先生を知っているかって聞かれたわ」
少し寂しそうに呟く。
「もし会うことがあればこれを渡して欲しいって」
律子はそっと封筒一枚を真一に渡す。表には『柳総一郎様』と書かれていた。姉である律子の友人は藁をも掴む気持ちでこの手紙を律子に託したのだろう。
真一はその便箋を受け取り、鞄の中に入れる。
「それを渡すかどうかは、真一くんにまかせる。貴方が判断してちょうだい」
「律子さん……」
その時、来客を告げるドアチャイムの音がして、律子は立ち上がった。ふっと律子は優しく笑い、真一の頭をポンと撫でた。
***
それから二人はあの屋敷で暮らしている。
いつか真一が妄想した通りに、緑から陽の光が入るアトリエで柳が創作を行い、隣で真一は小説を読む。
最近の柳の作品は、優しく色がついており、評価は以前より高くなっている。数ヶ月後にはパリで個展があり、一緒に向かう予定だ。
ただの同居人としてではなく、恋人として。柳のそばにいる事が、真一は何よりも嬉しく思う。
そして、今。
海の見える墓地に柳と真一は立っていた。
春の風はまだ少し冷たくて、身震いしてしまう。
「泉はここにいるんだな」
一つの墓の前で、柳がそう呟いた。そっと墓石にふれて神妙な顔をする。
泉の姉である律子の友人に連絡してもらい、彼が眠る墓地を二人で訪ねた。
律子から封筒をもらった日から、一ヶ月経ってようやく真一は柳に真実を告げた。
泉が病に侵されていたこと。出て行ったのは柳に心配をかけまいとしたこと。律子の友人の弟が、泉だったこと。最後まで渡すべきか悩んだ封筒はその時に渡した。
そこに書かれてた右上りの文字。
『僕はきみと出会えて幸せだったよ。願わくば他の誰かと幸せに』
結局、真一が思っていたような柳を陥れるような思想は泉になかった。
泉に、屋敷に捕えられていたのは結局柳の頑な意思。泉はずっと柳の幸せを願っていたのだ。
その手紙を柳から見せてもらった時に、自分の心の醜さに悔やんだ。
そして手紙にはこんな言葉があった。
『ただ一つ、僕の誕生日には僕を思い出して欲しい』
それを見た二人は泉の誕生日である三月五日に、毎年墓参りをしようと決めた。
きっと泉は悔しかったに違いない。柳を残して逝ってしまう自分。柳を幸せにできない自分に。真一がその立場だったとしても、きっと柳から離れて、一人で逝ってしまうだろう。遺された方は、たまったものではないけど。
(ひょっとしたら俺は泉に似ていたのかもしれない)
本紫に似せた似紫。泉に似せた真一。
どちらもオリジナルを超えて愛されている。
境界線なんてあってないようなものだ。
「泉、久しぶりだね」
そう柳が言うと、海から風がさぁ、っと吹いた。まるで泉がよく来たね、と返事をしたかのように。
風の冷たさに思わず震えた柳の身体を、真一はゆっくりと抱き寄せた。
【了】
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----------
※注)
かっこいい攻はいません。
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貴族描写は緩い目で雰囲気だけお読みいただけると幸いです。
ハッピーエンドです。
激重感情をこじらせた攻→受な関係がお好きな同志の方、どうぞよろしくお願いします!
全16話 完結済み/現在毎日更新予定
他サイトにも同作品を投稿しています。
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※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
丁寧なご感想をありがとうございます!書きたかったこと、伝えたかったことを全て読み取っていただけて嬉しいです。真一が柳と出会ったのも、偶然のようで必然だったのかもしれませんね。それは泉が呼び寄せてくれたのかも。
読んでいただき、ありがとうございました!
切ないなあ。柳さんは泉さんと真一くんのどちらを見ているのか。苦しいけど狂おしいほどの思いなんだなあ。
切ないですよね。真一か泉か、どちらでしょう……続きをお楽しみに!