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西ノ仁

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 夢の中に  
都心部より少し離れた郊外、緑に囲まれ白く大きな建物がみえる。
至る所に満開の桜が、美しくさいている。建物の正門には、東都大学付属病院の看板が、中に入ると昼時で春の温かさの為かはたまた、桜の花が見どころの為か、看護師や入院患者、医師などが思い思いに桜の木の下に集まっていた。そこから離れて、病院の一室を覗くと椅子に凭れ白髪の多い頭を後ろのコピー機に乗せてうたた寝している初老の男がいる。白衣を着ているがネクタイをゆるめ、どことなくだらしなく見える。白衣の胸元には橋本と付いたネームプレートが見える。る
その男性は、メガネをオデコに乗せ時折大きく口を開けゴォーゴォーと鼾を掻いている。
彼の机の上の写真立てには、白衣を着た数人の外国人と一緒に彼が写っている写真が置いてある。写真立てに、(ノーベル平和賞脳神経映像学会)の文字が刻み込まれている。    
暫くすると、ドアのノックの音が聞こえたが椅子の上の人物は目を覚まさない。かまうこと無くドアが開き、一人の若い女性が入って来た。
手に資料らしき物を抱え寝ている、男性を見つけると。「もう」と呟いた。
 「先生、先生、橋本先生」と大きな声で起こし始める。橋本は片目を開けた。
「なんだ、新田君か」
そう言って起き上がろうとした時、間違って自分の頭でコピー機のスタートボタンを押してしまった。コピー機が音を立てて動き始めた。
「あら、あら」新田は呆れたようだ。
橋本は慌てた。
「まったく、先生は」
新田が近づき、コピー機を止めた。
「なんだじゃないです、先生もうお昼は過ぎています」新田の機嫌は良くない。
そして、手に持つているA4サイズの資料を橋本の机の上に置いた。
「先生、新しいモニター志望の患者さんの娘さんが面会に来ています」
新田はそう言うと資料の一部を抜き取ると橋本に渡した。橋本は、オデコのメガネを掛けると渡された資料を読み始めた。
「浜田とよ、年齢は82才で、依頼して来たのが娘さんの浜田愛さんか」
「そうです、お会いしますか」
「もちろん、会いましょう」橋本は、そう言うと新田と並んでその部屋を出た。
二人が、出た部屋には、(脳科学映像システム研究チーム)の看板が掛かっていた。
二人は、面会室と言う札がある部屋に着くと橋本は曲がっているネクタイを直し面会室のドアを開けた。
中に若い女性がソファに座って、橋本と新田が入ってくると立ち上がり軽く会釈をした。
「お待たせしました」
橋本は、そう言うと片手で頭を掻き始めた。
「先生」新田が慌てて諫めた。
「どうも、どうも」
頭を掻くのがどうも橋本の癖らしい。
それを見て若い女性はクスと笑った。
「橋本と言います、新田君からお母様の資料をもらいました。まあ、どうぞお座り下さい」
「浜田愛と申します、宜しくお願いします」
浜田と新田は対座して応接用の椅子に浜田愛はそのままソファーに三人同時に座った。
「それでは、本題に入ります」と新田が0話をはじめる。
橋本は手に持っている資料をみている。
「お母様は、現在82才の高齢で肺を患って当病院に入院中。担当の林先生からは早めに試験をするようにと指示がありますが」新田はゆっくりとした口調である。
「はい、あまり長くはないと先生から聞いています」
今度は橋本が訪ねる。
「そうですか、今回参加して頂くのにあたり、まだ、私どもは実験段階だと言う事を理解して頂きたいのですが。その点は如何ですか」
「はい、担当の林先生からも、そのことは聞いています」
「また、どの様な理由で今回の実験に参加を希望なさったのかお聞きしてもよろしいですか」
橋本の質問に浜田愛は直ぐに答えず少し間を置いて話し始めた。
橋本と新田は愛の言葉を待った。
愛が話し始める。
「私には、兄が一人います、その兄と私は5歳の時に離れ離れになりました。子供の頃の記憶ですが私は覚えています。兄は祖父母に引き取られ、私は母と過ごしました」
「お父様は」橋本が訪ねる。新田は、横でメモを取っている。
「父は、事故で亡くなったそうです」
こんどは、新田が訪ねる。
「お兄様はお母様の病気のことはご存知ですか?」
「はい、先月、兄に会った時に母の病気の話はしましたが兄は頑なに会う事を拒んでいます。私にはどうしても、あの優しい母が兄を手放すはずが無いと、何か他の理由があったのだと思えてならないのです。母が長く生きられないならば一度でいいから会って欲しいのです」
愛は、言葉を詰まらせた。
「そうですか、しかし、時間が余りありません、直ぐにでも実験に移りたいのですが」
橋本は、もう一度資料に目を通した明らかに肺が悪いようだ。
「はい、でもお願いがあるのですが兄にも見せたいのですが」
「しかし、お兄さまは来てくださいますか。そして、あなたが思っている事と違う答えが出るかもしれません、また、実験もうまく行くとも限りませんが」
橋本は、頭を掻きながらそう言うと愛の目をみた。
「それでも、かまいません」
愛の声が、小さくなった。暫くして、
「それでは、一週間後に準備をしたいと思いますが、映像に映るかどうか分かりませんがそれでもよろしいですか」橋本が念を押した。
「はい」こんどは、ハッキリした返事が愛から聞こえる。
「もう一つ、あなたのお母様が思い出し易い言葉、そうキーワードを考えて下さい」
「キーワードですか」
「ええ、お母様の記憶と結びつく言葉です」
「はい、分かりました」
「それでは、お兄様が来てくださるといいですね」新田がそう声をかけた。
浜田愛は頭を深くさげた。二人は浜田愛の面会を終えると実験室に向かった。
橋本と新田が、廊下を歩きながら話をする。
「本日の患者さんは吉田さんです」新田がファイルを読みながら橋本に伝える
「確か昨年交通事故で意識が戻っていない患者さんだったね」
「そうです。奥様の依頼です」
「担当は、脳神経外科の関先生だつたね、先生は何と言っているのかね」
「はい、奇跡でも起こらない限り意識は戻らないと。関先生は言っています」
そう言うと新田は資料のファイルを、パタリと閉じた。
「脳死じょうたいか」橋本が呟く。
二人が実験室に入ると、吉田の妻の恵理子が待っていた。橋本と新田が部屋に入るとすぐに立ち上がり軽く頭を下げた。
ガラス張りの実験室が隣にある。
中には、研究チームの助手が二名と吉田の担当医師の関先生がいて、関の傍に人工の呼吸機を付けた吉田が寝ていた。
研究チームの一人は黒縁のメガネを掛けて細身で白衣をキチンときている、真面目そうな青年で胸のネームプレートには田崎と書いてある。もう一人は、小太りで白衣の前を開けネクタイを緩めながら机の上のパソコンをセットしていた。白衣の胸に山口の名前がある。
橋本は、その二人を横目で見て頭を掻きながら吉田恵理子に話かける。
「先日、お話した様にこの装置は脳内の神経伝達の信号を拾い、映像に変化させる機械です。何らかの神経経路の動きが継続的にあればそれを捕らえる事が出来るのですが、ただ」橋本は、そこで話を止め言い難いのか頭を掻いた。恵理子は、橋本の思いを察したのか「はい、関先生からも、主人は脳死状態なので呼吸はしていますが」そう言うと言葉を詰まらせた。少し間を置いて恵理子は話を続けた。
「ただ、私もこれから先どうして良いか私自身が分からないものですから」
恵理子は、疲れた声で顔を下にむけた。
「そうですね、このままでは」
新田が横から声をかけた。
恵理子がその言葉に頷いてまた話はじめる。「関先生から、今回の実験で反応が無ければ諦めて下さいと」
「そうですか」
橋本は、そう言うとまた頭を掻いた。
その間に、吉田の身体は担当の関と二人の助手によつて実験用機械に移された。ドーム状の筒の中に吉田の頭が入っている。
「先生、準備が出来ました」
助手の山口が声をかけた。
「分かりました。それでは始めましょう。
私たちは、モニターで確認します」
三人はモニターの前に座った。
山口が実験室の明かりを落とした。
と同時に患者の頭のドームが光だした。
モニターの画像は、砂嵐の様に何も映っていない。
「奥さん、何か御主人に言葉を掛けて下さい、このマイクで」
新田は、そう言うと恵理子に近くのマイクを渡した。
恵理子は、そのマイクに向かいゆっくりと話はじめた。
「あなた、聞こえますか、聞こえたら私の声が聞こえたら」
恵理子の声が実験室に広がった。だが、モニターの画像には何も映らない。
橋本が、「他に何か違う言葉を」と声を掛けた。恵理子は、橋本の言葉に頷く。
「あなた、私も娘の純もどうしてあげたら良いのか、どうか、どうか思い出して下さい」恵理子はそう言うと声を詰まらせた。
モニターを橋本達は、食い入るように見ている。しかしながら、画面には何も映らない暫くすると、恵理子は絞り出す様な声で。
「先生、ありがとうございました、もう」
そう言うのが精一杯であった。
橋本も、諦めた様子だ。
「分かりました、今回の実験はこれで」
橋本がそう言うと実験室の山口が声を上げた。
「先生、反応がありました」
脳波計の音が実験室に響いた患者の寝ているド‐ム状の筒が七色に輝き出した。「もしかしたら」
橋本が唸る。恵理子も新田もモニターを食い入るようにみる。
「先生もう直ぐ映像が映ると思います」
山口の興奮した声が聞こえた。
白黒の砂の様なモニターの中央に小学生の娘だろうか、ぼんやりと浮かび上がった。
恵理子には直ぐにその影が誰だか分かった。「娘です」小さな声で呟く。
橋本も新田も、その声に頷く。白黒の映像はまだ
続いた傍に妻の恵理子と吉田本人の様な人物がソファーに座り楽しそうに話している様だすると小女がリコーダーを吹きはじめた。そして何処か間違えたのだろうか笛を口から離すと小さな舌をだして笑った。
吉田が首を振り、もう一度と指を一本だした。恵理子もそれを見て笑っている。
「お父さん」恵理子は、泣きそうな声だ。
「うんうん」担当医の関も嬉しそうに呟く。橋本と新田達スタッフは笑顔だ。
関と恵理子は希望の光をみた。
 
  オフィスの電話が鳴った。
机の上の名札に、営業部長倉田光一の名前がある。光一がその電話を取る。
「はい、倉田です」
受付からの電話である。「ええ、浜田愛が面会に」倉田の顔が曇る。
「分かりました、そちらに参ります」
浜田愛は受付で待っていた。倉田の顔を見つけると軽く会釈をした。
「ここでは何だ、外にでようか」
喫茶店で二人が向かい合って座ると倉田が先に話掛けた。
「久ぶりだな、あの人の話かい」
「そうです、母の話です」倉田は、愛の言葉に渋い顔になった。
「君にとっては母親だが僕には何の関係もない人だ」
愛は、一瞬悲しそうに目を伏せたしかし、再び倉田の目を見るとゆっくりと話し始めた。
「そうですか、でも母は会いたがっていると思います。母の病は重く、何時亡くなるか分かりません、あまり口も聞けなくなって、時々目を覚ましますが、あまり意識がありません。しかし眠っている時、お兄さんの名前を言っています。ですから一度でいいです会ってください」
倉田の顔が変わった。
「きみは、あの母親が僕にした事を知ってるだろう」
「私は、幼い時でした」
「ああ、君は覚えていないだろうが私は覚えているいまでも私は、捨てられたんだそうだろう、あの時、いや、もういい私は会うつもりは無い」倉田は口を閉じた。「お願いです、母は決してその様な人ではないのです。何か事情があったのだと思いますですから、一週間後に最後の検診がありますもしかしたら、母の意識があの時の事が分かると思います。ですから、顔だけでも」愛は必死だった。
「いや、もう私には妻も子もいるし、育ての親の祖父や祖母も死ぬまでその話はしなかった。そうゆうことだ、もう帰ってくれ」
「でも、お兄さん」
倉田はその言葉を聞かずにテーブルの伝票を取るとレジへ急いだ。
愛はその場に立ち竦んだ。
倉田は、家に帰ると妻の沙都子に浜田愛に会った事を伝えた。「今日、また浜田愛が会社にきたよ,あの母親に会えと」
沙都子はその話を聞くと光一に詰め寄り。
「あなたはなぜ、お母様に会ってあげないの」食事の準備をしながら沙都子の声は少し高くなった。中学生の娘が心配顔で母親を見ていた。
「おれを、捨てた母親だよ」
倉田が呟く。沙都子はその言葉に食事の支度を止めて倉田に向き合うと。
「何を、いつてるの産みの母親でしょう。
私や娘が、あなたの最後を見ないと言ったら。たかが、お母様に会うくらい何なの妹さんも最後だと思うから、親が子供を手放すのは何か訳があるからよ」
「そうかな、あまり気が進まないな」
倉田は夕食の箸を動かしながら食事をしている。
実験の当日、 病院に倉田と沙都子の姿があった。
「あのー」
倉田は病院の受付で、浜田とよ子のことを訪ねた。暫く二人が受付に居ると浜田愛が向かいに来た。妻の沙都子が先に近ずく。
「始めまして、沙都子です妹さんの愛さんね目元が主人にソックリね」
沙都子の話し方で愛は嬉しそうだ。
「はい、今日はほんとにありがとうございます」
光一は、妻の後ろでにが笑いである。
「挨拶は後で、お母様は」
「はい、母はこれから、橋本先生の脳神経の実験を行います」
「私達も、その実験に立ち合てもいいですか」
「はい是非お願いします」
「お父さん」沙都子が、光一に声をかける。倉田が近ずく。
「会うだけだ」
そう光一が言うと、愛が頷いた。
三人は、実験室に向かう。
実験室に入ると、部屋の中は薄暗く白衣を着た先生たちがそれぞれの位置で機械を操作していた、中央に33インチ位のモニターが置かれている。
「これは」光一が愛に質問した。
「いま、母の夢をモニターに映そうとしています」愛が答える。
「夢を」倉田夫婦が驚く。
「そうです」橋本と新田が、実験の手を止めて、倉田に声を掛けた。
「こちらが、橋本先生と新田先生です」
愛が二人を紹介した。
「橋本です。この実験は、患者さんの脳神経に入り込み、記憶や患者さんが今見ている夢をモニターに映しだています。愛さんの依頼で昔の記憶を探しています」
「もしかすると、ぱぱのことを」
妻の沙都子が、橋本に尋ねた。
「そうです、その頃の記憶を探しています」
「そう、何か解ればそうよね」
妻は光一の顔をみた。
「今更、知っても」光一が呟く。
「私も、知りたいのです、母と兄さんの事」愛も光一の顔を見る。
「この人は、たぶん真実を知る事が怖いのです。そうでしょ」
「そうじゃない」光一は少し怒ったようだ。「なんだか、愛さん何を聞いても何を見ても私達はおどろかないし、お父さんも覚悟は出来ているはずそうでしょ」
「ああ」光一は妻の言葉に軽く答えた。
 「もし良かったら、光一さんがお母様に声を掛けて下さい。その言葉が、患者さんのキーワードに成ると思います」
新田が光一に説明をするが光一はその言葉に返事をしないので沙都子が、「お父さん」と催促をした。
しかし、光一は「うん」と言うだけである。
「わたし聞きます」
愛がそう言うと、マイクに近ずいた。
橋本は、助手達に合図を送る。
実験室の部屋が、一段と暗くなる。
モニターには、色々な画像が次々と映しだされていた。「これは」光一が訪ねる、光一が見ても理解出来ない。ただ、男性の顔が映しだされた時は、「父だ」と一言、光一が反応した。
「私は、父の事は覚えていません」
橋本は、その言葉を聞いて助手の山口に
 「その画像を止めて下さい」
と指示をだす。
モニターに男性の顔が大きく映し出された。
「この方ですね」
光一が頷く。
「そうだよ、君はまだ幼い時に父は事故で亡くなったが私は覚えているよこの人が私達の父親だ」
愛はこの映像を見ながら呟いた。
「この人がお父さん」
「続けていいですか」
橋本が訪ねた。
「はい」光一が返事をする。
今度は新田が合図をする。
映像が再び動き出すが直ぐにとぎれた。橋本が、ゆっくりとした言葉で話はじめた。
「何か見たい映像がありますか、お母様が反応するかどうか分かりませんが、何か言葉を掛けてください」
愛がマイクに近っく、そして、小さな優しい声で話し始めた。
「お母さん私、愛よ。今日は、光一兄さんが来てくれたの分かる。お母さん会いたがったでしょう」
愛の目に涙が光った。
部屋の人達がモニター画面に集中する。
途切れた映像が再び動き始めた。
暗がりの中に三人の影が映る。そして、少し離れた所に幼い小女と、5歳位の男の子が映し出され、二人とも寝て居る。
光一はその画像をみて、直ぐに、
「母と、祖父母だ」と呟いた。
若い母親が、二人の前で平伏している。そして、何度も何度も、頭を下げていた。
声が聞こえた。
沙都子が驚いた。「声も聞こえるのですか」橋本が答える。
「はい、たぶん脳の一部で、その時の怒りや喜びなど烈しい感情の高ぶる言葉に反応して記憶としても残しているのだと思います。
そして、潜在意識の中から出てきたのでしょう。たぶんこの時のお母様は、この会話を忘れないでしょう」
「二人とも私が育てます」母の声が聞こえた。しかし、祖父母の顔は怒りに満ちている。しきりに顔を横に振りながら若い母親に抗議している様だ。
「あなたには、すまないが、私の息子が死んで私達の跡取りがいない、だから孫の光一だけは引き取ります」
「いいえ、どんなことが有っても私が育てます」
母の叫ぶ様な声が聞こえた。
そして、映像がとぎれた。
「先生、ここまで分かるのですか」
光一が橋本に尋ねる。
「はい、たぶんお母様はこの会話のやり取りが、頭から離れないのでしょう」
橋本が、光一に説明する。
「もう少し、聞く事があると思いますが患者さんの負担を考えますと、もうこれ以上は実験は続けるのは」
愛が橋本の言葉に頷いた。
「あなた」
沙都子が光一に声を掛ける。
光一は、その声に答えず橋本に尋ねる。
「隣の部屋へ行っていいですか」
「ええ、でも患者さんはまだ、薬で眠っていますが」新田がそう答えると、橋本が
「どうぞ」と隣のドアを開けた。
光一が中にはいる。
「私も行くは」妻も後を追う。光一は中に入ると母の手を取る。
「あの時、僕は追いかけたのにお母さんは振り向いてくれなかった。でも、やっと会えたね」
 沙都子も、光一の後ろから母親に声をかねた。
「妻の沙都子です、これからもよろしく」愛はその姿に涙ぐんだ。
光一は、母の後を、大きな草履を履き大きな声で呼んでいた幼い自分を見ていた。
(お母さんどこに行くの僕も行く僕も行く。僕も行く)
しかし、光一の身体は祖父の両手で押さえられ身動きが出来なかった。
母は、振り向かないその事が光一の心に残っていた。
「今、分かったよ、お母さんは振り向けなかったんだね。僕も親になってあなたの気持ちが少しわかるよ」
光一は、小さな声でいった。
「母も、子供の頃両親がいなかったそうです。やはり祖父母に育てられたそうです。
ただ、その祖父母も亡くなり。私を女で一つで育ててくれました。しかし、兄の事も自分の事も母は何も話しませんでした。でも、私にはいっも笑顔で接してくれました」沙都子は、ベットに寝ている母親の手を握りながら。
「天国まで、この事を持って行くつもりだったんだわ、本当に強い人だわ」愛は涙が止まらなかった。

病院の表玄関に、一台の黒塗りの高級乗用車が止まった。運転手が降りるとすかさず後部ドアを開いた。中から三十代位の青年が黒のスーツ姿で降りて来る。
「お坊ちゃま、こちらですお父様の病院は」
「そうか、黒田さん、橋本と言う医師を探せ」傲慢な態度である。
 突然橋本の、研究室のドアがあいた。
「あんたが、橋本先生か」
研究室に居た橋本も、三人の助手も突然の事に
驚いている。
「どなたですか」
新田が怪訝な顔で言うと。
「俺かこう言うものだ」
そう言って名刺を新田に差し出した。
新田は、その名刺を声を出して読んだ。
「株式会社、取締役社長、山本一郎」
新田の声は、嫌そうに聞こえた。
「何の御用ですか」
こんどは、橋本が訪ねた。
「先生、おれの親父の夢、いや、親父に聞きたい事があるんだあんたの実験で病人の夢が分かるんだろう、頼むから俺の親父を見てくれ」
「それは、出来ますがお父様の病室とお名前、そして、親族の同意が必要ですが。
「ああ、おれの親父は山本達夫、いまこの大学病院の503号室で寝ているよ。脳血栓で倒れたんだ」
橋本が、新田の方へ顔を向けた。
新田は橋本の顔を見ると小さく頷いて研究室を出た。
研究室に残された三人は山本の話を聞いている。
新田がカルテを抱えて研究室に戻ると、山本の姿はもう無かった。
「まったく失礼な奴ですよね、先生」
助手の田崎が言い放った。
そして、田崎は新田に話す。
「新田先生、先程の男の話なんですが、なんだか、親の財産の事を聞きたいみたいです」
こんどは山口が話を付け加えた。
「長々と橋本先生と話をしていたのですがどうも、本音は田崎さんの言う通り嫌な奴で親の金の在りかを知るのが目的見たいです。先生は頭を掻きながら聞いていましたが」
「そうなの、まったく」
新田はそう言うと持って来たカルテを机の上に置いた。わ
橋本はそのカルテを手に取ると立ながら読み始めていた。
「先生どうするんですか」
田崎が橋本に尋ねる。
「どうするて」橋本はまた頭を掻き始めた。「先生は、来週にも実験をするみたいです」山口が、橋本の代わりに答えた。
「なんで、あんな人の為に」
新田が悔しそうに呟く。
「まあ、そう言わないで、我々の実験の為だから」
橋本は、カルテうをテーブルに置くと。また頭を掻き始めた。
新田は、まだ何かいいたそうだ。
田崎と山口は、心配そうである。

橋本が、実験室へ入って来た。中に山本
ともう一人小太りの女性が一緒に居た女性は派手な装飾品を身に着けていた。
新田が橋本に、「御姉さんだそうです」
ぶっきらぼうに言った。
「そうですか、では始めます。山本さん、
何かキーワードを考えてきましたか、
説明は聞いていますか」
「うん聞いているよ。姉さん、俺が親父に聞いてみるようまくいくと思うよ」
山本がマイクに近ずく。
「親父、イサンだよイサン、どこに隠したんだい」
モニターの画面がチラズキ始めた。
山本とその姉が目を凝らして見ている。
しかし、モニターに映るのは数人の若い女性に囲まれて満面の笑みでお酒飲んでいる父親の姿だ。
「まつたく、お父さんたら」
娘が呆れた様だ。
「あきれた、夢の中でも酒と女かよ。親父、イサンだよ、イサンはどこに隠したんだ」息子は、語気を強めた。すると、突然映像が替わる。何か箱を取りだした。
「おお、姉さんあれだ、あれだよ、あの箱の中に通帳か何か入っているんだきっとそうだよ何だか姉さんに分かるか」
「さあ、お父さんが、普段大事にしているものじゃあないわね」
「見たことあるような、ないような」
映像では、箱を取り出し中から小さな袋を取り出すところが映る。
「何なんだよ、先生もっとハッキリ映らないのか手元が」
新田が呆れた口調で。
「まあ、これ以上はむりです」
と答えた。
さらに映像の中の山本は、取り出した袋から何か粉の様なものをのみ込んでいた。
新田は、それを見てくすと笑った。
「何だよ、なにがおかしいんだよ」
一郎は、不愛想に新田の顔をみた。
「イサン、詰まり胃の薬」
「薬」
一郎は、すっとんきょうな声をだす。
助手の二人が「ぷ」と噴き出してしまった。橋本も横から。
「胃薬、たぶんこの箱は、薬箱でしょう。
息子さんのイサンと言う言葉に反応したのでしょう。飲んでいるのは胃薬、飲みすぎですな」
新一はようやくその事を分かつたようだ。
新田と、助手の二人は笑いを堪えるのに必死である。
「あなたの言い方が悪いのよ」
姉がそう言うと新一は、むきになった。
「じゃあ、姉さんが言ってよ」
姉がマイクに近ずく。
「お父ちゃん、いま会社が危ないのよ財産とか他に有るんでしょ、助けてよ」
するとモニターの画像が替わった。
今度は、より鮮明に患者の山本の姿が、映し出された。
これには、新田と助手の二人が驚いた。そして、新田が橋本をみた。
橋本は、驚きもせず頭を掻きながら映像をみている。
映像から声が流れ出した。
「私の財産は。私の財産は」
突然呟き始めた。
「そうだ、おやじ」
二人は食い入るように映像をみる。
「私の財産は子供達だ」
と叫んだ。姉と息子の新一はガッカリと肩を落とした。橋本は、それ見て頭を掻きながらモニターを切った。
「ここまでです。患者さんの身体の事を考えるとここまでです」
「そうですか」二人とも気が抜けて居る様子である。
「財産は子供達だって、姉さん」
「まったく、お父さんたら」
そう言うと二人ともゆっくりと立上り、橋本に一礼すると研究室のドアを開けて廊下にでて行く。
助手の新田が、二人が出て行くのを見届けると、いきなりガシャと研究室のドアをしめた。
「先生、話が」新田は機嫌が悪い。
「え話し」橋本は気まずそうに頭を掻き始めた。
「そうです、田崎君、山口君、二人共こちらえ」橋本を三人が囲んだ。
新田が詰め寄る。
「いいですか、先生」
「はい」橋本が、すまなそうな顔でまた頭を掻く。新田は、続けた。
「脳映像の学会では、真実をありのままに見せる、そうですね、それが協会の規則ですよね」助手の二人も頷く。
助手の山口が「先生、最後の映像は余りにも鮮明ですね」
「そうだな」橋本は、言葉を濁した。
田崎が、そばの機械のボタンを押すと小さなデスクが出て来た。
「先生、これですね」
新田がそのデスク見る。
「田崎君、再生を」「はーい」
田崎が、そのデスクを再び機械の中に入れ直すとボタンを押した、先程の映像が現れた。何度も、「私の財産は、子供達だ、財産は子供達だ」と繰り返す。
新田はそれを止めながら。
「先生、これが学会に知れれば」
と橋本に詰め寄る。二人の助手も。
「そうです」と新田に同意した。
橋本は、たじたじである。
「君たちは、君たちは何が望みなんだ」橋本の顔は引き攣り、頭を掻き始め唸った。新田が微笑えんだ。そして、少しの沈黙が続くと新田が口を開いた。
「私は、ホテルで」と叫んだ。
「僕は、居酒屋で、飲み放題が」と田崎が言うと山口が。「そうですか、僕はやっぱり焼肉がいいと思います」と続いた。
「まったく君たちは食い気ばかりだなあ、まだ、給料日前だと言うのに」
田崎は頭を掻き始めた。
病院の玄関前に、先程の山本が姉と居た。
「何が、子供達が財産だ。しかし、今考えると、おやじは母が生きていた頃が楽しそうにみえてたね、姉さん」
「そうね、母さんとは本当に仲がよかったね。」
「子は、かすがいか」
山本はそう言うと、ため息を付いた。その、二人の前に黒塗りの車が止まり、運転手が降りて来た。
「社長、会長の具合は、如何でしたか」
と訪ねた。山本はその質問には答えす、
「黒田、いゃ黒田さん、親父の運転手に成って何年になる。」
「そうですね、先代の社長に拾われてもうかれこれ、四十年近くですか」
「黒田さん、親父が酒と女にうっつを抜かし始めたのは何時頃ですか」
「はい、やはり奥様が亡くなった頃だと思います。あの時の社長は可哀そうな位落ち込んでいましたから」黒田の言葉に、新一は頷いた。
「親父は、そのあと僕達の事は何か言ってましたか」
「はい、坊ちゃんなら、大丈夫だと何時も言っていました。二人の子供だけがわしの財産だとも」黒田は、そう言うと新一に深々と頭をさげた。
「子はかすがいか」姉が呟いた。
すると、新一が何か閃いたように。
「黒田さん、その車を売って下さい」
と黒田に命じた。
「え、売るんですか」
突然の言葉に、黒田が驚く。
「でも、社長どうやって帰るんですか」
「電車に決まっているでしょう、もう一度やり直してみます」新一は言い切った。
「はい、でも社長私の仕事が無くなってしまいますが」
「いえ、大丈夫ですあなたを首にはしません、
まだまだ、することが沢山あります手伝ってください」新一が黒田に頭をさげた。姉は傍で話を聞いていたが。
「そうね、私もこれを売るは」
そう言うと指輪を外した。
「新一頑張ってね私も応援するからさ、一所に帰りましょ、電車で」
黒田は嬉しい笑顔になった。
 四人が病院の外に出た、都内では珍しい程夜空が澄きって星が多く見える。
「先生、星がきれいですよ」
山口がそう言うと新田と田崎が空を見上げる。
「わあ、先生、流れ星何か良い事が起こりそう」
新田がはしゃぐ。
「もう君たちには、これから良い事が起こるだろう安い給料なのに」
「さあ、行きましょう、行きましょう」
「さあ、食うぞ」「僕は呑むぞ」四人は、仲良く町に消えた。
その頃、吉田の病室では、妻の恵理子が意識が戻らない夫のべットの横で話かけていた。
「あなた、良かったまだ夢を見られるんだから生きているて、先生が言ってくれたの。私と娘の夢を見ているのねそれだけでも今のわたしには嬉しいは」
そう言うと恵理子は微笑んだ。
病室のドアが開いた。
「ママ、パパは」娘の純が入って来た。
小学校の、高学年だろうか、鞄を持って入ってくると。何時もの様に、意識のない吉田に声を掛けた。
「パパただいま」
「そう言うと、今日の実験の事を知っていたので、母親に心配そうに声をかけた。
「先生が、パパは夢を見ているから大丈夫だって。私も見たの映像で。パパとあなたと私の三人で、あなたがリコーダーをパパから習っている時の夢が映像に映ってたの」「そうなんだ、良かった、パパやっぱり大丈夫なんだ」娘の純は、先程と違って元気良く声も弾んだ。
「そうよ、先生も希望を捨てないでって」
「だから、ママ嬉しそうなんだ。そうだ、
今日リコーダーを持っているから、吹いてみるね。」そう言うと、純はカバンからリコーダーを持ち出した。そして、スイスの童謡.(おおブレネリ)を吹き始めた。
一小節目は、うまく吹けたが、二小節目で指が引っ掛かり高い音がはずれた。
「あ、いつもここで、間違える」
「そうね」
恵理子が、笑顔で答えた。
その時、吉田の頭の中で変化が起きた。
脳の神経が光を放った。そして、その光は吉田の全身へながれ吉田の右手の中指が動いた。それを、恵理子は見逃さ無かった。
「純、もう一度」
「どうしたの」
「いいから、もう一度吹いて」
「うん、じゃあ最初から」娘は、何が起きたか分からなかった。しかし、母の言葉でもう一度リコーダーを吹き始めた。
「純、さっきの所音が外れた所をもう一度外して」
「うん」娘が音を外した時、吉田の中指がハッキリと動いた。
純もそれを目にした。
「動いた、パパの指が動いた」
「先生、先生」恵理子は病室を飛び出していた。
娘の純は何度も音を外しながらリコーダーを吹き続けた。涙を流しながら。


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