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根地(ねじ)シメゾウとユルミ

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 朝7時、ユルミの枕元で傷だらけの目覚まし時計がベルを鳴らした。

カタタタタ・・・

ベルが凹んでいてリリリンとは響かない。
カタタタタ(起きろユルミ、時間だぞ)
ユルミは寝起きが悪い。いつも目覚ましははたかれたり突き落とされたりする。その度に、
(二度と起こしてなんかやるものか)
と思うのだが、夜になってネジを巻かれると、
(しょうがないな、明日も起こしてやるか)
という気になるのは目覚まし時計の性なのか。
カタタタタ(さっさと起きろー)
「うるさいなぁ、むにゃー」
ガッシャーン
今日も払いのけられた目覚ましは、床に落ちて転がり傷と凹みがまた増えた。
カタ、カタタ・・・(う、ううう・・・)
いつもの事だが今日は打ち所が悪かった。長針と短針は止まり、秒針だけが死にかけたあの虫みたいにピクピクしている。
カ・タ・タ・・・タンッ(もはやこれまで…ガクッ)
パカッと文字盤が外れ、バネがビヨーンとはみ出して、小さな歯車が弾けて飛んだ。歯車はベッドの上まで飛んでいき、ユルミの枕元にぽとりと落ちた。

 それから30分。

「むにゃむにゃ、まだ食べられるよー」
寝言を言いながらユルミは枕元の歯車をつまみ上げ、口に入れてもぐもぐした。
ガキッ
「あイタたたっ」
一気に目が覚めた。
「うわー遅刻するー」
急いで着替えてカバンをつかみ、2階から階段を駆け下りる。ダンダンダンと足音が響き、小さな木造の家全体が揺れた。
 1階は、キッチンの付いた居間にテーブルが置いてあるだけの簡素な造りだった。コーヒーを飲みながら新聞を読んでいたシメゾウ爺さんが顔を上げた。
「ユルミや、階段は静かに降りておくれ。白蟻に食われてボロボロなんじゃ。」
天井から白蟻がたくさん落ちて床をうろちょろしている。ユルミの頭にも落ちてきていたがかまっていられない。
「それどころじゃないんだよ、新学期早々遅刻しそうなんだよー」
「まてまて、新学期は明日からじゃろ。」
「え?だって今日は9月1日・・・」
「いやいや、8月31日じゃ。」
シメゾウ爺さんが読んでいた新聞(発掘日報)をユルミの前にバサっと広げた。新聞の日付は西暦5億2022年8月31日になっている。やっぱり新学期は明日からだ。
「な~んだ、慌てて損しちゃったよー」
力が抜けたユルミはカバンをポイとテーブルに置き、椅子に座って足をブラブラした。シメゾウ爺さんが新聞をたたんだ。
「さあて、今日もおいしいコーヒーを淹れてやろうかのう。」
「ありがとう、でもたまには自分でやるよー」
「いいんじゃいいんじゃ、ワシにまかせておくんじゃ。」
オーブンがピーと鳴った。
「ユルミはオーブンから焼けたピザを出してきておくれ。」
「は~い」
オーブンを開けるとチーズやサラミのいい匂いが部屋中に広がった。皿にのせてテーブルに運ぶ。
「爺ちゃんがピザ好きなのは知ってるけど、朝からこんなにこってりした物よく食べられるねー」
「何をゆうておるんじゃ、それはユルミの為に焼いたんじゃ。」
「え~、朝はコーヒーだけでいいよぉ」
「うむ、まずはコーヒーじゃな。」
爺さんは言いながらこっそりと食器棚から茶色い小瓶を取り出した。ユルミに見えないように小瓶から一滴ぽたりとコーヒーに落とす。
「さあ、コーヒーじゃ。」
「ありがとー」
「砂糖やミルクはいらんのか?」
「最近つい食べ過ぎちゃうからカロリー気にしてるんだよー」
そう言ってコーヒーを飲んでいるとお腹がなった。
ぐうぅ
コーヒーを飲む。
ぐうぅ
「あれれ?」
シメゾウ爺さんがピザを切り分ける。
「やっぱりピザを食べた方がいいんじゃないかの。」
「こんなこってりした物食べられない、事もない気がしてきた、けど、う~ん」
「朝食抜きは体に悪いと言うしのう。一切れだけでもどうじゃ?」
「うんまあ、一切れだけなら・・・」
チーズをびよーんと引いて口に運ぶ。
「やっぱり爺ちゃんのピザはおいしいよー」
一切れ食べたら止まらなくなってしまった。
「そういえば最近料理によく入ってるこの豆みたいなの何?すごくおいしいー」
「それは秘密じゃ、うひひ」
「爺ちゃん、笑い方が怪しいよー」
などと言いつつもぐもぐし、
「あーあ、結局全部食べちゃった。食べるとよけいお腹すいてくるみたいでおかしいよー」
「まだまだ育ち盛りという事じゃ。だいたいユルミは痩せ過ぎじゃからもっと食べなきゃいかんのじゃ。」
「痩せ過ぎぃ?今でも肥満一歩手前なのにー」
「女性はふっくら丸く柔らかく、じゃ。」
「それは爺ちゃんの個人的な好みだよー」
ユルミは棚の上の写真立てを見た。写真の中では、若き日のシメゾウと丸々と太った女性が並んで笑っている。
「美しい人じゃった…マキさん…」
ふとシメゾウが遠い目になった。
「マキさんはワシのピザを、それはおいしそうに食べてくれたもんじゃ。ワシはそれがうれしくってどんどんピザを焼いたんじゃ。あと甘いお菓子もな。」
シメゾウの目が更に遠くなるのを見てユルミが言った。
「つまり爺ちゃんのせいでマキさんはぶくぶく太っちゃったんだよー。」
「そんなことなかろう、それにワシには全然太っとるようには見えんがのう。」
「でも嫌だったんじゃない?出て行っちゃったんだから。」
「それは違う、と言いたいところじゃが出掛けたっきり帰らないままもう40年位になるからのう。」
シメゾウの遠い目が少し寂しくなった。
「え~っと、わたしはピザのカロリーの分、走ってくるよー」
ユルミは玄関口で運動靴に履き替えて出ていった。
シメゾウはユルミを見送ってから遠い目をやめた。
「あの豆がトッピングされたピザのカロリーを消費しようと思ったら、アメリカまで走ってもまだ足りんじゃろうて。うひひ」

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(解説)
さて、西暦5億2022年、琵琶湖はいつからかビワ湖と呼ばれるようになっていました。形も変わり、日本列島がすっぽり収まるほど大きくなっていました。
「そんなことは物理的にあり得ない。」
と言われるかも知れません。しかし5億年もの長い間に物理法則も多少は変わったということなのでしょう。実際、西暦2億年頃に日本列島が3分間ほどビワ湖の中に沈没したという記録があります。のちに始まる地殻変動を予感させる出来事でした。人々は沈没に備えて息を止める練習をしていたため、溺れた人はいませんでした。乾燥ワカメの工場でワカメが湖水を吸ってボヨヨンとなり、工場の屋根が少し持ち上がった事以外に大した被害は出ませんでした。
 その後西暦3億年頃に地球規模で地殻変動が起こりました。あちこちの大陸が浮いたり沈んだりしながら動き回りました。そんな中、不思議なことにビワ湖だけはじっとして動かなかったのです。その間、様々なものがビワ湖を通り過ぎていきました。ある日突然ビワ湖の真ん中に自由の女神が立っていたり、ギアナ高地がニョッキリ生えてきたりしました。大抵のものは再び沈んで地層の流れに乗ってどこかへ行ってしまうのですが、その際ビワ湖の底や周辺にいろいろな物を落として行きました。金銀財宝や、骨董的価値のある物もありました。例えばピラミッドはミイラや宝飾品を落として行きましたし、東欧の古城は十字架の付いた棺を落として行きました。その後、西暦5億年頃にそれら埋蔵物を狙って、トレジャーハンターとか発掘屋と呼ばれる人たちが今の大津の辺りに住みついていました。シメゾウ爺さんもそんな者たちの一人だったのです。
 以上、補足説明っぽいことを書きましたが、書いていて自分でもそんなバカな、と思います。ですが冒頭でお話したように、"夢の中の夢"で見てしまったのですからしょうがありません。そうなんです、しょうがないんです。
というわけで続きをどうぞ。

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  ユルミは家の前の坂道を5分ほど下ってビワ湖に出た。昨日は霧が出ていたがそれも消え、今朝はよく晴れた青空に、いくつか浮かぶ白い雲が光って見える。足元の砂浜も白く光るように照り返し、波打ち際の湖水を含んだ暗色な部分とコントラストを作っていた。
「帽子あった方が良かったかなぁ。日差しが眩しいよー」
その時、近くで釣りをしていたおじさんの帽子が風でとんだ。
ピカーッ
おじさんのつるつる頭が太陽の光をレーザーのように反射した。その光は宇宙を貫き遥か3億光年離れたとある青い星に到達した。光を観測した青い星の天文学者は驚いた。おじさんの頭にかすかに残っていた髪の毛が、偶然バーコードのように意味を持つ陰影を作っていたからだ。バーコードのようなレーザー光はさっそく解析機にかけられ、次のような警告文が読み取れた。
「一週間後、一番大きな火山噴火、避難されたし」
人々は半信半疑ながらも避難した。そして一週間後、火山は激しく噴火した。警告文のおかげで大惨事を避けることが出来たのだった。青い星では神様のお告げだったと永く語り継がれることになったという。。。
みたいな想像をしながらユルミは帽子を拾い上げた。ベージュにグリーンのラインが入った帽子だった。
「はい、どうぞー」
「おお、こりゃどうもありがとうよ。」
帽子を手渡す時に釣り用の餌が見えた。足のいっぱい生えた餌の虫が何となく美味しそうな気がしてユルミはハッとした。
(何考えてんだよー、虫だよ虫)
「さ、さよならー」
また砂浜を走り始めた。
ザッザッザッ
「あははー、私いつからこんな食いしん坊になったんだろー」
明日から9月とはいえまだ残暑が続く。
「暑いなぁ、カロリー燃やすぞー」
おおよそ今の大津にあたる位置だが、5億年後にはホテルも公園も無い。湖岸に沿って砂浜をゆっくり走った。
ザッザッザッ
「食べて来たばっかりなのにお腹減るなー」
砂浜に打ち上げられた水草がすっごく美味しそうに見える。気付いたら口に入れていた。
「ぺぺぺっ、ほんとどうしちゃったんだろ。」
ザッザッザッ
北に向かって走っていて、右手にビワ湖、左手には松林が広がっている。この辺の松林には所々大きな穴があいている。トレジャーハンターが何かを発掘した跡だ。ビワ湖側の前方、湖北へ目をやると、遠くに小さくルマニア島が見える。西暦3億年の地殻変動でビワ湖に現れた、岩山が湖面から突き出たような島だ。頂上に古い城がたっている。その城の建築様式から、元は東欧の地層の一部ではないかと言われているが定かではない。そして何よりこの島を特徴付けているのはその天候である。島の上には常に雷雲が渦巻いて稲妻を光らせ、周囲はいつでも暴風雨が吹き荒れているのだ。今日のような快晴の日でも、ルマニア島だけは暗く激しい嵐の中にあった。異様な雰囲気から死霊が棲んでいると噂が立ち、人々に恐れられている。その一方で好奇心をかき立てられるトレジャーハンターもいて、これまでに何人も怖いもの知らずがこの島を目指した。が、帰って来た者はいない。
「嵐の島、ルマニア島・・・お父さん、お母さん」
ユルミの両親もユルミが生まれて間もない頃に島へ向かったまま行方不明だとシメゾウ爺さんから聞かされている。1枚だけ赤ん坊のユルミをだっこしている両親の写真があった。
「帰ったらもっと写真が残ってないか爺ちゃんに調べてもらおーっと」
ザッザッザッ
「明日から学校かぁ、みんな来るかなー」
小学校の4年桃組のクラスメイトを思い浮かべていると、突然大きな揺れを感じてよろけてしまった。
「うわーっ!地震だー、びっくりしたー」
西暦3億年の大規模な地殻変動の後、大きめの地震は珍しくない。気を取り直してまた走り出した。
ザッザッザッ
「今ごろ爺ちゃんは倉庫で発掘品の整備かなぁ。」
ドッカーン
突然の爆発音。
「うわっ」
ドサッ
びっくりして転んでしまった。
「あ痛ーっ」
ちょうど膝をついた所に角張ったものが埋まっていたようだ。血が少しにじんでいるが大した怪我ではない。それより埋まっているものが気になった。
「これ何だろう。さっきの地震で出てきたのかなあ。」
角張ったもののまわりの砂を払い除けてみた。長さ2メートルはありそうな細長い箱が斜めに埋まっている。黒くて蓋に十字架が付いていた。
「映画で見た外国の棺桶みたい。」
とにかくただのガラクタとは思えない。
「早く帰って爺ちゃんに教えてあげよー」
ザッザッザッ
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 ユルミが家に引き返していった後、日傘を差した小柄な誰かがやって来て、角張った部分に付いたユルミの血をぺろりと舐めて顔をしかめた。
「まずいのだ。」
そして片手で日傘を差したまま、もう一方の手で埋まっていた棺を軽々と担ぎ上げ、どこかへと持ち去って行った。
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