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エンマ大王

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 黒い渦を通り抜けたシメゾウ爺さんの魂が、立て看板の矢印に沿ってふわふわ漂って行くとエンマ大王の前に出た。大王はシメゾウの魂を見据えて低く太い声を響かせた。
「ここは地獄の一丁目、よく来たな亡者よ。閻魔帳によれば根地シメゾウ、其の方、爆発を起こしたショックで心臓が止まり死に至る。生前、立派な行い特に無く、インチキくさい発掘屋をなりわいとする小悪党、とあるが相違ないな?」
「ぐ、うぬぬ。」
ぐうの音しか出ないシメゾウ爺さん。の魂。白いオタマジャクシみたいな魂のシッポがブルッとした。
「そう心配するでない。この奥にある地獄で少々ひどい目にあった後、すぐに転生させてくれるわ。ふむ、ザリガニくらいが丁度良かろう。」
「ザリガニじゃと?ガキんちょに釣り上げられてアメリカザリガニと相撲とらされほっとかれ、乾ききった体でさ迷って、辿り着いた溜池で鯉にパクっと呑まれるとか、そんな来世は真っ平御免じゃ。その閻魔帳をよこすんじゃっ」
シメゾウ爺さんは文句を言って、閻魔帳に手をのばそうとしたが魂に手は無く足も無く、手も足も出なかった。とその時、ユルミが遅れて到着した。
「爺ちゃん、ふわ~っと飛んでくなんてずるいよー。歩くと結構あるんだからねー。」
「お、ユルミ、いい所に来た、あの帳面を取り上げるんじゃっ」
「いきなりで良く分からないけど分かったよー」
ユルミは閻魔帳に飛び付いた。エンマ大王は驚いた。普通の人間が生きたままあの世に来るなんて有り得ない。
「な、何者だ!ここは地獄の入り口であるぞ、控えぇいっ!」
エンマ大王の強さはその魔力にある。大王の魔力は霊的な存在である亡者の魂に対しては無敵なのだ。だが実体を持って挑んでくる者に対抗するようには出来ていない。そもそもそんな者はいないはずだからだ。
「こら、よさんか、よせと言うにっ」
「おじさんこそ放してよーっ」
ユルミと大王が閻魔帳を引っ張りあった。
ビリビリッ
とうとうユルミが掴んでいたシメゾウのページが破れてしまった。その勢いでとっとっとっ、と後ろ向きによろけるユルミ。
とっとっとっ
バランスを取ろうと向きを変え、
とっとっとっ
どんどん地獄の奥へよろけて行った。ごうごうと燃え盛る火炎地獄が見えてきたところで、ポテッとコケてようやく止まった。転んだはずみでポケットから単一電池くらいの赤茶色のものがいくつも転がり出た。ころころコロコロ転がって、そのうち1つが火炎地獄の炎の中に転がり込んだ。
ドッグァーンッ!
地獄を揺るがす大爆発。シメゾウ爺さんが言っていた通り、普通のドッカーンの何百倍かそれ以上のドッグァーンッ!だった。あちこちに転がっていった他の単一くらいのにも引火して、順々に大爆発が起きた。火炎地獄で熱がっていた魂たちはもちろん、針の山でちくちくしていた魂や、血の池で浮き沈みしていた魂もみんな吹き飛んでしまった。監視役の鬼たちも慌てふためいて逃げ惑う。右往左往していた鬼たちにインタビューしてみると・・・
「私は血の池地獄を担当する青鬼です。突然火炎地獄の方で爆音が鳴ったと思ったら爆風に吹き飛ばされていました。ほうぼうで爆発が起こるうちに血の池も爆発し、赤い血の雨が降りました。青かったこの体が赤く染まって赤鬼みたいに見えますよね?でもシャワーを浴びたら青あざだらけだと思います。まあ青鬼だから見えにくいでしょうけど。」
と笑ってみせるも彼は全身打撲でしばらく動けそうにない。別の鬼にも聞いてみた。
「俺は針山担当の赤鬼だ。最初の爆発が火炎地獄で起きただろ?炎の塊がそこら中に降り注いで地獄のようだったぜ。って、地獄なんだけどな。で、その飛んで来た炎がここに落ちてた爆弾にも引火したらしくてよ、これまた針山もろとも大爆発さ。針山の針は大小様々だが、大きいのは槍くらいあるんだぜ。そんなのが四方八方にすっ飛んでって所かまわず突き刺さるんだ。地獄だよ、地獄。って、地獄なんだけどな。」
そう言う赤鬼の体には何箇所も刺し傷が出来ていた。
「ちょいと背中のやつを抜いてくれねえか?」
と、こちらに向けた彼の背中には、槍ほどの針が突き刺さっていた。
 この、地獄のような地獄のありさまを目の当たりにしたエンマ大王は、普段の冷徹な落ち着きを失い、ついでに威厳もちょっと失ってカタカナで叫んでいた。
「オーマイガッ!」
そしてシメゾウの魂に怒鳴った。
「お、おぬし一体どうしてくれるのだ!こんな事がカンノンに知れたらすんごい怒られてデコピンされるんだぞっ。」
「デコピンで済むとはさすが慈悲深いカンノン様じゃ。」
「あいつには手が千本もあるんだぞ!高速無限デコピンをいつまでもやめようとせんのだぞ!」
大王は自分のおデコをなでた。
「この岩のように固いデコが凹むまでな!」
その時、地獄の方からふらふら戻って来たユルミがエンマ大王の後ろを指差した。
「大王後ろ後ろー」
「なんだとぉ?後ろぉ?」
振り返るとカンノン様。すでに千手モードだった。
「カ、カンノンちゃん、こ、これはその・・・」
「言い訳は結構でありまする。わらわは今から地獄エリアを修復しに行きまする。そなたは飛散した亡者の魂を急いで全部捕獲して来なされい。」
と、大きな虫取り網と虫かごを手渡した。
「もちろん後でお話がありまする。分かっておりまするな?」
と言うとさっさと地獄エリアの方へ行ってしまった。一方エンマ大王は右手に虫取り網、左手に虫かごを持って夏休みの小学生のようだった。
「く、屈辱。よーし、捕獲第一号はお前だ根地シメゾウ!その後で小娘も牢屋にぶち込んでくれるっ」
網を振り回して、目の前に浮いているシメゾウの魂を捕まえようと追い回すエンマ大王。ふわふわと網をよけるシメゾウの魂。
「ユルミ、今のうちに逃げるんじゃっ」
「うん、分かったよっ」
語尾も短く出口に向かって走り出したユルミ。もう少しで出口という所で振り返ると爺さんの魂はまだふわふわ器用に逃げ回っている。
「爺ちゃんも早くこっちへ!」
そう言ってシメゾウの魂を援護するようにそこら辺に落ちている石や針山の針を手当たりしだいにエンマに投げつけた。
「ぐわはは、そんなものは痛くも痒くもないわ。逆に打ち返してくれる。」
エンマは笑いながら鬼の金棒で打ち返す。打ち返された石がユルミの頬にかすり傷をつくる。エンマが少しずつ間を詰めてくる。
「ぐわはは、どうするどうする。」
その間にシメゾウの魂はもうそこまでユルミに追い付いて来ていた。ユルミは無言で背筋をのばし、野球マンガの投手がごとく大きく振りかぶった。瞳は火炎地獄の炎を映してメラメラと燃えている。
「わたしの本気、打てるもんなら打ってみてよっ」
エンマに向けて大きく踏み出し、腕もちぎれよとばかりに渾身の一球を投げ込んだ。ヒュウっと風を切る音。
「ぐわはは、所詮小娘の本気などこんなものだ!」
勝ち誇ったエンマがフルスイングして捉えた物は、石でも針でもなかった。それはユルミのポケットに残っていた最後の単一電池くらいの赤茶色だった。エンマの金棒がジャストミートした瞬間、決着はついた。大爆発とともにエンマは地獄の奥へ吹き飛ばされ、ユルミとシメゾウの魂は爆風で開いた黒い渦から押し出されていた。
 ドスーン
ユルミは天井の黒い渦から落ちて尻餅をついた。
「あイタたたぁー」
シメゾウの魂はスウ~っと元の体に入っていった。死んでいるシメゾウが生きているシメゾウになった。
「ワシ、生きとる。」
「あらまあ、なんて事!」
医者でもあるリンコ先生は死亡診断書を書いていたが、手を止めて目をパチクリした。
「わたくし、人が生き返るのを見たのは初めてですわ。」
「ワシも生き返ったのは初めてですじゃ。」
「わーいわーい!はい、これ。」
ユルミがポケットから紙切れを取り出してシメゾウ爺さんに手渡した。閻魔帳から破り取ったシメゾウのページだった。
「ワシの魂がすんなり体に戻れたのは、閻魔帳から死んだ記録が無くなったからかも知れんのう。」
ユルミは地獄で暴れて服も体もボロボロだったのに、今は元通りになっている。リンコ先生がユルミの頭をなでた。
「ユルミさんもお帰りなさい。どこか怪我したりしてない?」
「大丈夫ー、元気元気!」
「そう、良かったわ。シメゾウさんからは最近ユルミさんが食欲無くてやつれているから助けてやって欲しいって頼まれていたんですけれど。」
リンコ先生にそう言われてユルミは怪訝そうに聞き返した。
「私の食欲が無いぃ?やつれてるぅ?」
「ええ、それで食欲が出るお薬と、一粒で300万メートル走れる豆を根地さんにお渡ししたんですのよ。ほら、あそこに。」
リンコ先生は棚の隅にコソッと置いてある茶色い小瓶と豆の入った小袋を指差した。
「飲み物に一滴入れるだけで食欲100万倍ですわ。」
「そんなに効くんだー」
「それはもう、釣り餌の虫とか水草を見ても食べたくなるほど効くんですのよ。」
「へえ~、そうなんだ~」
ユルミは今朝のジョギング中の事を思い出した。そして爺さんの方をちらりと見た。長めのちらりだ。
「こほこほ」
シメゾウはリンコ先生の話をさえぎろうと咳払いをしたが無駄だった。
「でね、豆の方なんですけれど、わたくしの自信作ですのよ。ユルミさんもグリ高原地方で栽培される1粒で300メートル走れる豆の事は知っているでしょう?」
「うん、学校で習ったー」
「その豆をわたくしオリジナルの壺でぐつぐつ三日三晩煮込んで凝縮したのが、あの300万メートル走れる豆なんですの。すごいでしょ?」
それを聞いてユルミは最近の異常な食欲と、運動しても体のぷよぷよが取れないことの理由がいっぺんに分かった。全部シメゾウ爺さんの仕業だったのだ。
「じ・い・ちゃ・んー?」
「ワ、ワシちょっと用事思い出したような気が・・・」
「ごまかさないでよー、とにかく薬と豆は預かっとくよー」
と言って茶色い小瓶と豆の小袋をポケットに入れた。リンコ先生はシメゾウの「女性はふっくら丸く柔らかく」というモットーや、それに反対しているユルミの事情を知らない。2人の顔を交互に見ながら言った。
「もし、健康管理に心配がお有りでしたらいつでも相談してくださいね。お薬出させて頂きますわ。」
そして待ちきれないと言わんばかりに身を乗り出した。
「それでそれで、黒い渦の向こうでは一体全体何があったんですの?ぜひ、うかがいたいですわ。」
興味津々、野次馬の顔になっている。
「ドッカーンで、アイタタターで、ウリャーッだったよー」
「エンマで、鬼で、千手カンノンじゃったな。」
「そこのところもっと詳しく、詳しくお願いしますわっ!」
リンコ先生は、期待と好奇心で目がランランと輝いている。
「つまりワシがエンマ大王にじゃな、・・・」
「わたしが閻魔帳を引っ張ってー・・・」
シメゾウとユルミは身振り手振りをまじえ、リンコ先生が出すお茶とお菓子にパクつきながら一部始終を語って聞かせた。
「まさかそんな面白そ、いえ恐ろしいことがあったなんて。お二人が渦に吸い込まれるところを見ていなければ、とても信じられなかったでしょうね。ですけどそんな大冒険をなさったなんて、ちょっぴり羨ましいですわ。」
ふと渦が現れたあたりの天井を見上げた。
「あの時わたくしも一緒に渦に飛び込んでいれば・・・」
リンコ先生はぱっとシメゾウ爺さんに向き直った。
「根地さん、もう一度死んであの世を案内して下さいませんこと?」
「お断りしますじゃ。」
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 ところで、本当の閻魔様や観音様はこんなんじゃない、とおっしゃる方もおありでしょう。もちろんこれは本当の事じゃありません。あくまで夢の中の夢で見てしまったエンマ様とカンノン様です。なのでハイ、しょうがないんです。さあ、あきらめて次に参りましょう。

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