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ルマニア島

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 霧が深く見通しの悪い夜のビワ湖を、ミシガン号はルマニア島へ一直線に進んでいった。船の後方では水面から無数の亡者の手が伸びては沈み、沈んでは伸びてミシガン号に追いすがる。普通の船なら水中に引き込まれてしまうだろう。亡者の霊力もミシガン号の霊力も磁石でいえば共にN極。亡者が追いすがれば追いすがるほどミシガン号は反発力で力強く進む。…と、ミシガン号の取扱説明書には書いてある。良くは分からない。
 しばらく進むと前方に不規則に閃く光が見えてきた。更に少し進むとそれが嵐の中の雷だと分かる。
 ルマニア島が見えてきた。島を取り巻く嵐が霧を吹き飛ばし、稲妻が光るたびに島が照らし出されてくっきりと見える。島を中心にした巨大な竜巻のような嵐は、島を守るバリアのようにも見えた。湖面から突き出てそびえる大きな岩山のような島。その頂上に鎮座する東欧風のお城。ヒララとユルミとシロは展望室からルマニア島を眺めている。
「ここから島に着くまでは嵐の中を進むギシ。幽霊が壁をすり抜けるみたいにミシガン号も波や風をすり抜けることが出来るのだ。」
ヒララの説明に神妙な顔で頷くユルミ。
「それでもかなり揺れるから転ばないように気を付けるのだ。」
島を覆う嵐に近付くにつれ、ゴウゴウと吹き荒れる風の音が船内にもうるさいほど響いてきた。
バリバリバリーッ
夜の闇を切り裂く稲妻の音も凄まじい。
「ヒララちゃんはあのお城に住んでたの?」
「違うギシ。ずっと下の方にある洞窟で暮らしていたのだ。何世代か前に一族が住んでいた鍾乳洞ごと地殻変動で島の地下に移動して来てしまったのだ。」
「そうだったんだー」
「お城にはたまに厨房倉庫の食料を探しに行っていただけなのだ。ガスコンロもあったギシしな。」
ワオオーン
シロが吠えていよいよ嵐が間近に迫っていることを告げた。船の揺れが大きくなっている。雷がひっきりなしに光り、ストロボのように辺りを照らす。ゴロゴロと雷鳴が轟き、体に振動が伝わってくる。
「今夜はいつもより雷が多いのだ。」
お城の中央、一番高い塔の先端に次々と落雷しているのが見える。ぐわらんっ、と大きく船が揺れて二人は手摺りにつかまった。前方を見ると船首が今まさに嵐の中へ入って行こうとしている。
「いよいよなのだ。」
「うん、あのお城にお父さんとお母さんの手掛かりがあるかも…」
ビカビカッ、ドガーン!
お城にひときわ大きな雷が落ちたかと思うと大爆発が起きた。お城は跡形もなく吹っ飛んだ。
「あ・・・」
「えーと、あたしガスの元栓閉め忘れたギシかなぁ~」
吹き飛んだ破片が周辺に落ちては水しぶきを上げている。不思議な事にあれほど激しかった嵐が嘘のように消えていた。ミシガン号は静かになった湖面をほとんど惰性で島まで進み、ガイコツ船員がうまい具合に船体を岩場に着けた。今、島の周りには嵐も霧もなく、見上げれば満天の星空だった。
「とりあえず行ってみるギシ。」
「うん。」
岩場を登っていくと宇宙人がいた。
「ワレワレは宇宙人だピコ。」
本人が言うのだから間違いない。"宇宙人"と書いたTシャツも着ているし。ロボットっぽい体からピコピコ音がする。小型端末を持って爆発後の安全を確認しているようだった。宇宙人の説明によれば、お城の中には発電装置が設置してあったらしい。嵐を発生させ、塔に雷を集めて電気をためていたそうだ。それが今爆発してしまった。宇宙人はメカっぽい声でピコピコ言った。
「厨房でガス漏れがあったようなのですピコ。」
ヒララが斜め横を向いてかすれた口笛を吹く。ユルミがポンと手を打った。
「あー、それはヒララちゃんが…」
「ギシギシギシギシ、今日は軋むなぁなのだ。で宇宙人、どうするギシか?」
「不時着したロケットはすでに80パーセントまで充電できていますピコ。 ワレワレはひとまず地球を去ることにしますピコ。」
行こうとする宇宙人のTシャツをユルミが掴んで引き留める。
「わたしのお父さんとお母さんがこの島に向かったまま行方不明なんだよー」
「ギシ、手掛かりを探しに来たのだ。」
それを聞いて宇宙人はユルミの頭に端末をかざした。端末のスイッチを操作してユルミの遺伝子情報を読み取りながら言った。
「これまで自分から嵐に飛び込んだ地球人は全員命を落としましたピコ。」
「そ、そうなんだ・・・」
「回収して地下の蘇生ポットに入れてありますピコ。体の損傷も合わせて蘇生復活するにはワレワレの科学力でも1000年掛かりますピコ。」
「ということは・・・」
「1000年後に生き返って地上に這い出してくるでしょうピコ。」
「ゾンビみたいなのだ。地下には鍾乳洞があるはずギシが。」
「そうですそうです、その鍾乳洞の突き当たりを右に曲がって、最初の信号を左に行った先にあるコンビニの裏が蘇生ポット病院ですピコ。」
「ギシッ?鍾乳洞にそんな続きがあったギシか!知らなかったギシー」
ピーッ、ピーッ
宇宙人の端末からお知らせ音が鳴った。
「あなたの遺伝子情報を病院のデータに照会した結果が届きました。ポットに収容された中に親族に該当する人はいませんでしたピコ。」
「じゃあ難破したまま見付けてもらえなかったって事かなあ・・」
「そんな事は有り得ませんピコ。この周辺の生命反応はセタシジミからミドリガメまで全て記録されていますピコ。残念ながらここにご両親の手掛かりは無いようですピコ。」
「そんな・・・」
肩を落とすユルミ。ヒララがその肩ををぽんぽんしてやる。シロはずっと黙ったまま横でおとなしくしているのだった。
ガタガタガタ
島が震え、宇宙人の端末からアラーム音が鳴った。
「おっといけません、もう出発ですピコ。ロケット発射で危険につき今すぐここから退避願いますピコ。急いで下さいピコ。」
宇宙人はそれだけ言うと輪郭がぼやけ、ゆらゆらと空中に消えていった。ロケットの中へ転送されたのだ。驚いている暇はなかった。
ガタガタガタ
また島が震えて上からパラパラと小石が落ちてくる。島全体の岩肌にぴしぴしとヒビが入り始めた。
ワオォウン、ワオーン(崩落するぞ、急ごう!)
だがミシガン号まではかなり距離がある。
「島が崩れたら巻き込まれちゃうよー!」
ユルミとシロは急ごうとして岩に足を取られそうになった。ヒララが立ち止まる。
「このままでは間に合わないのだ。」
首から下げている小さな笛を吹いた。地下の鍾乳洞にぶら下がっていたコウモリの群れが、笛の超音波に反応してぱたぱた飛んで来る。ユルミはたくさんのコウモリにびっくりして、
「うわっ」
としゃがんだ。
「大丈夫なのだ。ちょっとおとなしくしてるのだ。」
ヒララはマントを取ってユルミとシロに向かって投げた。
「えっ?」
ワォッ?
ヒララはマントでユルミとシロをすっぽり包み込むと、笛を吹いてコウモリを操った。マントの包みをぶら下げてコウモリの群れがミシガン号へ飛んでいく。
「ギシ、あたしも急ぐのだ。」
両手を頭の高さに上げて手のひらを上に向け、指を何かつかむような形にして構えると
「ヒラリンっ」
と回転しながらジャンプした。ぽわんっとモヤが発生し、中からコウモリになったヒララが現れた。
パタパタ~
と羽ばたいてミシガン号へ飛んでいった。島の振動はますます大きくなり、島を中心に湖面にできた波の輪が幾重にも広がっていく。その波でミシガン号が大きく揺れて傾くのと、マントの包みが開いてユルミたちが出てくるタイミングが重なってしまった。シロはぴょーんと身を躍らせて船の端に下りることができたが、ユルミは伸ばした手が船に届かなかった。
「うわー、落ちるーっ」
ちゃんと着地できず、ザブンと水中に落下した。何とか水面に顔を出したものの、甲板まではかなりの高さがあってとても登れそうにない。波で船から少しずつ離されながらアップアップもがいている。
ワォォン・・・
船上から心配そうに見守るシロの横に、ふぁさっとマントだけが落ちてきた。ユルミの顔は徐々に波のうねりに飲み込まれていき、やがて完全に沈んでしまった。あとには泡が4つか5つ、ブクブクと上がってくるだけだった。
ワオオーンッ!(今助けに行くぞーっ!)
シロが意を決し、一つ大きく吠えて今まさに飛び込もうとしたその時、スーッとユルミの体が浮き上がり、そのまま水面から持ち上がった。亡者の手が溺れたユルミを水の中から押し上げているのだった。その亡者の手はスルスルと伸び、ユルミを船のデッキまで持ち上げてそっと下ろすと優しく頬をなでた。
「けほっ」
水を吐き出してユルミの意識が戻った。それを見届けると亡者の手はまたスルスルと水の中へ消えていく。
「お父さん、お母さん!」
ユルミは思わずそう叫んでいた。亡者の手は4本、二人分だった。
「…ありがとー」
辺りに漂う霧に向かってそう言うと少し涙が出た。自分でも理由は分からない。心配そうにシッポを垂らしているシロにハグすると、じわっと元気が戻って来た。
「はーっくちょん!ずびびびぃ」
シロのモフモフが水を吸い取ってくれて風邪はひかずに済んだ。ついでに鼻水も吸い取ってもらった。
ワオィッ(おいっ)
~~~~~~~~~~
 ミシガン号に着いて人間の姿に戻ったヒララのところへ、ユルミがマントを持って駆け寄って来た。
「これすごいねー、どうやってここまで運ばれたのか全然分からなかったよー。」
マントを受け取ってさっと背に羽織ると、ヒララはすぐに船長の帽子を冠ってガイコツ船員に指示を出した。
「直ちに島から離脱するのだ!」
ひび割れていた島の表面から岩が剥がれて次々と崩落し、水しぶきを上げて水中へ沈んでいく。巨大な岩山と思われていた島は、岩のカバーを被せた宇宙ロケットだったのだ。島を覆っていた岩がすっかり剝がれ落ちると中からピカピカのロケットが現れた。
ピコココン、ピココン、ピコン
と、宇宙人語のカウントダウンが聞こえ、
ゴオォー
ロケットは下から雷のような稲妻の束を発射しながら垂直に飛び上がり、加速度的に星空に吸い込まれていった。島は発射台になった一番下の岩の部分が水面から少し出ているだけになった。その上の面は平になっていて鍾乳洞への入り口も塞がっている。
「さようならルマニア島、さようなら宇宙人の人。」
「ギシ?何か浮いているのだ。」
再び濃くなりつつある霧の中、大きなうねりが残る水面でジタバタしている人影が見える。
「おーい、待ってくれー!ピコピコー!」
島で会った宇宙人だった。浮き輪代わりの木材につかまって大声を上げている。叫んでいるというより拡声器のボリュームを上げたような聞こえ方だった。肩のあたりで非常灯みたいに点滅する赤い光が、水面のうねりに合わせて上下している。ヒララとガイコツ船員が救命ボートを下ろし、力を合わせて引き上げてやった。
「とりあえず助かりましたピコ。礼を言いいますピコ。」
ずぶ濡れの宇宙人にユルミがタオルを渡しながら聞いた。
「宇宙人の人、いったいどうしたの?」
「正確に言うと宇宙人の人じゃないのですピコ。宇宙人の意識を一部分コピーしたロボなのですピコ。」
宇宙人のTシャツを改めて良く見ると"宇宙人"という文字の横に、小さく"のロボ"と書いてある。ロケットの外での作業は安全の為にロボットが使われていたのだった。
「転送に失敗してロケットに乗り損ねてしまいましたピコ。困りましたピコ、何とかならないでしょうかピコ~」
Tシャツの上からでも体内のランプがあちこちで不安そうに瞬いているのが見える。
「え~?どうしたらいいか分からないよー」
「ギシィ、困ったのだ。。。」
腕組みするヒララの横にガイコツ船員の一人がやってきた。一番骨密度が高そうなガイコツだった。ヒララの冠っていた"船長の帽子"をひょいと取って自分の頭に載せると、ガイコツだった体に見る見る肉体が戻った。紺色に黄色いラインの入った制服を着た本当の船長の姿になった。
「この帽子は返してもらうことにしよう。」
他のガイコツ船員たちも元通りの体に戻っていた。もっともその肉体はホログラムみたいにうっすら骨が透けていて、生き返った訳ではなく霊的な存在であることに変わりはないようだ。
「ギシ?どういう事なのだ。」
「船長の帽子と取扱説明書は適当に作って置いておいたものなのだよ。見付けた者に船長をやってもらっていたという訳さ。」
「ギシ?なんでそんな事を。」
「昔の地殻変動の時に遊覧船の役割を失って幽霊船になってしまい、それ以来目的もなくただ漂流しているのが虚しくなってな。」
「ギシィ、それで?」
「ある時はエチゴ屋が船長になって御禁制の抜け荷を悪代官に運んだし、またある時は盗賊が船長になって役人から逃げ回ったりしたな。こんな幽霊船を使おうなんてのは怪しい連中ばかりだったが退屈しなかったさ。」
船長は思い出を辿るように宙に浮かせていた視線をヒララに戻して笑った。
「はっはっは、お嬢ちゃんの船長もなかなか楽しかったよ。嵐に何度も突っ込んで、しまいには宇宙人ときたもんだ。」
「あのぉ、わたくしその宇宙人のロボなのですが、ロケットに乗り損ねましてピコ。」
「これも何かの縁、ミシガン号で送って行ってあげよう。大船に乗ったつもりでいればいいさ、いや幽霊船だったなハッハッハ。それにしても宇宙に飛び出すという発想はなかったなあ。生身の体なら考えられない事だからな、ハッハッハ」
船長はガイコツっぽい船員たちに向かって高らかに宣言した。
「みんな、聞いての通りだ!ミシガン号はこれより宇宙へ向けて出航するっ!」
「イエッサー!」
「俺たちの冒険はこれからだーっ!」
「おぉーっ!」
乗組員が一斉に拳を突き上げる。横でヒララが目を細めた。
「いい最終回だったギシ。」
「終わっちゃだめだよー。」
という訳でヒララとユルミとシロを救命ボートに残し、ミシガン号は後方に濃い霧をたなびかせながら舞い上がった。その濃い霧にくるまれた無数の亡者の手と共に、スイーッと夜空に浮き上がって遠ざかり、最後には星の瞬きの中に見えなくなった。
~~~~~~~~~~
 ユルミとヒララが乗った救命ボートをシロが犬かきで引っ張った。ユルミが、溺れそうになった時の事をヒララに話す。
「わたし、亡者の手に助けてもらったんだよー」
「人助けをする亡者がいるなんてびっくりなのだ。」
「でね、その亡者がお父さんとお母さんみたいな気がしたんだよー」
あえて何でもないように話すユルミだった。
「いや、それはギシ…」
どう返そうか困ったヒララはふとミシガン号の取説にあった亡者の説明を思い出した。例えば植物が化石燃料になってエネルギー源となるには長い年月が掛かる。同様に、迷える死者が亡者となって力を得るにもやはり長い年月が掛かるのだ。うろ覚えだったがそんな内容だった。
「だから行方不明になって10年位のユルミの両親が、亡者の手になっていることは有り得ないと思うのだ。」
「そっかー、じゃあ気のせいだったのかなぁ。」
2人が見上げる夜空に流れ星がスーっと尾を引いた。
「なんかいい事ありますように、なんかいい事ありますように、なんか…」
ユルミが早口で願い事をする。
「ギシシ、ずいぶんザックリしたお願いなのだ。」
「しょうがないよー、いきなり急いで3回唱えないといけないし。ヒララちゃんは流れ星にお願いとかしないの?」
「ギシィ、早口でしゃべったら八重歯の出っ歯で舌噛んで危ないのだ。」
「なるほどー、いつも喋るのゆっくりめだよね。」
「吸血鬼なんかもっとチクチクの牙だから、早口言葉に挑戦して毎年100人は舌噛んで死ぬのだ。」
「あっぶなー」
「冗談なのだ。」
ザザァー
ボートが岸の砂浜に着いた。ユルミはシロに乗って家に帰っていった。一人残されたヒララがピシャリと額を打った。
「ギッシー、そういえばあたし、帰るところ無くなったんだった!」
そして宇宙に向かって叫ぶ。
「ミシガン号カムバーック!あたしの冒険もこれからなのだー!」
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