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第2章 赤ずきん編

78話 ウルと赤ずきん

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「これは……違うんだ。赤ずきん、君は……君だけは……」

 オオカミの手で頬を伝う涙をぬぐう。なぜ自分が泣いているのか、そもそも彼は涙を流しているのさえ気が付いていなかった。

「おかしなオオカミさん」

 赤ずきんが笑う。今までの緊張が嘘のような笑顔だった。その笑顔を見てオオカミは余計に責任を感じてしまう。

「だめだ、このままでは君が燃えてしまう、それはだめだ!」

「今から私を食べるのに、私の心配までしてくれるの?」

 赤ずきんはあどけない表情で笑う。

「俺は……俺は!」

「ほら、この花でも見て落ち着いて」

 赤ずきんが足元に置いていたバスケットから月見草を取り出そうとその場にしゃがみ込む。

「俺は……ここに向かう途中のあの丘まで向かわせたんだ!」

 気が動転したオオカミは月見草を見て反射的にそう叫ぶ。

「何を言っているの、私が丘に向かった理由は……」

「あ……」

 赤ずきんの動きがぴたりと止まる。その反応を見てオオカミは隠していた正体を自ら暴露してしまったことに気が付く。

「……ウル、なの?」

「…………」

 顔を下に向けたまま目の前の少女が問いかける。オオカミはその質問に咄嗟に答えることが出来なかった。

 赤ずきんの祖母の家の中に沈黙が訪れる。彼女がどんな反応をしているのか知るのが怖くてオオカミは赤ずきんを見ることが出来なかった。

「…………」

「…………」

「……あなた、ウルなのね?」

「…………そう、だ」

 少女の言葉に今度ははっきりとウルは答えた。勇気を出して少女の方を見るが少女はいまだに顔を上げてはいなかった。

「…………」

「…………」

 再びの沈黙。時間にすると数十秒にも満たないはずだったが、ウルにとっては無限の時にも感じ取れた。

「…………良かった」

「……え?」

 少女の言葉に思わずウルは聞き返す。少女はそこでようやく顔をウルの方へと向けた。その顔は拒絶をするようなものでも嫌悪するものでもなく、照れ臭そうにはにかんでいた。

「俺は……君を食べる役割を与えられたオオカミだったんだ!」

「うん……」

「お、おれは……今まで君に正体を隠して接していたんだ!」

「うん……」

「おれは君をだましていた悪いやつなんだ!」

 ウルはオオカミの姿で赤ずきんに向かってそう叫ぶ。

 吐く息の勢いで赤ずきんのフードが揺れる。その化物じみた力にウル自身が震えてしまう。

「いいえ、違うわ」

 少女は否定した。

「あなたは初めて出会ったとき、私の命を救ってくれた」

「……違う」

 他のオオカミに彼女を横取りされるのがたまらなく嫌なだけだった。

「あなたは私が困ったとき、いつもそばにいて助けてくれた」

「……違う」

 彼女を傷つけるものすべてが許せなかった。ただそばで彼女の笑顔が見ていたいだけだった。

「あなたは私たちの為に今日、物語を進めようとしてくれた」

「それは……」

 ウルは言葉に詰まる。その様子を見て赤ずきんは優しい笑みを浮かべた。

「大人の人達が言ってたんだ。今夜、少年に化けていたオオカミが満月の光を浴びて元の姿に戻るから物語を進めることが出来るって」

 いくら母親達がウルという少年がオオカミだという事実を隠そうとしていたとしても村の中で情報は出回っていた。赤ずきんが真実を知るのも当然であり、時間の問題だった。

「もしかして……とは思ったよ、でもまさか本当にあなただったのね」

「なんで……なんで笑っていられるんだ!」

 オオカミのウルは赤ずきんに問いを投げかける。今から食べられる人間が浮かべる表情ではなかった。

「あなただからよ」

「俺……だから?」

「あなたなら怖くない、あなたになら……」

 そこで少女は一度目をつむった。そして再び目を開けると透き通った瞳でウルを見た。

「私……食べられてもいいよ」

 赤ずきんが両手をウルの口元へと向ける。その表情は変わらず微笑んでいた。

「……あ、ああ……あああああああ!」

 ウルの瞳から再び大粒の涙がこぼれる。なぜ自分に与えられた役割がオオカミだったのか、なぜよりにもよって赤ずきんを食べる役割を持っていたのか、今日この日ほど自身に与えられた役割を憎んだことはなかった。


「……どうしてあなたのお口はそんなに大きいの?」

 赤ずきんが本来紡ぐべきだった最後の台詞を口にした。

 このまま彼女を食べなければ赤ずきんの役割を与えられた彼女は世界から役割に反したと捉えられて焼失しかねない。

「それはね……」

 涙は止まらなかった。それでも彼女を焼失させるわけにはいかない。その思いだけでウルはゆっくりと口を開けた。

「お前は…………食べる為さ……」

 赤ずきんの祖母と同様に彼女を一口で丸呑みする。最後の最後まで目の前の少女は笑顔のままだった。その顔はウルの眼に強く、強く焼き付いた。

「うぅ……うっ!」

 赤ずきんを食べてしまった。さらに膨れ上がったお腹と彼女の顔が脳裏から離れず吐き出しそうになる。

 しかしウルは口を閉じてそれを懸命に止めた。

 狩人が来るまで絶対に彼女たちを吐き出すわけにはいかない。それだけは守らなければならない。

 物語に沿うならば狩人は腹を裂いて二人を救出する。そしてその後オオカミは懲らしめられて赤ずきん達は幸せになる。それがこの世界の赤ずきんの結末だった。


「狩人……」

 このあとやってくる赤ずきん達を救う役割を与えられた男の顔を思い浮かべてウルは苦虫をすりつぶしたような顔になる。

 物語が完成し、この世界と人々が消失するまでには多少の時間が生じる。その間に赤ずきんに対して狩人が手を出さない保証はどこにもなかった。

「どうして……」


 それから先の言葉が出るよりも先にウルは深い眠りについた。
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