八菱銀行怪奇事件専門課~人を消す金庫~

可児 うさこ

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目黒支店は働く環境としては、最悪だった。駅から徒歩0分という立地は確かに良い。JR山手線の目黒駅の直下、地下二階に位置している。地下一階には都営地下鉄三田線・目黒線が通る。しかし地下なので当然、窓はない。電波も通らず、これは配属された行員が最も不満に感じる点だった。また、電車が通ると店全体が揺れることもある。そんな環境で一日八時間を過ごすのだ。地下の倉庫を見張るエリサ並みの強靭な精神力を持たない限り、病んでしまうだろう。
 ロビーを横切り、法人営業課のフロアへ入っていった。支店長のデスクへ向かい、名刺を差し出した。彼は電話中だった。名刺を見ると、受話器から口を離し、「あぁ、ご苦労さん。第三応接室をおさえてるから、そこ使ってな」とすばやく言った。そうして法人事務課に向かい、「三井さん、本部の方たち案内してや!」と叫ぶ。そうしてまた、通話に戻った。
「ご案内しますね」
背後から女の子から声をかけられた。語尾に音符マークがつきそうなほど、軽やかな声色だった。白い半袖のニットにふんわりとした紺色のスカート、いかにも東京が好きそうな子だ。丸の内の飲み会に誘えばいつでも来てくれるだろうし、彼氏が名古屋に転勤になったら別れそうだ。若くてかわいらしいので、青木好みだろう。彼の方を見やると、どこか後ろめたいような顔をしていた。

応接室は机が一脚と、ソファが四つ。窓がない四畳ほどの部屋は圧迫感があり、控えめに言っても不快だった。早々にお帰りいただきたい客にはうってつけかもしれない。
青木が持ってきたノートパソコンを開き、キーボードを叩き始めた。
「稟議、書けそう?」
「そっちは大丈夫そうなんですが、もう一つの調査が難航してて。電波が悪いんですよね」
「もう一つの調査、ね」
 私は意味ありげに呟いた。彼の人脈は広い。彼によると、女の子たちと飲み会活動をするのも、情報を集めるため。つまり業務の一環らしい。「飲み代、経費でもらいたいくらいっすよ」とこぼしていた。
私は画面右下に表示された時計を見た。十三時を過ぎている。三井さんに電波の件を相談しに行くと、彼女が支店長に相談し、ビルの七階を使うよう指示された。青木は不満そうに声を上げた。
「え、七階ですか? 同じフロアで、パソコン貸してもらえないんですかね」
「見られたら困るんじゃない。七階は会議室の他に休憩室と女子ロッカーもあるって」
「女子ロッカーですか」
 すかさず声の色が変わった。男子校育ち、男子寮の住民、彼女のいない二十二歳である。
「使うのは会議室だよ」
「そんな怖い顔しないで下さい」
「三井さんとかタイプなんじゃないの」
「え? どうして分かるんですか」
「いかにも男性が好きそうな女子だから」
「僕も始めはそう思ったんです。いつも年下なんですけど、もしかしたら年上でもいけるかなって。でも、何か違ったんですよね」
 彼の話によると、事務職の女子との飲み会で既に会ったことがあるらしい。連絡先も既に交換していた。彼女のインスタを見て「違う」と思ったという。見せかけだけのSNSに違うも何もあるかと思ったが、その議論は長くなるので保留にしておいた。
「じゃ、七階で仕事してきて。私は店で事情聴取してくるよ。何かあったら降りて来て。社用携帯も一応あるけど、電波通じないから意味ないか」
 後半は青木の耳に入っていたか分からない。男という生き物は一度熱中すると、人の話が聴こえなくなる。元夫と「私のこと無視しないでよ」と何度も喧嘩をしたと、エリサが言っていた。
「黒川さん。僕も行きましょうか?」
「良いよ。部下を危険な目に合わせるわけにいかないし」
「もっと頼ってくれても良いんですよ」
私が返事をする代わりに、部屋がかすかに揺れた。次いで電車が通る音がして、天井を見上げた。そういえばここはメトロが真上にある店だ。視線を元に戻すと、青木がいない。机の下に隠れていた。私は黄瀬次長の言葉を思い出した。「彼、新人の中で一位だよ。だから黒川さんを指導担にしたんだ」と言っていた。
新卒で法リ総へ配属されたのは、五名。表向きは新入行員研修と見せかけた選抜試験、別名『ヘル・キャンプ』の合格を意味する。総合職は五百名が採用されるから、百名に一人の逸材のはずだ。
しかし二か月を共に間過ごした印象では、彼に適性があるとは思えない。優しすぎるのだ。女好きではあるが健全で、まっすぐな男の子だ。次の人事面談では、彼の異動を申し出ようと思っていた。銀行の人事は、必ずしも適材適所というわけではない。希望通り行くことは、もっとない。

応接室を出ようとすると、青木の声が追いかけて来た。吸い込まれるような青色の瞳が私を捉えた。
「いってらっしゃい。あんまり無理しないで下さいね」
 彼は少しだけ、微笑んだ。弟の五月(さつき)と笑い方が似ている。もし生きていれば、青木と同じ年齢だ。
「あ……うん」
不意をつかれ、言葉が出なかった。別れの言葉は苦手だ。特に一日八時間一緒にいて、かけがえのない存在になってしまった者とは。どうして誰もが気軽に口に出せるのだろう。次に会える保証は、どこにもないと言うのに。
私は足を引きずるようにして、応接室を出た。法人営業課、法人事務課、お客さまサービス課、ロビーを歩きまわり、ATMで監視カメラを見上げた。戻らない時を求めてさまよう、亡霊のような顔をしていた。

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