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四
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間藤に声をかけられたのは、入口に最も近いATMの前だった。
「良いにおいがする」
開口一番、こんな返しをしてきた。それに面食らっていると、彼は続けた。
「なんだか、おいしそうな香りだね」
「そりゃ、どうも」
ぶっきらぼうに言い放つが、彼にとっては逆効果だったようだ。脳内がお花畑になる装置でも埋め込まれたのだろうか。銀行員の男性は自分に欠点はなく、婚活市場で無双できると思い込んでいる。一応は結婚して子供もいるが、そんなの関係なく、全ての女性に好かれるはずだと信じている。非難も誉め言葉に変換してしまうのだ。
「なあ、面白いものがあるんだぜ。見たいか?」
彼は急に切り出した。私のためらいを、彼はイエスと取ったようだ。
「付いて来いよ」
彼は立ち上がり、私の腕を引いた。私が身をこわばらせると、彼は嬉しそうに言った。
「ほら、そう照れんなって」
彼の理性は一体どこへ行ったのだろう。目黒雅叙園か八芳園あたりで、すみれでも摘んでいるのかもしれない。しかし彼についていけば、謎を解明できるかもしれない。私は色気のある女性を演じることにした。こうして私は彼と金庫へ、セーフティボックスが隠していた地下室へ、デートをすることになったのだ。
階段を降りると、感じの良い空間が広がっていた。セミダブルのベッドをダウンライトが照らし、壁掛けのテレビもある。ナイトテーブルにはペットボトルの水が二本置かれ、花瓶には薔薇もいけてある。ベッドサイドにはティッシュ箱と、赤ワイン『Olive you』も置かれていた。
「ほら、乾杯しようぜ」
「このワイン、A社からもらったやつね。確か『I love you』のアナグラムだって」
「あぁ。お前が接待交際メモつけてくれたよな」
「一緒に飲むこと、考えてたわ。私はお酒、だめなんだけど」
「業務中に地下に来ておいて、だめも何もないだろ」
彼は地上にいる時よりは、ずいぶんとリラックスして見えた。ハイスピードでワインを飲み、主に彼の半生を語っていた。幼少期の話から、やっと地下室の話にまで時間が追いついた。この金庫は、たまたま金庫で探し物をしていて知ったのだという。
「暗証番号はどうして分かったのかしら」
彼は微かにほほ笑んだ。薔薇の花弁が落ちるかのように、ささやかな笑みだった。
「あのセーフティボックスにポストイットが貼ってあったんだ。俺の誕生日だったんだよ。開けるしかないだろ。残業してて、辺りに誰もいなかったしな」
「残業ね、家庭があるのに。まだお子さん小さいんんでしょ?」
「どうせ家に帰っても『もう帰って来たの。あんたのご飯ないわよ』って言われるだけだ」
いじけている姿は、男子高校生そのものだ。受験勉強から仕事まで半生を頑張り続けてきた、エリートの悲しい末路だった。
人生のうち、仕事が占める割合など三割程度だ。あとの七割である家族とか、友人とか、趣味とかの方が大事だ。しかしその事実に気付けない。三割が一番だと思い込んでしまう。気付いた頃には、七割を失っているのだ。水やりを忘れた、花のように。
私はナイトテーブルに置かれた花瓶から、薔薇の花を一輪手に取った。すぐ傍のゴミ箱に捨ててあったものは、見なかったことにして。
「たまには家に花でも持って帰ったら?」
「嫌だね。目の前でへし折られるだけだ」
「無言で渡したら、そうなるでしょうね。『育児、任せきりでごめんな。いつもありがとう』って添えるだけで良いのよ」
「……うるせえよ。お前、何様だ」
彼は私の手から花を奪った。私は押し倒された。薔薇の花弁は散らないよう、テーブルの上に置いてあげた。
「良いにおいがする」
開口一番、こんな返しをしてきた。それに面食らっていると、彼は続けた。
「なんだか、おいしそうな香りだね」
「そりゃ、どうも」
ぶっきらぼうに言い放つが、彼にとっては逆効果だったようだ。脳内がお花畑になる装置でも埋め込まれたのだろうか。銀行員の男性は自分に欠点はなく、婚活市場で無双できると思い込んでいる。一応は結婚して子供もいるが、そんなの関係なく、全ての女性に好かれるはずだと信じている。非難も誉め言葉に変換してしまうのだ。
「なあ、面白いものがあるんだぜ。見たいか?」
彼は急に切り出した。私のためらいを、彼はイエスと取ったようだ。
「付いて来いよ」
彼は立ち上がり、私の腕を引いた。私が身をこわばらせると、彼は嬉しそうに言った。
「ほら、そう照れんなって」
彼の理性は一体どこへ行ったのだろう。目黒雅叙園か八芳園あたりで、すみれでも摘んでいるのかもしれない。しかし彼についていけば、謎を解明できるかもしれない。私は色気のある女性を演じることにした。こうして私は彼と金庫へ、セーフティボックスが隠していた地下室へ、デートをすることになったのだ。
階段を降りると、感じの良い空間が広がっていた。セミダブルのベッドをダウンライトが照らし、壁掛けのテレビもある。ナイトテーブルにはペットボトルの水が二本置かれ、花瓶には薔薇もいけてある。ベッドサイドにはティッシュ箱と、赤ワイン『Olive you』も置かれていた。
「ほら、乾杯しようぜ」
「このワイン、A社からもらったやつね。確か『I love you』のアナグラムだって」
「あぁ。お前が接待交際メモつけてくれたよな」
「一緒に飲むこと、考えてたわ。私はお酒、だめなんだけど」
「業務中に地下に来ておいて、だめも何もないだろ」
彼は地上にいる時よりは、ずいぶんとリラックスして見えた。ハイスピードでワインを飲み、主に彼の半生を語っていた。幼少期の話から、やっと地下室の話にまで時間が追いついた。この金庫は、たまたま金庫で探し物をしていて知ったのだという。
「暗証番号はどうして分かったのかしら」
彼は微かにほほ笑んだ。薔薇の花弁が落ちるかのように、ささやかな笑みだった。
「あのセーフティボックスにポストイットが貼ってあったんだ。俺の誕生日だったんだよ。開けるしかないだろ。残業してて、辺りに誰もいなかったしな」
「残業ね、家庭があるのに。まだお子さん小さいんんでしょ?」
「どうせ家に帰っても『もう帰って来たの。あんたのご飯ないわよ』って言われるだけだ」
いじけている姿は、男子高校生そのものだ。受験勉強から仕事まで半生を頑張り続けてきた、エリートの悲しい末路だった。
人生のうち、仕事が占める割合など三割程度だ。あとの七割である家族とか、友人とか、趣味とかの方が大事だ。しかしその事実に気付けない。三割が一番だと思い込んでしまう。気付いた頃には、七割を失っているのだ。水やりを忘れた、花のように。
私はナイトテーブルに置かれた花瓶から、薔薇の花を一輪手に取った。すぐ傍のゴミ箱に捨ててあったものは、見なかったことにして。
「たまには家に花でも持って帰ったら?」
「嫌だね。目の前でへし折られるだけだ」
「無言で渡したら、そうなるでしょうね。『育児、任せきりでごめんな。いつもありがとう』って添えるだけで良いのよ」
「……うるせえよ。お前、何様だ」
彼は私の手から花を奪った。私は押し倒された。薔薇の花弁は散らないよう、テーブルの上に置いてあげた。
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