八菱銀行怪奇事件専門課~人を消す金庫~

可児 うさこ

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も「助けて」って言われたから、我慢しちゃう人だったんだ、って」
「おあついこと。それ、本部でやってくれる?」
 三井さんがすれ違い様にからかい、自分の席に去って行った。私は彼女を見た。長い時間が過ぎた気もしたし、数秒しか経っていない気もした。
「すみません。女子トイレはどこですか? 案内いただきたいんですが」
遠くから、支店長の視線を感じた。相手を信用しきっていない者が見せる、特有の眼差しだ。人は偉くなるにつれて、そのような目つきが得意になる。

 女子トイレに着くなり、彼女は言った。
「用を足したいのか、私と話がしたいのか、どっちなの?」
 先程の従順な事務課員とはガラリと様子を変えていた。こちらが本性なのだろう。
「もちろん後者ですよ」
 トイレの中に誰も避難していないことを確認し、私は続けた。
「間藤代理の首に、注射器の跡がありました。髪の毛を調べれば、四年前まで鑑定できます」
「睡眠薬よ。ワインにも入れたけど、効くまで時間がかかるからね。襲われた時に使ったの」
 彼女は居心地が悪そうに身体を揺らした。
「もう良い? 支店長に怪しまれるから、早く出たいんだけど」
「脚本家の名前を教えてください。三井さんに間藤代理を好きな振りをさせて、金庫へ誘導するよう指示した人物を」
 沈黙。彼女はすみれ色の瞳で、私をじっと見つめた。
「私は心から惚れてたのよ」
「それは演技です。私も騙されかけました。舞台の上では信じていたでしょう」
 ショーが終わると、化粧を落とす。服を着替えて、元の自分に戻る。
「あなたから間藤代理の身を案じる発言は一言もでませんでした。彼は入院しています。脱出したあと、電車に跳ねられたんです」
 彼女は洗面所前の鏡を見て、ため息をついた。彼女の呼吸に合わせ、かたちの良い胸が上下している。この胸に触れるなら、たいていの男はなんだって差し出すだろう。
「銀行で副業が解禁になったでしょ。行内便で届いたの。女優として、副業の案内が」
当行は四月から副業が解禁になった。しかし内情はひどいものだった。業務時間を侵食してはならないので、八時四十分から十七時十分の間は動けない。複雑な申請書を提出しなくてはならないし、上司の承認も必要だ。せいぜいが週末ボランティアで、収入を得た例は耳にしたことがなかった。行内副業を別にして。
「内線番号だったし、すぐ電話したわ。役者のキャリアについて悩んでたし、実績が欲しかったしね。そうしたら、今回の役を言われた。『ミミ』の役をね」
 三月とうまく発音できないエリサは私のことをミミと呼ぶが、そのことは黙っておいた。今は関係ない。
彼女は髪をかき上げた。夕方だというのに、見事な巻き髪だった。ピーチを思わせる、甘い匂いが漂った。
「黒川さんたちが来る日に彼を誘惑して、金庫に置いておく」
「陽性の妊娠検査薬を二本入れたのも、あなたですか」
 うなずいて、微かにほほ笑んだ。
「被害者の女性に目が行くようにね。私も性的な嫌がらせは経験があったから、泣き寝入りはさせたくなかった。ベッドの下にレコーダーも置いたわ。部屋が崩れたから回収できなかったけど」
生理のナプキンをサニタリーボックスに入れたのは、潔白を証明するためだろう。役者はアドリブもできるだろう。演技を研究する、彼女のような者は特に。
「そういえばセーフティボックスの入口に、ペンが落ちてなかった?」
「いいえ」
「本当? あれ気に入ってて、直したかったんだけどな」
 今度は私が目を見開く番だった。私と彼女の間に、誰かが金庫箱近くの掃除をしたことになる。私の驚きに気付いていないか、気付かないふりをしているのか、彼女は話題を変えることにしたらしい。
「こんなのあるんだけど、いる?」
 それは千葉県浦安市にある、Dから始まる国のものだった。
「私、組合員だから、店で行けない子のチケット回収したのよ。明日は八菱デーでしょ」
「八菱グループが貸し切りの日、でしたっけ」
「ええ。何枚かあるわ。あげるわ」
「こんなにたくさん要りません。一緒に行く相手もいないですし」
 憐れむような視線を向けられて、私は居心地が悪くなった。
「あの子、青木くんだっけ。誘ってあげたら? 上司として労ってあげても良いじゃない」
「私みたいな年上から誘われても、迷惑なだけです。若くも、綺麗でもないし」
「あら。そんなことないわよ。ちょっと表情がきついけど、スレンダーだし、黒くて艶のある髪してる。 その葬式みたいな黒いパンツスーツはいただけないけどね」
 トイレの扉越しに、三井さんを呼ぶ声がした。課長だわ、と彼女が呟く。
「三井さん! 締め業務をするから、そろそろ来てくれる?」
  男性だから入ってこないと思いきや、 彼は勢いよくドアを開けた。事務課長は私が見えていないかのように、三井さんをまっすぐ見つめた。次に私を見たが、その表情には敵意がありありと浮かんで見えた。彼の口元は固く結ばれ、「その娘を連れて行くまで動かないからな」という決意がうかがえた。まるで子供を守ろうとする親鳥のようだ。自分の部下を守るために必死なのだ。こんな課長に仕えていたら、きっと銀行生活も楽しいに違いない。彼女は小さく別れを告げた。出て行く直前、私は言った。
「三井さんは明日行かないんですか?」
「行かない。あいつの見舞いでも行くつもり。そのまま死なれても夢見が悪いしね」
「じゃあ、さっきのチケットやっぱりもらえませんか?」
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