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第一章
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しおりを挟む「……旭が、ずっと努力してきたのは知ってる」
「うん」
鼻を啜って、俯いたまま百合が呟く。
「あんまり食べないで、家から出ないようにして、体が弱いフリをずっと続けてた」
「……うん」
「でも、それじゃあ嘘をつくだけになっちゃうから、ちゃんと仕事もしてた」
「女の人の仕事を、させてもらってただけだよ」
「そんなの関係ない。私は、旭みたいに綺麗な反物は作れないもん。畑仕事したり、綿を取ったりする方が性に合ってる」
手をぎゅっと握り返されて、旭は「痛いよ」と笑う。
百合の手は、旭の手よりも節が太い。鍬を握り、籠を背負う、農民の手。
「旭は村の誰よりも綺麗な反物作って、売り物にしたり、みんなの着物作ってくれたりしたでしょう。外に出ない分、仕事の量や時間でいったら村の誰よりも働いてた。働き過ぎて、たまに本当に体調悪くなってたじゃない」
「……はは」
「いつか、この日が来ること、分かってたよ。だって、旭は贄になるために頑張ってたんだもん。他の人が選ばれたって、こっそりその人と入れ替わるつもりだったの、分かってるんだから」
「……そんなことまでお見通しだったの?」
「分かるよ。分かるに決まってるでしょ。私たち、幼なじみだよ」
百合が、泣き笑いのような表情になる。
「ずっと仲良しの、幼なじみだもん。だから、寂しがったっていいでしょ?」
「……うん。ありがとう」
「ふふ。そこで『ごめんね』って言わないところが、旭だね」
***
――贄奉納の儀は、すぐにやってきた。
白い着物に、花の装飾。自分で作った着物に、百合が摘んできた花を髪に飾り付けただけの、簡易な装い。だが、まるで嫁ぐみたいだ、と思う。
儀式は、与えられた酒を一口啜り、軽く祝詞を唱えるだけの簡易的なものだ。
それらをさっさと済ませ、白蛇様の社へ向かう籠に乗るように促される。
普段は分け入ることの禁じられた山に、この儀式の時だけは入ることが許される。
ここまでくるのに、十年かかった。
嬉しくて、顔が緩むのを俯いて隠す。贄になるのを喜ぶ者など普通はいない。
贄になるための条件。十六から二十歳までの、清らかな人間。前回の贄は、病弱な女性。
病というのは、本来穢れのはずだ。清らかであるというのは、何も他人との性的な接触だけではないはず。
教えてくれたおばあは、そこには触れなかった。五年前に大往生したおばあは、こどもの旭たちにあれ以上のことは教えてくれなかったが、旭は教えられずとも分かっていた。
贄の儀というのは、要は、口減らしなのだ。
(十五歳頃までは、体の機能はまだこどもだ。身長も伸びるし、体格もまだ伸びしろがある。二十歳ともなれば、立派に村の働き手の中心だ)
つまり、十六から二十歳の村人から、一番の役立たずを決めて、追放する。
こどもではだめだ。こどもは、これからどのように成長するかの予測が立たないから。
病弱だった子が健康になったり、逆に遊び回っていた子がある日突然病に臥せったり。
こどもの成長は予測がつかない。だから簡単に口減らしをすることはできない。
もしかすると最初は本当に貴重な人材が奉納されたのかもしれないが、何せ周期が六十年もある。どこかでその風習が変わってしまってもおかしくはなかった。
だから旭は、役立たずのフリをしてきたのだ。糸を紡いで、機を織ることしかできない病弱な親の居ない青年。
特に旭たちの世代は、旭にとっては幸運なことに、健康優良児ばかりの世代だった。
旭をいじめた少年たちだって、今や立派に働いている。
だからこそ、旭が多少働いても、評価は彼らの足下にも及ばなかった。反物は金銭にはなるが、それだけでは食べていけない。反物を金銭に換え、金銭を食料に換えてやっと糧となる。
それよりも直に食料を産み出す人間の方が遥かに評価が高いのは、自然の道理であった。
都の方では価値が逆転すると言われているが、こんな田舎の村では、あって困ることはないが、なくてはならない仕事ではない。
村の女性はほとんど機を織れるし、糸を紡ぐくらいはこどもでも出来る。
(そういう絶妙なところを狙ってやっていたってのはあるけど、……うまくいってよかった)
旭は顔を上げて、村人たちの中で肩を寄せ合っている百合と泰治を見つけて、微笑んだ。
贄になることを喜んでいる人間などいないが、最期の別れに微笑む人間はいくらでもいるはずだ。
百合は涙をいっぱいに貯めた瞳を堪えるように食いしばり、泰治は流れる涙を何度も拭いながらこちらを見ていた。
(さよなら)
声に出さなくても、きっと二人には伝わった。
百合の瞳から大きな涙の粒が、こぼれ落ちる。籠のすだれが下ろされ、視界が暗くなる。
泰治の大きな泣き声が響いて、旭は籠の中で一人、ひっそりと涙を流した。
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