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第二章
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しおりを挟む「お待たせしました旭さん」
にっこりと人好きのする笑みで緑狸が現れ、旭は佇まいを直そうとしたが、白蛇に制止される。
「崩したままにしておけ。また立てなくなるぞ」
「う……はい」
旭はつま先が二人に向かないよう膝を折り、横座りのような体勢を取る。
あぐらをかくのもかといって神様や神に近しい存在に足先を向ける訳にもいかず、苦肉の策だった。
「反物を売っていただけるというお話でしたな。制作は大体どれくらいで?」
「二週間もあれば、糸から紡いでもひとつは作れると思います。――人間が作ったものでも、買っていただけるのですか?」
「ええ、ええ。人間が神のために作ったもの、神に捧げたもの――それは、奉納品とよばれるものとなります。たとえ自分たちが食べるために作った作物でも、儀式を通して神に捧げればそれは立派な奉納品です。そしてそうした奉納品は、神の力を高めることが出来るのです。我々はそうした奉納品を方々の神様方からお預かりし、他の神様へお譲りする……そういう橋渡しの役目をしているというわけです」
「奉納されても、それが神の好む品ではなかったり、必要ではなかったりすることもあるからな」
白蛇の補足に、旭は苦笑いする。それはまさしく、自分のことだと思ったからだ。
「神様というのは、食事をするわけではありません。その神様への信頼、信仰、敬愛……そういう善き心を糧とするのです。ただ、中には人間同様飲食を好まれる神様もいらっしゃる。食べない神様から、食べる神様へ。そうしていただいたものを無駄にはしないのが、我々商人の役目なのです。白蛇様からも、以前は食料をお預かりしておりましたよ」
「あ……だから、食べるものがないと」
「そうだ。俺は村人たちの信仰心や、山の精気で腹は膨れる。だが、人間は食事をせねばお前のように痩せこけ……そして死ぬ」
す、と白蛇の瞳が細くなり、旭は足をさする。たしかに痩せこけていて、筋肉の張りもない体だ。
病弱ではないと言った旭のことを、信用していない口ぶりだった。
「まあまあ!そのためのこの狸でございますから」
緑狸は、ごそごそと袂を探り、麻の袋を取り出した。
「二週間分の、米でございます。あとは野菜や干物。それから、お砂糖、塩、酢、醤油、味噌……」
袂から次から次へと大小様々な麻袋や瓶が現れ、旭は目を白黒させる。
(どこにこんなに入ってたんだ……じゃなくて!)
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「おや。みりんも必要ですかな?もちろんご用意しておりますとも」
「そういうことじゃなくて!……あの、おれ、持ち合わせがなくて……」
「おやおや!この緑狸を舐めていただいては困ります。これは投資です」
「投資?」
「ええ、ええ。白蛇様は費用を払うと言ってくださっていますがね。人間が作った反物を直接お譲りいただける機会など、そうないのです!だから私は、たいへんに期待をかけているのですよ。ですから、制作に必要な二週間分の食料をまずお渡しします」
米の入った麻袋と調味料の瓶を旭に向かって押し出しながら、緑狸はにっこりと笑った。有無を言わせない笑みだ。
「前金だと思っていただいてもかまいません。反物の出来の如何に関わらず、今回はこの報酬で制作してほしいということです。出来が良ければ私は得をします。まあ出来が悪くても奉納品には変わりありませんから、欲しがる神様はいらっしゃいますので安心してください」
「……わかりました。いただいた報酬に見合う分の仕事になるよう、がんばります」
「では取引成立ですね。良い仕事を期待しておりますよ。……おっと!もうひとつございました」
袂から経木――薄い木の皮の包みがひとつ出てくる。握り飯を包むのによく使われる包みだ。
当然、中のものもすぐ想像がついた。
「開けてみてください」と言われ、旭は包みの紐をほどく。
「その様子では、料理もままならないでしょう。どうぞ今晩お召し上がりください」
「――この、おにぎりは……」
包みを開けて、旭は目を瞠った。中に入っている握り飯は大きくて、そして少し不格好な形をしている。
「ふふ。塩っ気が少し効き過ぎているかもしれませんが、沢山歩いた体にはちょうど良い塩梅でしょう」
「なぜ……」
(百合の作ったおにぎりにそっくりだ……大きさも、形も)
旭はしげしげとその握り飯を眺める。
「お客様のご要望に応えてこそ、商売人というものです。おっと、何故分かったのかというのは企業秘密でございますよ」
緑狸は楽しそうな足取りで「ではまた二週間後に」と去って行った。
「――不思議な男だろう。だが真面目に考えると肩透かしを食らうぞ。あいつのことは深く考えない方が良い。あれはまさしく、”狸”だからな」
「わかりました」
諸々腑に落ちないことはあったが、”考えるな”と言われてしまえば、旭は考えることを止めざるを得ない。
「おまえの部屋へ案内しよう」
「えっ。……部屋、ですか?」
旭はてっきり、玄関から入ってすぐの間で寝泊まりするものだと思っていた。
「ここは土間のすぐ側で冷えるだろう。奥の部屋を寝泊まりできるようにしたから使うと良い。――ああ、今立てないんだったな」
「へ、わっ!?」
伸びてきた手が、旭を易々と持ち上げる。
道で拾われた時とは違い、もっと雑な抱き上げ方だった。
「落とされたくなければ手を回せ」
「は、はいっ」
片腕にお尻を乗せて座らせられ、旭は上擦った声で返事をしながら、握り飯を持っていない方の手をおそるおそる白蛇の首に手を回す。
装束を掴んだときよりも白蛇を近くに感じて、旭は心臓が爆発しそうだった。
「やはり軽すぎる。童でもあるまいに」
文句を言いながら、白蛇はずんずん外廊下を進んでいく。
襖を開けた先、6畳ほどの部屋に通され、ようやく旭は下ろされた。
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