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第三章
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しおりを挟む「おやおやお二人様。どこか雰囲気が変わりましたね。この一週間で何かあったご様子」
緑狸の言葉に、旭は慌てて顔の前で手を振った。
「いえ、特に変わりはありませんっ」
「またまたあ。商売一筋ウン十年。この狸の目はごまかせませんよ」
「十年じゃきかないだろう、お前の経歴は」
「ははは。たしかにたしかに」
緑狸は朗らかに笑って、茶を啜った。
「反物はできあがりましたかな?」
「はい。――こちらです」
「どれどれ……。おお!なんと素晴らしい……!」
「売り物に、なりそうですか?」
恐々聞いた旭に、緑狸は「ええ!」と感嘆した様子で返事をした。
「素晴らしい出来です。人間が神を思い、丹精込めて作った奉納品……。これほどの出来のものは、本当に珍しい!」
旭は、ほっと胸をなでおろす。
「思った以上の出来栄えですよ。これは査定額の予算を変えねばなりますまい……」
緑狸は袂をごそごそと探り、虫眼鏡を取り出した。
つぶらな垂れ目が、虫眼鏡越しに大きくなる。
じっくりと反物を隅々まで検分し、時折うんうんと頷く緑狸を、旭はじっくり待った。
「――お待たせいたしました」
緑狸が、顔を上げる。
袂に手を入れ、大きな麻袋を取り出した。
見るからに重そうなそれが、床に置かれてごんっと大きな音を立てる。
「おっと失礼。最近あまり持たぬような大きなお金だったもので。ささ、どうぞ」
ずいっと寄せられた麻袋の中身は、ぎっしり詰まった小判のようなものだった。
「こ、れは……」
「神の世界で使われる通貨です。価値は変動しますが、大体人間が使用するものと同じ価値と考えていただいてかまいません。通貨も、奉納品ですからね」
「……なるほど……」
「これ程あれば、向こう3年は左うちわで暮らせるだろうな」
「そ、そんなに……!?」
「そんなに、価値があるものなんですよ。ああ、ちなみにですが、糸や諸々の経費を抜いてこの査定ですよ」
たった一週間でそんな大金を貰っていいのかと旭は冷や汗を流す。
「――普通は、こんな金額にはなりません。もちろん反物は高級品ですから、それなりの価格はしますがね。旭様の織った反物は、込められている信仰心が桁違いなのです。例えば片手間で織ったとしたら、そこまでの価値はつきません。……お品物に、きちんと正当な価値をつけることもまた、我々の仕事のうちですから」
「あの……この帯も買い取っていただけたりしませんか?」
「――なんと!」
旭は、おずおずと後ろから帯を出した。
反物の作成は吹っ切れたこともあって順調すぎるほど順調に進み、余った日数で帯の長さまで織ることができたのだ。
「いやはや、驚きました。化かすことはあっても化かされることはあまりございませんので。……ええと、たしかこの辺に……」
もぞもぞと袂をあさって、緑狸はああでもないこうでもないと唸る。
「……ありました! ありましたとも。持ち合わせがないなんてことがあったら大変なことでした」
再びごそっと取り出した麻袋を、今度は慎重に置いて、緑狸は手拭いで額をぬぐった。
受け取った額を少し使い、旭は様々なものを緑狸から購入する。
食料は勿論のこと、次の反物を作るために使う糸、それから自分用に使うために綿や麻など、思いつくものをできるだけ購入した。
大金を置いておくのは怖かった――といっても、思いつくものを色々買っても大金は全然減らず、かえって大金への恐怖が増しただけだったが。
糸はかなりの量になったため、作業部屋に置くことができず、旭の隣の空き部屋に置いておくことになった。
綿や食料は外の蔵に保管する。
ひんやりとした蔵は、夏でもあまり気温が上がらず、食材を置いておくにはちょうどいい。
緑狸が次に来るのは一か月後なので、それまで食料を腐らせることがないように管理していかなければならない。
(あとは糸の仕分けだな)
糸は、絹糸以外に綿の糸も購入した。
正絹の着物で作業すると汚れが気になってしまうのもあり、作業用に仕立てるつもりでいた。
だが綿からでは時間がかかってしまうのと、糸染ができないので白い着物ばかりになってしまう。
白い着物も結局汚れが目立ってしまうので、色のついた糸を購入したのだ。
糸を色別、種類別に仕分け、優先的に使うものだけは作業部屋に移動させていく。
特に作業用の着物は早めに作ってしまわなくてはいけない。
(その前に、前掛けを作ったほうがいいかな)
旭は機織機に綿糸を通し、早速作業に取り掛かった。
正絹の着物の上から腰にまけば、汚れがついても前掛けだけを洗えばいい。
いずれは作業着は綿のものにしてしまうつもりだったが、それまでのつなぎとして使うつもりだった。
何とか夕餉までに前掛けが完成する。
前掛けを身に着け、旭は夕食の準備に取り掛かった。
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