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第三章
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しおりを挟むそれから何日かして、十二月に入った頃。
食事を片付ける様子を見守っていた白蛇が、終わるのを見計らって声をかけてきた。
先ほどまで食事をしていた板の間に向かい合わせに座る。
「そろそろ、冬眠が近い」
いよいよ来た。旭は頷く。
「冬眠に入る前に、いくつか伝えておくことがある」
「冬眠中の、生活のこと、でしょうか」
「ああ。……冬眠中は、俺は大蛇になっている。大蛇の姿の時は言葉は通じるが、人間とは会話は出来ない。それから、大蛇の間は体温調節が出来ない。冬眠中に起こされることは、死に繋がる。普通に生活をする分には問題ないが、むやみやたらに私室には入ってはならぬ」
「はい」
「冬眠の間は、狸が二度様子を見に来る。……あいつにはこの敷地の結界に入る許可を出しているから、おまえは敷地内で待っていればいい。必要な物があれば、そこで手に入れろ」
「わかりました」
「それから、結界は人間に対して狸のように許可を出すことが出来ない。結界の外に出てしまうと、――おまえは自力では戻れない。境界に気をつけろ」
「……はい」
出ていくつもりなど毛頭ないが、やはり自分と神様とは全く異なる存在だというのを否が応でも突きつけられる。
背筋に冷や汗が流れた。
「あとは……これが一番大事なことだ」
白蛇の言葉に、旭は顔を上げて背筋を伸ばした。
きゅっと口を引き結んで、白蛇の言葉を待つ。
「――絶対に死ぬな。ちゃんと飯を食って、規則正しく生活をすること」
旭は、目を瞠った。
今までも、白蛇は旭が冬眠の間に死んでしまうかもしれないと心配はしていたが、強い言葉で言われたのはこれが初めてだった。
「――はい」
しっかりと頷いた旭に、白蛇はどこか安堵したような、それでいて心配なような複雑な表情を見せた。
旭は白蛇を心配させないためにも、白蛇の言いつけを守ることを固く決意するのだった。
――白蛇が冬眠に入る日の朝。
旭は、白蛇の私室の前にいた。
今日の夜から、白蛇は冬眠に入る。その前に、渡したい物があった。
「白蛇さま」
呼びかけるとすぐに襖が開いて、白蛇が現れる。
「どうした?」
「いえ。あの……ご迷惑でなければ、これを」
「……守り袋か?」
「はい。仕事の合間に少しずつ作っていて……。白蛇さまが冬眠を無事終えられますように、と」
旭は、最初に反物を作った時の糸を少し取っておいた。
緑狸から手ぬぐいなどを作る時用に購入していた手織り機で、仕事の合間にコツコツと布を作った。
その布をちくちくと縫って巾着にして、紐を通す。その紐を二重叶結びにしたものが、旭の渡した守り袋だ。
本来であれば中に護符を入れるものだが、旭には生憎用意できない物だったので、代わりに真綿を入れた。
暖かな布団で、少しでも快適に眠れますように、という意味を込めたつもりだった。
「…………」
「……白蛇さま?」
やっぱり、迷惑だっただろうか。
旭が思考を曇らせかけたその時、白蛇が屈んだ。
「……感謝する。有り難く受け取ろう」
ふ、と笑った白蛇に、旭は頬を染める。
「今年の冬は、よく眠れそうだ」
目元を緩めた白蛇が、旭が渡した守り袋を懐に入れた。
嬉しさに舞い上がる心を抑えながら、旭はそれを見つめていた。
***
――白蛇が冬眠に入って、数日。
旭の生活は、白蛇が起きていたときとほとんど変わらない。
日の出の頃に起きて、家事をして、仕事をして、日の入りを少し過ぎた頃に床につく。
食事も、言われたとおりちゃんと食べている。
少し変わったのは、朝と晩の二回炊いていた米を朝一回に減らしたこと、朝と夜全く同じ献立になってしまうことぐらいだ。
習慣というのは恐ろしい。
ぼーっとしていると、つい米は炊きすぎるし具材は沢山切ってしまう。
いつも白蛇がほとんど平らげるので、一人分の適量を作るのが逆に難しい。
なので、いつもと同じ量を作って、それを二回に分けて食べることにした。
それでも余る分は、次の日に回している。
白蛇がいない食事は張り合いがなく、ついおろそかにしたくなってしまう。
その旭の心を咎めるのが、『ちゃんと飯を食え』という白蛇の言葉だ。
(白蛇さまには、きっと見抜かれていたんだろうな)
蕪汁を啜って、ため息をついた。
白蛇が向かいに座っていないことが、さみしい。
(すぐそばにいるはずなのに、さみしいだなんて……)
毎日、白蛇と話すことが楽しかったから。
距離が縮まったようで、嬉しかったから。
旭は、以前白蛇につけられた痕のあったところに触れる。
痕自体はもうずっと前に消えてしまったが、旭はそこに触れるだけで、白蛇の唇の感触を思い出せる。
旭は、懐から布の切れ端を取り出した。
守り袋を作った時の余りだ。
何の変哲もないただの端切れだが、旭はそれを肌身離さず持っていた。
それを眺めていると、力が湧いてくる。
まるで白蛇の守り袋と繋がっているような気がするからだろうか。
(そうだったらいいのに)
繋がりが切れないように願って、旭はそれを再び懐にしまった。
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