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第3章
五月の恋と君との日々 フリマ編(前編)
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フリ―マーケット当日の日曜日になった。
帆文は店長から七時には店に着いているように言われていたため、朝早くから自転車をこいでいた。五月の中旬だけあって朝でも暖かい。帆文は、紺色のパーカーに、ピンク色のカットソー、デニム柄のスキニーパンツを着ていた。
自転車をこいでいると、見知った人影が歩いているのが見えた。
「おはよう」
帆文が声を掛けると彼女は振り向く。
「あっ、おはようござます」
鈴恵だった。彼女は足首まである紺色のワンピースに白いカットソーを着ていた。いつもと違う新鮮な姿に帆文は息を飲む。そして、つい見とれそうになるのを堪えて、口を開いた。
「乗っていく?」
「いいんですか?」
「うん」
鈴恵は慣れた様子で自転車の荷台に腰掛ける。そして、帆文の肩を掴んだ。帆文も慣れた様子で自転車をこぎ始める。動き始めてすぐに鈴恵が口を開いた。
「時岸さんの私服、大人っぽくてかっこいいですね」
「そう?」
そんなことを言われたのは初めてだったので帆文は照れくさそうに頷く。
「草川さんの服もなんていうかいいね。いつもは制服しか見てないから、なんか不思議な感じだけど」
「え? 変ですか?」
「そういう意味じゃないよ。えっと、似合ってると思うよ」
帆文は背後の鈴恵がほうと息を吐くのを感じた。
「よかった」
ささやかれた言葉の意味はわからない。独り言のようにも聞こえた。帆文が何か言おうとすると、鈴恵が先に口を開いた。
「いい天気になってよかったですね」
天気は快晴。気温は昨日よりも暖かくなりそうだった。
「そうだね」
「私フリマは始めてなので、今日は色々教えてください」
「実は俺も初めてだけどね」
「そうなんですか」
「だから、とりあえず店長の指示に従っていこう」
「はい」
そうして二人は店に着いた。しかし、早朝なので、店はまだ開いていない。帆文は仕方なくお店の裏にある家の玄関に向かった。柴宮古書堂の裏には店長の家があった。お店と家が繋がっているのである。帆文は玄関までいくとインターフォンを鳴らした。しかし、音沙汰がない。
帆文と鈴恵は顔を見合わせる。
「どうしたんでしょう? 何かあったんでしょうか?」
「いや、多分。これは」
もう一度インターフォンを鳴らす。しばらく経つと引き戸の玄関が開いた。そこから店長がのそのそと出てくる。寝間着のような格好で、髪もぼさぼさである。目は半分閉じていた。
「えっと、おはようございます」
鈴恵は戸惑った様子で挨拶する。
「ふああ。おはよう。早いわね」
店長はあくび混じりに返した。
「店長が七時には集合しててねって言ったんじゃないですか」
「そうだっけ?」
「そうです」
帆文が頷くと店長はひらひらと手を振ってきびすを返した。
「まあ、いいわ。支度をするから上がって待ってて」
帆文は慣れた様子で家に上がっていく。鈴恵は戸惑っていたが、帆文に促されると家に上がった。
店長に言われて二人は座敷でくつろいでいた。座敷の机の家にお茶の入った湯飲みが三つ置いてある。
家に上がってすぐに、
「文、鈴ちゃんと私にお茶入れて」
「なんでだよ」
と言うやりとりがあったが、寝起きの店長と言い張っても仕方ないので帆文がしぶしぶ入れたものだった。
お茶を飲みながら二人で店長を待つ。
「店長さんって朝弱いんですか?」
「ああ。すごく弱い」
「へー、ちょっと意外でした。いつも元気ですし」
「まあね。でも、朝だけはずっと苦手ってみたい」
「へぇ、店長さんのこと詳しいんですね。さすが弟子・・・・・・だからでしょうか?」
「いや、違うんだ。俺の保護者と店長が幼なじみだから、店長の話はよく聞くんだ」
「それって・・・・・・」
鈴恵は一瞬戸惑ったような表情を浮かべる。帆文もつい自然に言ったことだが、しまったと内心思った。
帆文の家庭の話はこの前のことを思い出す。話題としては地雷だった。
二人の間に気まずい雰囲気が流れそうになる。しかし、突然、鈴恵が両手をぱんと合わした。
「なんだかいいですね」
「何がいいの?」
帆文は戸惑いながら尋ねた。
「なんだかよくありません?私、幼なじみとかいないから、あこがれるんです」
「俺もいないけど、あこがれないなあ」
「そうですか」
鈴恵は残念そうに肩を落とす。
「そういえば、草川さんも店長の弟子になったけど、空手の稽古もしているの?」
鈴恵は顔を上げた。しかし、どこか浮かない表情が浮かべる。
「実は、黙想しかしてないんです」
黙想とは心を落ち着かせたり、集中力を高めたりするために行うものである。正座して手を膝の上にのせ、目を閉じ、あとは、ひたすら集中する。たったそれだけの動作であるが、精神統一するには抜群の効果を発揮していた。
「俺も練習の前と後に行っていたけど、草川さんはそれしかしてないの?」
「はい」
「どれくらい?」
「最初は三分だったんですが、今は十分程です」
「正座で?」
「はい」
帆文は感心して頷く。
「すごいね」
「そうですか?」
鈴恵はきょとんとした表情を浮かべる。
「正座って足しびれない?」
「私はあまり?」
「それってすごいことだと思うよ」
「そうですか?私は強い方がすごいと思いますけど」
「そうかもしれないけど、俺は正座が苦手だったから」
「そうですか。でも、なんだか強くなっている気がしません」
鈴恵がぽつりと弱音を吐くと、居間の障子が開いた。
「なあに。師匠の方針に反対なの? じゃあ、破門ね」
店長は朝の様子とは打って変わって、髪も顔も服装もびしっと整っていた。ライムイエローの襟付きシャツに、グレーのパンツを履いている。さわやかな格好だった。
しかし、問題はそこではない。
「ええ?」
店長に言われた言葉を聞いて、鈴恵は涙目になりながら慌てて頭を下げる。
「すみません。すみません。もう反対しません。だから破門にはしないでください。見捨てないでください」
鈴恵は謝りながら店長の足にすがりつく。それはまるでだめ男に依存する甲斐甲斐しい女性のようだった。
なんか草川さんってろくな男と付き合いそうにないな。
帆文は心の中で引きながら、ため息をつく。
「店長、朝からその絵面はきついです」
「私もやりすぎたと反省してるわ」
店長は気まずそうに頬をかくと、しゃがんで鈴恵の頭に手をぽんと乗せた。
「冗談よ。鈴ちゃん」
「えっ?」
鈴恵ははっと気づくと、安心したような表情を浮かべる。
「破門は冗談。そんなことしないわ」
「本当ですか?」
「本当よ」
「ありがとうございます」
鈴恵は店長に抱きつく。抱きつく先が、足元から胴体にランクアップしていた。
店長は鈴恵の頭の優しくなでている。
こういうのが飼い慣らされているというのだろうかと帆文は冷静に思った。
「でも、なんで黙想しかさせないんですか? 俺の時はぼこぼこ殴っていたのに」
「ずいぶん語弊のある言い方ね」
店長は帆文をじと目で見ると、ため息をつく。
「まあ、いいけど。黙想しかしないのにはちゃんと理由があるわ」
「理由?」
鈴恵が疑問の声を上げる。
「多分、鈴ちゃんが求めているのって精神的な強さじゃない?」
「あっ、はい」
「だから、精神的なトレーニングをしているだけよ」
「そうだったんですね。さすが店長さんです」
「こういう時は師匠って言うのよ」
「さすが師匠です」
鈴恵に言われ、店長は胸を張った。
「でも、どうして最初にそれを言ってくれなかったんですか?」
鈴恵の言葉に店長ははっと表情を歪める。そこで帆文は気づいた。
あれは言い忘れてたな。
「自分で気づくのを待っていたのよ。まあ、最後はちゃんと教えたけど」
「さすが師匠です」
鈴恵は賞賛する。まるで変な宗教に盲目的にはまっている人だった。
草川さんって悪い人に簡単に騙されそうだな。
そんなやりとりを白けた目で見ながら、帆文は冷静に言った。
「そろそろ行きません?」
店長の運転する白いバンに三十分ほど揺られて、帆文と鈴恵はフリマの会場となる隣町の運動公園に着いた。
この辺りにある運動公園の中では一番大きな場所で、芝生や一周二キロのランニングコース、アスレチックなどがある。また、野球場やテニスコート、陸上競技場が併設されていて、クラブチームの活動や部活動でも使用されていた。
ちなみに、ここまでは乗ってきた白いバンには『柴宮古書堂』の文字が書いてある。お店の車だった。用途としては、本の買い付けや、お得意さんへまとめて本を売るためによく使われている。
「広いですね」
車から降りると、鈴恵はのびをしながらつぶやく。
「そうだね」
帆文も身体をほぐしながら頷く。
「それじゃあ、荷物を運んでおいて。その間に受付に行ってくるから」
「はい」
店長に言われて帆文と鈴恵は手分けして本を運ぶ。出店場所は昨日のうちに教えられていた。
二百冊の本を二台の台車に分けて乗せ、会場へと運んでいく。そして、鈴恵と二人でバンに積んであった木製の本棚を持って行く。本棚は二つあって、それぞれ一メートル五十センチほどの中型のものである。
会場は運動公園の中にある芝生の広場だった。
すでに出店する人がたくさん来ていて、それぞれの店のレイアウトを展開していた。小物や雑貨、服や玩具などさまざまな商品が並んでいる。見ているだけで楽しそうだった。
荷物を運び終えると、店長が戻ってくる。
「店長、レイアウトはどうするですか?」
「今から指示するからその通りに動かして」
そう言うと店長はレイアウトを書いた用紙を広げて指示を出し始めた。
「本棚をここに並べて」
帆文は店長に言われるままに鈴恵と共に本棚を動かす。
「その本棚にはこっちの本を入れて」
店長が指さした段ボールから取り出した本を本棚にきれいに並べていく。
「それから、クリアボックスにその本を入れてお店の前に置いて」
そう言われて、一般の方がよく読みそうな娯楽向けの文庫本をクリアボックスに背表紙を揃えて並べる。
そんな風に徐々に仮設の店ができあがっていく。
三十分ほどかけて大型のビニールシート一枚分のスペースには、仮設の古書店ができあがった。本棚は背中合わせに真ん中に置かれている。これで客さんは周りを囲むように、手にとって本を選べるようになっていた。また、クリアボックスは店の前に置かれ、通った人の目に止まるようになっていた。
「よし、こんな感じかな」
店長が頷くと、帆文と鈴恵は息を切らしながら、自分たちで作ったお店を見た。
「なんだかこういうのも新鮮でいいですね」
鈴恵は素直な感想を漏らす。
「そうだね」
帆文も素直に頷いた。
暑さのせいもあるだろう、お互いかすかに汗をかいていた。
「じゃあ、10時から開始だから少し休んでいて」
そう言うと店長は、スポーツドリンクのペットボトルを差し出した。
「暑くなりそうだから、熱中症に気をつけてね」
「ありがとうござます」
帆文と鈴恵はお礼をお礼を言いながら受け取ると、飲み始めた。汗をかいた身体に水分が染みこんでいく。心地よかった。
水分補給を終えると、帆文は周りを見た。
様々なお店ができあがっていく。
一人でお店を出している露天商みたいな男性や二人組の女性、友だち同士らしき数人のグループ、主婦らしき人などさまざまな人たちがいた。その中で、帆文はふとあるものが目に入った。
父親と母親、そして、まだ小学生と思われる子ども。家族で店を出している人たちだった。
帆文はそれを見てはっと息を飲むと、目を伏せる。
帆文にとって二度と手に入らない光景。それは直視するにはあまりにまぶしくて、残酷だった。
そんな時だった。帆文のすぐ横から声が響いた。
「どうかしました?」
帆文が顔を上げると、鈴恵が笑顔を浮かべていた。
「いや」
帆文はかぶりを振って答える。そんな帆文を鈴恵はじっと見ていたが、急にふっと笑った。
「今日はお祭りなんですから、楽しみません?」
「お祭り?」
「店長さんが言ってたんです。フリーマーケットはお祭りみたいなものだって」
「へぇ」
「だから、そんな風にしけた顔してないで、笑いませんか?」
鈴恵はくったくのない笑顔を浮かべた。
そんな鈴恵の笑顔を見て、帆文は自分の心がなんともいえない不思議な気分になっていくのを感じた。そんな自分の気持ちに恥ずかしくなって、帆文は意地悪な表情を浮かべながら口を開く。
「じゃあ、草川さんが笑わせてよ」
「えっ? ええ?」
鈴恵はいきなり言われた言葉に慌て出す。
「笑わせるって何をしたらいいんでしょう?」
「変顔とか?」
「へっ、変顔?」
鈴恵は慌てふためいていた。それでも、なんとか変顔しようとしているのか、ぺたぺたと手で自分の顔を触っている。
そんな鈴恵を見て、帆文は笑った。
「時岸さん、酷いです」
鈴恵は頬を膨らませた。
「ごめん、ごめん」
帆文は笑いながら謝るとぽつりと言った。
「でも、元気出た」
その言葉に鈴恵ははっとすると、小さく笑った。
「それはよかったです」
そして、鈴恵は胸を張る。
「身体を張った甲斐がありました」
「張ってないよね」
十時になるとフリーマーケットが始まった。
始まったと言っても忙しくなるわけではない。たくさんの人が来ているが、お店の数も多いので、一箇所に集中するわけではない。いつもバイト同じ、のんびりと緩やかな時間が流れる。
しばらく経つとお客さんがやってきた。帽子をかぶった初老の男性である
男性は本棚を眺めると、本を一冊手に取り中身をぺらぺらと見ていく。そんな男性の姿を帆文と鈴恵はじっと見ていた。男性はしばらく本を見ていたが、二人の視線に気づくとはごほんと咳払いし、気まずそうに本を戻して去って行った。
帆文と鈴恵は二人でため息をつく。そんな二人に店長が突然声をかけた。
「二人ともちょっといい」
帆文と鈴恵はなんだろうと互いに顔を見合わせる。そして、帆文が尋ねる。
「なんですか」
「見過ぎ」
店長ははっきりと言った。そう言われて、帆文と鈴恵は罰が悪そうな表情を浮かべながら、頬をかく。
「すみません」
「ごめんなさい」
「まあ、いいけど。でも、さすがにこのスペースに三人は居すぎね。だから、二人ずつ入りましょう」
そう言うと店長は紙に書き始めた。
「まず、このフリマは十時から十七時までだから全部で七時間。私はずっと入るとして、二人には前半と後半に分かれてもらうわ」
帆文と鈴恵はこくりと頷く。
「前半は十時から十二時までと十三時から十四時まで。そして、後半は十四時から十七時までね」
店長の言葉に帆文は「ん」と疑問を持つ。
「十二時台はどうするんですか?」
「私一人でいいわ。二人はお昼を食べてきなさい」
「いいんですか? 店長のお昼は?」
「適当にするわ」
店長ははっきり言うと帆文と鈴恵を見た。
「じゃあ、二人はどの時間に店番する?」
帆文と鈴恵は互いの顔を見ると、なんともいえない表情を浮かべる。
「えっと、草川さんはいつがいい?」
「時岸さんから選んでもらっていいですよ。バイトの先輩ですし」
「先輩だから先に譲るよ」
「いえ、それは悪いですし。先輩が先に選んでください」
「いやいや、草川さんが選んでいいから」
「いえいえ、時岸さんが選んでください」
「なんで先に選ばないの?」
「いつもお世話になっている先輩に先に選んで欲しいからです」
「こっちだって新しく入ってれた草川さんに先に選んで欲しいの」
「ねえ? 何やってるの?」
店長は呆れた表情で二人を見る。
「え? 前半か後半を決めているんですけど?」
帆文が答えると、店長はため息をついた。
「それは見たらわかるわ」
「じゃあ、なんです?」
「私はなんで突然、いちゃつき始めたのか聞いているの?」
「なっ?」
「へっ?」
その言葉に帆文は絶句し、鈴恵は瞬間湯沸かし器のように一瞬で頬を真っ赤にして俯く。
「店長、目大丈夫ですか?」
「私はあんたたちの頭が心配よ」
「何でですか?」
「少しは傍目を気にしなさい」
「何がです?」
「どこからどう見てもいちゃついているようにしか見えないわよ。痴話げんかでも始める気?」
「何言ってるんですか」
「あんたたちは付き合ったらバカップルになりそうね」
店長はそういうと大きくため息をつき、紙に名前を書き始めた。
「前半は鈴ちゃん、後半は文でいいかしら?」
帆文はまだ煮え切らない様子だったが、しぶしぶ頷く。鈴恵も俯いたままこくりと頷いた。
「じゃあ、まずは鈴ちゃん一緒に店番しましょう」
「ハイ。ワカリマシタ」
鈴恵はまだ顔を真っ赤にしたまま、まるでロボットのようにぎくしゃくした動きで頷いた。
帆文は店長から七時には店に着いているように言われていたため、朝早くから自転車をこいでいた。五月の中旬だけあって朝でも暖かい。帆文は、紺色のパーカーに、ピンク色のカットソー、デニム柄のスキニーパンツを着ていた。
自転車をこいでいると、見知った人影が歩いているのが見えた。
「おはよう」
帆文が声を掛けると彼女は振り向く。
「あっ、おはようござます」
鈴恵だった。彼女は足首まである紺色のワンピースに白いカットソーを着ていた。いつもと違う新鮮な姿に帆文は息を飲む。そして、つい見とれそうになるのを堪えて、口を開いた。
「乗っていく?」
「いいんですか?」
「うん」
鈴恵は慣れた様子で自転車の荷台に腰掛ける。そして、帆文の肩を掴んだ。帆文も慣れた様子で自転車をこぎ始める。動き始めてすぐに鈴恵が口を開いた。
「時岸さんの私服、大人っぽくてかっこいいですね」
「そう?」
そんなことを言われたのは初めてだったので帆文は照れくさそうに頷く。
「草川さんの服もなんていうかいいね。いつもは制服しか見てないから、なんか不思議な感じだけど」
「え? 変ですか?」
「そういう意味じゃないよ。えっと、似合ってると思うよ」
帆文は背後の鈴恵がほうと息を吐くのを感じた。
「よかった」
ささやかれた言葉の意味はわからない。独り言のようにも聞こえた。帆文が何か言おうとすると、鈴恵が先に口を開いた。
「いい天気になってよかったですね」
天気は快晴。気温は昨日よりも暖かくなりそうだった。
「そうだね」
「私フリマは始めてなので、今日は色々教えてください」
「実は俺も初めてだけどね」
「そうなんですか」
「だから、とりあえず店長の指示に従っていこう」
「はい」
そうして二人は店に着いた。しかし、早朝なので、店はまだ開いていない。帆文は仕方なくお店の裏にある家の玄関に向かった。柴宮古書堂の裏には店長の家があった。お店と家が繋がっているのである。帆文は玄関までいくとインターフォンを鳴らした。しかし、音沙汰がない。
帆文と鈴恵は顔を見合わせる。
「どうしたんでしょう? 何かあったんでしょうか?」
「いや、多分。これは」
もう一度インターフォンを鳴らす。しばらく経つと引き戸の玄関が開いた。そこから店長がのそのそと出てくる。寝間着のような格好で、髪もぼさぼさである。目は半分閉じていた。
「えっと、おはようございます」
鈴恵は戸惑った様子で挨拶する。
「ふああ。おはよう。早いわね」
店長はあくび混じりに返した。
「店長が七時には集合しててねって言ったんじゃないですか」
「そうだっけ?」
「そうです」
帆文が頷くと店長はひらひらと手を振ってきびすを返した。
「まあ、いいわ。支度をするから上がって待ってて」
帆文は慣れた様子で家に上がっていく。鈴恵は戸惑っていたが、帆文に促されると家に上がった。
店長に言われて二人は座敷でくつろいでいた。座敷の机の家にお茶の入った湯飲みが三つ置いてある。
家に上がってすぐに、
「文、鈴ちゃんと私にお茶入れて」
「なんでだよ」
と言うやりとりがあったが、寝起きの店長と言い張っても仕方ないので帆文がしぶしぶ入れたものだった。
お茶を飲みながら二人で店長を待つ。
「店長さんって朝弱いんですか?」
「ああ。すごく弱い」
「へー、ちょっと意外でした。いつも元気ですし」
「まあね。でも、朝だけはずっと苦手ってみたい」
「へぇ、店長さんのこと詳しいんですね。さすが弟子・・・・・・だからでしょうか?」
「いや、違うんだ。俺の保護者と店長が幼なじみだから、店長の話はよく聞くんだ」
「それって・・・・・・」
鈴恵は一瞬戸惑ったような表情を浮かべる。帆文もつい自然に言ったことだが、しまったと内心思った。
帆文の家庭の話はこの前のことを思い出す。話題としては地雷だった。
二人の間に気まずい雰囲気が流れそうになる。しかし、突然、鈴恵が両手をぱんと合わした。
「なんだかいいですね」
「何がいいの?」
帆文は戸惑いながら尋ねた。
「なんだかよくありません?私、幼なじみとかいないから、あこがれるんです」
「俺もいないけど、あこがれないなあ」
「そうですか」
鈴恵は残念そうに肩を落とす。
「そういえば、草川さんも店長の弟子になったけど、空手の稽古もしているの?」
鈴恵は顔を上げた。しかし、どこか浮かない表情が浮かべる。
「実は、黙想しかしてないんです」
黙想とは心を落ち着かせたり、集中力を高めたりするために行うものである。正座して手を膝の上にのせ、目を閉じ、あとは、ひたすら集中する。たったそれだけの動作であるが、精神統一するには抜群の効果を発揮していた。
「俺も練習の前と後に行っていたけど、草川さんはそれしかしてないの?」
「はい」
「どれくらい?」
「最初は三分だったんですが、今は十分程です」
「正座で?」
「はい」
帆文は感心して頷く。
「すごいね」
「そうですか?」
鈴恵はきょとんとした表情を浮かべる。
「正座って足しびれない?」
「私はあまり?」
「それってすごいことだと思うよ」
「そうですか?私は強い方がすごいと思いますけど」
「そうかもしれないけど、俺は正座が苦手だったから」
「そうですか。でも、なんだか強くなっている気がしません」
鈴恵がぽつりと弱音を吐くと、居間の障子が開いた。
「なあに。師匠の方針に反対なの? じゃあ、破門ね」
店長は朝の様子とは打って変わって、髪も顔も服装もびしっと整っていた。ライムイエローの襟付きシャツに、グレーのパンツを履いている。さわやかな格好だった。
しかし、問題はそこではない。
「ええ?」
店長に言われた言葉を聞いて、鈴恵は涙目になりながら慌てて頭を下げる。
「すみません。すみません。もう反対しません。だから破門にはしないでください。見捨てないでください」
鈴恵は謝りながら店長の足にすがりつく。それはまるでだめ男に依存する甲斐甲斐しい女性のようだった。
なんか草川さんってろくな男と付き合いそうにないな。
帆文は心の中で引きながら、ため息をつく。
「店長、朝からその絵面はきついです」
「私もやりすぎたと反省してるわ」
店長は気まずそうに頬をかくと、しゃがんで鈴恵の頭に手をぽんと乗せた。
「冗談よ。鈴ちゃん」
「えっ?」
鈴恵ははっと気づくと、安心したような表情を浮かべる。
「破門は冗談。そんなことしないわ」
「本当ですか?」
「本当よ」
「ありがとうございます」
鈴恵は店長に抱きつく。抱きつく先が、足元から胴体にランクアップしていた。
店長は鈴恵の頭の優しくなでている。
こういうのが飼い慣らされているというのだろうかと帆文は冷静に思った。
「でも、なんで黙想しかさせないんですか? 俺の時はぼこぼこ殴っていたのに」
「ずいぶん語弊のある言い方ね」
店長は帆文をじと目で見ると、ため息をつく。
「まあ、いいけど。黙想しかしないのにはちゃんと理由があるわ」
「理由?」
鈴恵が疑問の声を上げる。
「多分、鈴ちゃんが求めているのって精神的な強さじゃない?」
「あっ、はい」
「だから、精神的なトレーニングをしているだけよ」
「そうだったんですね。さすが店長さんです」
「こういう時は師匠って言うのよ」
「さすが師匠です」
鈴恵に言われ、店長は胸を張った。
「でも、どうして最初にそれを言ってくれなかったんですか?」
鈴恵の言葉に店長ははっと表情を歪める。そこで帆文は気づいた。
あれは言い忘れてたな。
「自分で気づくのを待っていたのよ。まあ、最後はちゃんと教えたけど」
「さすが師匠です」
鈴恵は賞賛する。まるで変な宗教に盲目的にはまっている人だった。
草川さんって悪い人に簡単に騙されそうだな。
そんなやりとりを白けた目で見ながら、帆文は冷静に言った。
「そろそろ行きません?」
店長の運転する白いバンに三十分ほど揺られて、帆文と鈴恵はフリマの会場となる隣町の運動公園に着いた。
この辺りにある運動公園の中では一番大きな場所で、芝生や一周二キロのランニングコース、アスレチックなどがある。また、野球場やテニスコート、陸上競技場が併設されていて、クラブチームの活動や部活動でも使用されていた。
ちなみに、ここまでは乗ってきた白いバンには『柴宮古書堂』の文字が書いてある。お店の車だった。用途としては、本の買い付けや、お得意さんへまとめて本を売るためによく使われている。
「広いですね」
車から降りると、鈴恵はのびをしながらつぶやく。
「そうだね」
帆文も身体をほぐしながら頷く。
「それじゃあ、荷物を運んでおいて。その間に受付に行ってくるから」
「はい」
店長に言われて帆文と鈴恵は手分けして本を運ぶ。出店場所は昨日のうちに教えられていた。
二百冊の本を二台の台車に分けて乗せ、会場へと運んでいく。そして、鈴恵と二人でバンに積んであった木製の本棚を持って行く。本棚は二つあって、それぞれ一メートル五十センチほどの中型のものである。
会場は運動公園の中にある芝生の広場だった。
すでに出店する人がたくさん来ていて、それぞれの店のレイアウトを展開していた。小物や雑貨、服や玩具などさまざまな商品が並んでいる。見ているだけで楽しそうだった。
荷物を運び終えると、店長が戻ってくる。
「店長、レイアウトはどうするですか?」
「今から指示するからその通りに動かして」
そう言うと店長はレイアウトを書いた用紙を広げて指示を出し始めた。
「本棚をここに並べて」
帆文は店長に言われるままに鈴恵と共に本棚を動かす。
「その本棚にはこっちの本を入れて」
店長が指さした段ボールから取り出した本を本棚にきれいに並べていく。
「それから、クリアボックスにその本を入れてお店の前に置いて」
そう言われて、一般の方がよく読みそうな娯楽向けの文庫本をクリアボックスに背表紙を揃えて並べる。
そんな風に徐々に仮設の店ができあがっていく。
三十分ほどかけて大型のビニールシート一枚分のスペースには、仮設の古書店ができあがった。本棚は背中合わせに真ん中に置かれている。これで客さんは周りを囲むように、手にとって本を選べるようになっていた。また、クリアボックスは店の前に置かれ、通った人の目に止まるようになっていた。
「よし、こんな感じかな」
店長が頷くと、帆文と鈴恵は息を切らしながら、自分たちで作ったお店を見た。
「なんだかこういうのも新鮮でいいですね」
鈴恵は素直な感想を漏らす。
「そうだね」
帆文も素直に頷いた。
暑さのせいもあるだろう、お互いかすかに汗をかいていた。
「じゃあ、10時から開始だから少し休んでいて」
そう言うと店長は、スポーツドリンクのペットボトルを差し出した。
「暑くなりそうだから、熱中症に気をつけてね」
「ありがとうござます」
帆文と鈴恵はお礼をお礼を言いながら受け取ると、飲み始めた。汗をかいた身体に水分が染みこんでいく。心地よかった。
水分補給を終えると、帆文は周りを見た。
様々なお店ができあがっていく。
一人でお店を出している露天商みたいな男性や二人組の女性、友だち同士らしき数人のグループ、主婦らしき人などさまざまな人たちがいた。その中で、帆文はふとあるものが目に入った。
父親と母親、そして、まだ小学生と思われる子ども。家族で店を出している人たちだった。
帆文はそれを見てはっと息を飲むと、目を伏せる。
帆文にとって二度と手に入らない光景。それは直視するにはあまりにまぶしくて、残酷だった。
そんな時だった。帆文のすぐ横から声が響いた。
「どうかしました?」
帆文が顔を上げると、鈴恵が笑顔を浮かべていた。
「いや」
帆文はかぶりを振って答える。そんな帆文を鈴恵はじっと見ていたが、急にふっと笑った。
「今日はお祭りなんですから、楽しみません?」
「お祭り?」
「店長さんが言ってたんです。フリーマーケットはお祭りみたいなものだって」
「へぇ」
「だから、そんな風にしけた顔してないで、笑いませんか?」
鈴恵はくったくのない笑顔を浮かべた。
そんな鈴恵の笑顔を見て、帆文は自分の心がなんともいえない不思議な気分になっていくのを感じた。そんな自分の気持ちに恥ずかしくなって、帆文は意地悪な表情を浮かべながら口を開く。
「じゃあ、草川さんが笑わせてよ」
「えっ? ええ?」
鈴恵はいきなり言われた言葉に慌て出す。
「笑わせるって何をしたらいいんでしょう?」
「変顔とか?」
「へっ、変顔?」
鈴恵は慌てふためいていた。それでも、なんとか変顔しようとしているのか、ぺたぺたと手で自分の顔を触っている。
そんな鈴恵を見て、帆文は笑った。
「時岸さん、酷いです」
鈴恵は頬を膨らませた。
「ごめん、ごめん」
帆文は笑いながら謝るとぽつりと言った。
「でも、元気出た」
その言葉に鈴恵ははっとすると、小さく笑った。
「それはよかったです」
そして、鈴恵は胸を張る。
「身体を張った甲斐がありました」
「張ってないよね」
十時になるとフリーマーケットが始まった。
始まったと言っても忙しくなるわけではない。たくさんの人が来ているが、お店の数も多いので、一箇所に集中するわけではない。いつもバイト同じ、のんびりと緩やかな時間が流れる。
しばらく経つとお客さんがやってきた。帽子をかぶった初老の男性である
男性は本棚を眺めると、本を一冊手に取り中身をぺらぺらと見ていく。そんな男性の姿を帆文と鈴恵はじっと見ていた。男性はしばらく本を見ていたが、二人の視線に気づくとはごほんと咳払いし、気まずそうに本を戻して去って行った。
帆文と鈴恵は二人でため息をつく。そんな二人に店長が突然声をかけた。
「二人ともちょっといい」
帆文と鈴恵はなんだろうと互いに顔を見合わせる。そして、帆文が尋ねる。
「なんですか」
「見過ぎ」
店長ははっきりと言った。そう言われて、帆文と鈴恵は罰が悪そうな表情を浮かべながら、頬をかく。
「すみません」
「ごめんなさい」
「まあ、いいけど。でも、さすがにこのスペースに三人は居すぎね。だから、二人ずつ入りましょう」
そう言うと店長は紙に書き始めた。
「まず、このフリマは十時から十七時までだから全部で七時間。私はずっと入るとして、二人には前半と後半に分かれてもらうわ」
帆文と鈴恵はこくりと頷く。
「前半は十時から十二時までと十三時から十四時まで。そして、後半は十四時から十七時までね」
店長の言葉に帆文は「ん」と疑問を持つ。
「十二時台はどうするんですか?」
「私一人でいいわ。二人はお昼を食べてきなさい」
「いいんですか? 店長のお昼は?」
「適当にするわ」
店長ははっきり言うと帆文と鈴恵を見た。
「じゃあ、二人はどの時間に店番する?」
帆文と鈴恵は互いの顔を見ると、なんともいえない表情を浮かべる。
「えっと、草川さんはいつがいい?」
「時岸さんから選んでもらっていいですよ。バイトの先輩ですし」
「先輩だから先に譲るよ」
「いえ、それは悪いですし。先輩が先に選んでください」
「いやいや、草川さんが選んでいいから」
「いえいえ、時岸さんが選んでください」
「なんで先に選ばないの?」
「いつもお世話になっている先輩に先に選んで欲しいからです」
「こっちだって新しく入ってれた草川さんに先に選んで欲しいの」
「ねえ? 何やってるの?」
店長は呆れた表情で二人を見る。
「え? 前半か後半を決めているんですけど?」
帆文が答えると、店長はため息をついた。
「それは見たらわかるわ」
「じゃあ、なんです?」
「私はなんで突然、いちゃつき始めたのか聞いているの?」
「なっ?」
「へっ?」
その言葉に帆文は絶句し、鈴恵は瞬間湯沸かし器のように一瞬で頬を真っ赤にして俯く。
「店長、目大丈夫ですか?」
「私はあんたたちの頭が心配よ」
「何でですか?」
「少しは傍目を気にしなさい」
「何がです?」
「どこからどう見てもいちゃついているようにしか見えないわよ。痴話げんかでも始める気?」
「何言ってるんですか」
「あんたたちは付き合ったらバカップルになりそうね」
店長はそういうと大きくため息をつき、紙に名前を書き始めた。
「前半は鈴ちゃん、後半は文でいいかしら?」
帆文はまだ煮え切らない様子だったが、しぶしぶ頷く。鈴恵も俯いたままこくりと頷いた。
「じゃあ、まずは鈴ちゃん一緒に店番しましょう」
「ハイ。ワカリマシタ」
鈴恵はまだ顔を真っ赤にしたまま、まるでロボットのようにぎくしゃくした動きで頷いた。
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