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第3章 到達! 滴穿の戴天

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■■九条 さくら ’s View■■

 はぁはぁと荒い息遣いが聞こえます。
 身体を酷使して息も絶え絶えといった様子です。
 ただその人が尋常ではないのは、目が薄赤く光っていることからもわかりました。


【うう・・・ヨ、ヨコ、セ・・・】


 両手は後手に、両足も縛られていました。
 ただの布ではなく拘束用の炭素繊維のバンドで。
 あらかじめ用意してあったのでしょうか。
 気を失っていたわたしには見当もつきませんでした。


【・・・う、ぐ・・・ぼ、僕は僕だ・・・】


 わたしが寝かせられているのは廃ビルの一室。
 すぐ隣で彼は頭を抱えて苦しむように跪き呻いていました。
 その腰には一本の大太刀。
 鞘の外まで黒い魔力が漂っています。

 黒。
 火、水、風、土の四属性でも、白でもない魔力。
 それが何なのかはわかりません。
 ただ、黒い魔力が存在することは知っていました。
 武さんとレオンさんが南極で見たという・・・魔王の霧。
 それが人間にとって悪いものであることも。

 その黒い魔力が彼の身体全体を覆っているのです。
 何かしら影響を受けていることは明白でした。


【・・・ギ、ギヒヒ・・・アオ・・・アオ・・・】

【や、めろ・・・彼女に・・・】


 しゃがれた声と、若い男性の声と、交互に口から出ています。
 まるで二重人格のように。


【ウバエ・・・ノゾンダママニ・・・】

【だ、れが・・・お前に・・・】


 彼はその人格と戦っているようでした。
 そのぎりぎりでせめぎ合っている均衡を崩してしまいそうで。
 わたしは言葉をかけることができませんでした。

 歯を食いしばり、ぎゅっと目を閉じて。
 口から涎を垂らしながらも彼は抵抗しているようでした。


【があぁぁあぁぁぁ・・・!!】


 ひときわ大きな声を出したと思うと、彼はだらんと手を降ろしました。
 そしてわたしを見ます。
 より赤暗く濁った瞳はどこに焦点があるのかわかりません。


【はぁ、はぁ、はぁ・・・ぼ、僕に・・・よこせ・・・】


 彼はわたしを覗き込むように傍まで来ました。
 わたしを観光に誘ったときのような、少し卑下た顔つきで。


【あ、あなたは誰ですか! 彼をどうしようというのです!】


 思わずそう問いかけました。
 その刀の何かが彼に影響しているのでしょうから。


【誰・・・だれ、だれ、ダレ・・・ギヒヒヒ・・・】


 すると彼は大きく口を歪ませて笑いました。


【ギ、ギヒヒ・・・ダレ、ボク、らんばルだ・・・】


 会話が成り立つように思えません。
 ただ支離滅裂に呻くだけに思えました。


【ぐ・・・ヨコセェェェェエ!!】

【きゃっ!?】


 耐えていたはずの彼は、唐突に鞘のままわたしに刀を突き立てました。
 がきんと床が音を立てます。
 わずかに肩をかすります。


【はぁ、はぁ、はぁ・・・】


 またも歯を食いしばっています。
 何かと戦っている彼は静止していました。
 ですが・・・肩の部分に違和感がありました。


【え・・・なに・・・!?】


 身体から力が抜けます。
 これは・・・魔力が抜けていく・・・?
 まさか、この刀から!?


【や、やめて・・・!】


 思わず声を出し、身を捩りました。
 凌辱されることよりもその得体の知れない刀の力に畏怖したのです。
 少しでも逃れるために刀から離れようとしました。


【ぐ・・・う・・・に、逃げるなよ・・・僕の、もんだ・・・】

【嵐張さん! 負けてはいけません!】

【うルサイ! ダマレ!】


 ですがこの状況で好転するわけもなく。
 わたしの呼びかけも粗暴さを呼び出すきっかけになるだけでした。


【いけません! 気を確かに・・・ああっ!?】

【はぁ、はぁ・・・おら、喚けよ!】


 彼はわたしの服に手をかけると乱暴に破きました。

 ・・・こんな状況ながらわたしは察しました。
 嵐張さんはわたしを欲しています。
 だからこうして身体に手をかけている。
 怖くはありましたがこれは想像できたことでした。

 でも、あの刀は、あのしゃがれた声は違います。
 あれはわたしの魔力を欲しているのです。
 わたしはその気味の悪さに・・・戦慄しました。
 怖い、助けて!

 そのときでした。


【何してやがる!! さくらああぁぁぁ!!】


 床をずしんと揺らし、大声で叫んだ武さんが飛びかかってきました。
 目の前に気を取られていて気付いていなかったわたしはとても驚きました。
 同時に・・・彼が助けに来てくれたことに内心、喜色を浮かべてしまいました。


【離れろおおぉぉぉ!!】


 わたしに手をかけていた嵐張さんも直前まで武さんに気付いていなかったと思います。
 ところが彼はそちらに目もくれず片手で刀を抜いて武さんへ刃を振り抜きます。


【邪魔する・・・がぁ!?】


 武さんの足が嵐張さんの顔を蹴りました。
 カウンターのようにその刃は武さんの腹部を一文字に貫いていました。


【きゃあぁぁぁ!? 武さん!!】


 あああ! いけません!!
 あれは、あの刺さり方は・・・貫通しています!!

 思わず悲鳴をあげました。
 嵐張さんはまるで丹撃を受けたように、刀を握ったまま遠くへ吹き飛んでいきました。
 ですがわたしは目の前の武さんでそれどころではありません。


【さくら、無事か! 汚されてないか!?】

【わ、ぶ、無事です!】


 切創からばっと血が飛び散りました。
 そんな傷など関係がないとでも言うように武さんが安否を口にします。
 慌てながらも反射的に答えてしまいました。
 彼のお腹から血がぼたぼたとわたしの身体に落ちて来て、気が気ではありません。


【すぐ解いてやる! 暴れんなよ!】

【ああ、駄目、駄目です! 武さん!!】


 それよりも手当てを、と思うのですが拘束で動けません。
 彼はわたしを見て安心したように笑顔を浮かべました。
 それにどう応えてよいのかわからず、わたしは顔を歪めたままでした。


【あれ、どうして紅くなってんだ?】


 彼の血でわたしの服が染まっていました。
 不思議そうな顔をしながらも、彼は腕の拘束を引きちぎりました。
 素手で、でしょうか。
 あれをどうやって切ったのかはわかりません。
 彼自身、どうなっているのかわかっていないようでした。
 わたしは思わず彼の身体に手を伸ばしました。


【あああ、いけません!! すぐ、すぐに止血を!!】

【え?】


 少しでも早く止めないと!!
 そう思って手を伸ばすのですが、武さんは身体を少しずらして逃げてしまいます。
 ああ、いけません! いけません!!
 このままでは取り返しがつかなくなります!!


【死ね!】


 そんな折、真横から嵐張さんが斬りかかってきました。
 あまりに武さんに意識がいきすぎて、その刃が武様へ刺さらんとするところで気づきました。
 当たってしまう!
 身体で彼をかばおうと必死に動いたときでした。


「させませんわ!!」


 ソフィアさんの疾風突きがそこに割り込みました。
 ぱっと飛び散る緑と黒の残滓が薄暗い部屋を照らします。
 ぎぃん、ぎぃん、とそのまま彼女が嵐張さんを遠ざけてくれました。


【よくやった、ソフィ・・・ァ・・・?】

【駄目! 武さん!!】


 武さんはわたしの横から動こうとして・・・倒れました。
 駄目、駄目、駄目!!
 止血、止血を――そう、魔力傷薬ポーション!!

 必死でズボンのポケットに入れたはずのそれに手を伸ばします。 
 ない、ない・・・!?
 違う、奥!! あった!!


【武さん!】


 脚は拘束されたまま。
 自由になった腕で小瓶をポケットから取り出すとわたしは蓋を開けます。
 震える手にうまく力が入りません。
 早く、早く・・・!

 何とか蓋をあけるとうつ伏せになった彼の背にその半分をかけました。
 じゅわじゅわと音がします。
 消毒するようなその音は皮膚が再生する音。
 効果があった証拠です。


【前も!】


 すでに意識のない彼の身体を揺り動かして仰向けにします。
 腹部は真っ赤に染まり、未だ血を滲ませます。
 服を捲くる時間も惜しかったので、そのまま傷口に残りを垂らしました。
 じゅう、とまるで水が蒸発するような音がします。


【お願い・・・!!】


 手持ちの道具はこれだけ。
 もし足りなければ止血できない・・・!!


【お願い、止まって・・・!!】


 祈る想いで傷口を見れば、どうやら大きな瘡蓋ができていました。
 良かった・・・止血だけはできたのでしょうか。
 失った血が多いです、血溜まりができています。
 これ以上は失血死してしまう!

 何とか呼吸はしている様子でしたが浅く速いまま。
 生命に関わる状態なのは否めません。

 どうにかして彼を・・・!
 どうにかするためにわたしはここにいます。
 そのはずなのにどうにもできない。
 それは消えゆく蝋燭を見守っているようで。
 じりじりと希望を炙るように減っていきます。


【しっかりして!】


 今は手当を!
 わたしは破かれた自分の服を千切り、帯状にして彼の腹部に巻き付けます。
 少しでも助かるように!
 ぐるりと身体に回し縛りました。

 これで、大丈夫ですよね・・・。
 そうして祈るように傷の部分を確認しました。
 大きな瘡蓋の上の布が周囲の血を吸って紅く染まっていて・・・。
 そこから、どろりと、血が滲んできて・・・!!!


【ああぁぁぁぁ!!! 武さん!!!】


 お願い、誰か・・・誰か!!!
 彼を助けて!!!


 ◇

■■ソフィア=クロフォード ’s View■■

 その現実は受け入れ難かった。
 どれだけ決意しようと、努力しようと。
 その定められたものから逃れられないのかと。
 あれほど警戒したというのに武様の突出を許してしまったの。
 それが飛び出そうとしたら足元が崩れる・・・なんてお粗末な理由なのだから。

 武様とさくら様の様子を見ながら身体を起こして。
 その起こってしまったことへの後悔から呆然としていた。


【――――!!】


 彼女の悲痛な叫び声で我に返る。
 その瞬間に、目の前の状況を頭が受け入れた。
 いけない・・・流されてはいけない!
 常に最善手を掴むのよ!
 わたくしが今すべきこと・・・それはおふたりを守ること!

 吹き飛んだ嵐張様が起き上がる。
 おふたりに向かって駆けてくる。


竜角剣クリスナーガ!」


 魔力を高めて全身に行き渡らせる。
 騎士の構えで意識を平静に落とす。

 見誤るな、ソフィア=クロフォード。
 これは貴女にしかできないのだから!

 あの刀への近接戦はさくら様では無理。
 わたくしが盾にならずして誰がなる。
 武様の生命を奪おうとする命運なんて。
 いくらでも抗ってみせるわ!!


【――!】


 叫びながらの嵐張様の突きが武様へ迫る。


「させませんわ!」


 具現化リアライズを交えた疾風突き。
 二の舞は演じない。
 初手から全力で狙った。

 ぎいぃぃん!

 緑と黒の魔力が弾ける。
 わたくしの最速の突きはいとも簡単に弾かれた。
 相手の技量がそれだけあるということ。
 今はあの刀を手放させるまで手を緩めない!

 そこから連撃で斬りつけ攻め立てた。
 ぎぃんぎぃんと魔力が飛び散る。
 結弦様のように躱されることはなかった。


「まだ! まだ! まだ!」


 おふたりには近づけない!!
 手を休めずの攻撃に嵐張様も支えきれないのか後退していく。

 武様から距離を取ったところで彼は大きく跳ねて距離を取った。
 仕切り直し。好都合よ!


「――刃となりて舞い踊れ! 風刃ウィンドスラッシュ!」


 中級風魔法。刃の数は8つ。
 重ねて発動し追撃を見舞う。
 刀では防げないこの魔法ならば押し負けることもない!

 顕現した真空刃がびゅう、と音を立てて嵐張様へ迫る。
 上段に構えていた嵐張様は・・・突進して来る!?
 刃の波などないかのように!


【キィエェェェェェェ!!】


 そのしゃがれた叫び声がわたくしを驚愕させた。
 あの時に聞いた彼の声とは程遠い。
 あまりに場違いなその声に意識を削がれてしまったのだ。

 腕を、身体を風刃に斬り刻まれながら嵐張様が迫る。
 捨て身にも思えるその一撃がわたくしの正中を突かんとした。


「!!」


 これでも具現化を交えれば最速を誇るのよ。
 速かろうと正面からの攻撃なら躱すのも容易!

 身を翻して嵐張様の突進を躱す。
 ちょうど位置を入れ替えるような動きだった。
 すれ違いざまに互いに一撃を振るう。
 ぎぃん、と刃が重なった。
 やはり受けると重い一撃だった。

 足をついたかと思うと翻して嵐張様が斬りかかって来た。
 それを正面から受ける。
 ぎぃんぎぃん。
 正面からの只の切り結びであれば容易い。
 速かろうと重かろうと、力の往なし方はいくらでもあるからだ。

 十数合を切り結ぶと彼はまた距離を取る。
 今度は数歩で届く位置。詠唱が必要な魔法は使えない。


【――――!!! 武――!!!】

「!?」


 さくら様の耳をつんざくような悲鳴。
 思わずそちらへ目を向けてしまう。
 ・・・血溜まり!? 武様の・・・!!


「! しまっ・・・!?」


 その目を離した一瞬だった。
 目の前に刃が迫っていた。
 喉の下、正中を狙ったその突き。
 反射的に剣を振り上げ、弾くと同時に身体を反らした。


「くっ・・・!!」


 それでは足りず左肩に刃が通った。
 すっと音もなく服を切り肌を裂く刀の感触。
 牽制してふたたび向き合う。
 焼けるような痛みが肩を襲った。


【――――】


 しゃがれた声で何かを口にしている。
 ふん、世界語を覚えてから出直して来なさい。

 窓枠から激しい雨が吹き込んでいた。
 屋外は暗く室内の視界は悪い。
 雷鳴の振動。
 ゴロゴロという音に遅れて雷光がそこを照らした。

 返り血で真っ赤に染まった道着。
 髪が短いのでぱっと見た目は印象が違うけれど、その目鼻立ちは結弦様を思わせる。
 そう・・・嵐張様も単なる剣士ではない。
 彼もまた天然理心流てんねんりしんりゅうの使い手。

 いつの間にか納刀した刀。
 その柄に手を添え、腰を落とし、構えていた。
 結弦様と訓練をしたときに見た姿、抜刀の構え。
 ――あそこに飛び込んではいけない。


【よっつ!】


 嵐張様が掛け声と共に迫る。
 横薙ぎに胴を斬りつける突進。
 その薙払いを受けながら・・・結弦様に教えてもらった日本語の意味を理解する。
 よっつ。4・・・四の型!
 わたくしの脇をすり抜けたそこからの一撃は――!

 理解と同時に身体が動いた。
 頭を屈め、そのまま前方へ逃れる。
 びゅう、と風切り音がして髪が引かれた。
 首筋に少し刃が触れた。

 床で前転し勢いで立ち上がり体勢を整える。
 ふわりと縦ロールのひとつが舞っていた。
 ・・・抜刀を交えた技を受けるのは危険過ぎる。

 彼はふたたび抜刀の構えで待ち構える。
 距離を取り魔法を使うのが正攻法かもしれない。

 けれども・・・わたくしに許された時間は少ない。
 武様が危ない。
 結局これ・・に頼らざるを得ないけれど・・・使うには彼を排すしかない。
 わたくしの肩も思ったより出血している。
 猶予がない。


「・・・迫られてばかりは性に合いませんわ」


 そう。
 わたくしは手に入れる側。奪われる側に立つには忍耐が足りない。
 昔から自覚している堪え性のなさ、それゆえの行動力がわたくしの長所よ。
 待てぬなら押し通るまで!

 一呼吸。
 視線で牽制しながら深く息を吸い込み吐き出す。
 いいこと、ソフィア。考えるのよ。
 今、掴める最善手を・・・!
 その次の呼吸で魔力を練り上げた。


「――疾風突ヴィントシュトース!」

【ひとつ!】


 がきぃぃぃぃん!!

 飛び散る緑と黒の火花。
 初撃。
 最速で重い一撃が来ることはわかっていた。
 だから、雄牛の構えで突出したわたくしは・・・。
 間合いの外から竜角剣クリスナーガを投擲した!

 最初に見せた動きで予測していたのだろう。
 想定外に速いそれを、嵐張様はぎりぎりで弾くことになり体制が崩れる。
 彼の斬撃に弾かれた竜角剣クリスナーガは空中で緑の飛沫へと姿を変えた。
 その火花が消えやらぬうちに斬撃の軌跡を潜り、左手に仕込んだ魔力を爆発させる。


「――風圧撃ウィンドブラスト!!」


 残った魔力の全力。
 至近で放たれたそれは容赦なく嵐張様の身体を吹き飛ばす。


【!? オアアアァァァァ・・・!!!】


 しゃがれた悲鳴が突風と共に遠ざかる。
 周囲の瓦礫とともに彼は窓枠の外へ姿を消した。
 魔力の放出を終え、がくりと膝をついた。


「はぁ! はぁ! はぁ!」


 自分が激しい呼吸をしていることに気付く。
 危なかった・・・あと少し続いていたら。

 雷鳴が足元に響き渡る。
 風雨が激しく吹き込んでいた。

 ここは地上10階。
 普通の人間が落ちたら命はない。
 けれど、もしかしたら――

 大きな枠から下を覗きこんだ。
 冷たい雨粒が頬を叩いた。
 霞んだ地面の上に・・・血の筋ができていた。
 それは元来た道のほうへと続いていた。


「今は、これで良いの」


 そう自分を納得させ、これから為すべきことを思い起こした。




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