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終章 攻略! 虹色の魔王

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■■九条 さくら's View■■

 暗く閉ざされた高天原学園の寮の私室。
 窓には遮光カーテン。
 電灯も点けずベットの上に座るだけ。
 ここが独房だと言われればそうだと勘違いしてしまうほどでした。

 虚無感だけがすぐそこにありました。
 あのときに色が戻ったはずの世界はまた灰色になっていました。
 わたしはただ、視えてしまったあの憧憬に、何度も何度も想いを巡らせるだけでした。

 いく度も彼に微笑みかけました。
 毎日、彼とごはんを一緒に食べました。
 日ごろから他愛のない話をたくさんしました。
 そこで互いに育んだ信頼と情愛を感じていました。
 
 彼はいつもわたしを見ると微笑んでくれました。
 その微笑みはわたしの心に燦々と降り注ぐ光でした。
 暖かな日差しをいっぱいに浴びて。
 両腕を大きく広げて空を仰ぐ欅のように。
 わたしの想いは根を張り枝を伸ばしていきました。

 そしてとうとう彼と心を通い合わせたあの日。
 流れ込んでくる彼の想いを全身全霊で受け止めました。

 ・・・
 ・・・・・・
 ・・・・・・・・・

 彼の想いに全身の細胞が歓喜の声をあげていました。
 白く輝くその想いをもっともっと知りたくて。
 わたしは流れ来る奔流を遡りました。
 深く深く、奥底まで泳ぎました。
 彼がいつも注いでくれる光を感じるほうへ。
 想像以上に広く深い心の深淵へ、わたしは降りていきました。
 そこに彼の光の根源を感じたからです。

 どれだけ潜ったでしょう。
 マリアナ海溝よりも深いと感じるほどでした。
 そこには果てしなく広がる心の平野がありました。
 そこに彼女が佇んでいました。

 ――彼が心を通わせている人――

 直感的に理解できました。
 彼の温かな手のひらで、彼女のその髪は何度も撫ぜられたのでしょう。
 彼が注ぐ彼女への情愛。
 とめどなく生まれる想いが光となって溢れているのです。
 長い時間をかけて愛で、慈しみ、育て上げた想い。
 それが強く虹色に輝いているのでした。

 彼女がいるから、彼は愛を知っている。
 彼女がいるから、彼は慈しむことができる。
 彼女がいるから、彼は頑張れる。
 彼女がいるから――――

 彼から受け取っていた光はそこから生まれていたのだとわかりました。
 わたしが生まれるよりももっともっと前から。
 わたしが思い至らぬほどの長い長い時間をかけて。
 少しずつ、少しずつ、育んだものでした。

 深い深い愛情が、鏡のように落ち着いた湖面のように広がって。
 大樹の木陰のように穏やかな慈愛が降り注ぐその場所で。

 ――わたしはこれを知っている――
 ――ずっと昔に与えられたことがある――
 
 それが何なのだろうと思いめぐらそうとしたところで。
 目の前に大きな岩のようなものが降ってきました。
 この楽園のような静かな場に相応しくない大きなものでした。
 あっと思う間もなく、それはわたしに強くぶつかってきました。

 ――何もかも終わる!!
 ――駄目だ駄目だ駄目だ!!
 ――止めろ止めろ止めろ!!

 強い拒絶の叫びが聞こえてきました。

 ――どんなに想っていても君と繋がっては駄目なんだ!!

 まるで大きな自動車にぶつかってしまったかのように。
 有無を言わさず、わたしはそこからはじき出されてしまったのです。

 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・
 ・・・

 あの後の現実に引き戻された後の彼の焦燥は目に余るものでした。
 取り付く島もなく、わたしを拒絶し部屋から追い出したのです。

 わたしのことを好いていてくれたのに。
 わたしとは繋がれない。
 わたしにはその矛盾がどうしても理解できませんでした。

 彼は何らかの理由で未来ゲームのことを知っています。
 世界の終わりを避けるため魔王を倒すことを目的としていました。
 そのためにわたしがSS協定の皆さんと共鳴すること。
 彼の計画ではそれが必要なことなのです。


 ――・・・さよなら!


 ああ、ああ!
 この言葉がすべてです。
 わたしはもう彼には必要がないとされました!

 橘先輩に何を怒鳴られようと、わたしはもう・・・。
 そうしてわたしはまた嫌悪の回顧を繰り返し――





 ――・・・さくら・・・――





「・・・?」

 堂々巡りをしているはずでした。
 どこからか彼の声が聞こえました。
 巡るはずだったわたしの思考はその周回軌道を外れました。

 彼とわたしが共鳴することが最もわたしの力を引き出せます。
 協定の皆さんと共鳴するよりも、です。
 AR値の相乗効果はそれほどもあると習ったはずです。
 
 そのことを彼は理解していないのでしょうか。
 あの攻略ノートは彼といういちばん大きなピースが抜けているのです。

 ずっとずっと、あのノートを隠れ見たことの後ろめたさがありました。
 わたしと橘先輩で墓場まで持っていくつもりでした。

 でも・・・彼が彼自身を追い詰めたあの拒絶の言葉。
 罪悪と恐怖と後悔と・・・痛烈な悲哀。
 そこに含まれた彼の気持ちはあまりに痛々しいものでした。
 あの彼を苦しませる悲痛な気持ちを、わたしは許容することはできません!

 彼の描いた攻略ストーリーに則ることが彼のためになる。
 わたしはずっとそう思っていました。
 ですが、それによってあの悲哀に満ちた拒絶の言葉を招いてしまったのです。

 これはきっと過ちです!
 彼をこれほどまでに苦しめ哀しませる現実が正しいとは思えない!
 こんなことを許してしまっていた自分にも腹が立ちました。

 わたしが彼の物語ゲームの主人公であるならば。
 物語ゲームを終焉させる力があるはずです。
 その手段が物語ストーリーに沿っている必要もないはずです。

 わたしは決心しました。
 彼を救いに行く。
 わたしは、わたしの攻略を始めましょう!

――コンコンコン。

 暗い部屋の中。
 長い時間が経っていたように思います。
 今からでも遅くありません、わたしは進みます。
 
――コンコンコン。

 その音で現実に意識を引き戻されたとき、お腹がくうくうと鳴りました。
 長い間、ほとんど口にしていなかったことを思い出します。
 立ち上がりドアのほうへ足を進めました。
 すると、がちゃりと扉が開いて眩しい光が部屋に差し込んできました。

 そこに見えたソフィアさんの姿。
 見えているのは彼女の姿のはずなのに。

 その言葉は、遠く遠く離れて小さくしか聞こえないその言葉は。
 確かに、はっきりと、私の耳に届いたのでした。

 


 ――さくら、助けてくれ!――




 ◇

■■ソフィア=クロフォード's View■■

 戦艦の前方広範囲に放たれた水圧矢プレッシングアロー
 赤黒い結界に触れたそれは水蒸気爆発を起こしたかのような爆音を響かせた。
 具現化リアライズされた赤の魔力と青の魔力は分解し合いきらきらと光のシャワーとなった。
 だがそれに混じって灰のような黒い粒子が巻き散らされていた。


「あの黒いものは何ですの!?」

『これっ・・・触ったらやばい!!』


 PEを通じて艦橋にいるわたくしのに届くジャンヌ様の声。
 緊急を告げるその声色で察したわたくしは躊躇わずマイクで指示を出した。


『総員、艦内へ退避!!』


 さくら様たっての申し出で「試しに」と放った矢があの黒い結界を突き破ることができた。
 それならばと今度は広範囲に水属性の圧力をかける手段を選んだ。
 そうして発生したのが目の前の事態だった。


「船内へ急げーー!!」


 甲板で作業に当たっていた人たち。
 艦首で結界へ魔法を放っていたさくら様に、一緒にいたジャンヌ様とリアム様。
 その黒い粒子に触れないよう全員が艦内へ駆け込んだ。
 幸いにして黒い粒子は雪のようにふわふわとしているので避難が間に合いそうだ。
 どうやら船体を貫通して来ることもないその黒い粒。
 これなら誰も被害を受けることは――


「ジャンヌ様? さくら様は?」

「いけない、まだ船首に!」 『さくら、戻って!!』


 わたくしからマイクを奪い取ってジャンヌ様が叫ぶ。
 モニターに目をやるとさくら様は微動だにせず船首に立ち尽くしていた。


『さくら様! お戻りになって!』


 わたくしも声を重ねる。
 けれども彼女は船首に立ち矢を放った姿のまま。

 禍々しささえ感じるこの黒い雪を全身に被っていた。
 その美しい銀髪や白い肌に不気味な黒い斑点を作ってしまっている。
 お気に入りの人形を泥の上に落としたかのような罪悪感さえ抱いた。

 彼女は無事なの!?
 何か悪い影響が出て動けないでいるの!?
 どうして声もあげてくれないの!?

 ぎゅっと心臓を掴まれたような不安に駆られる。
 立ち上がりそこまで駆けてしまいそうになったところでPEから声が響いた。


『ああ! いました、いました!! 見つけました!! ソフィアさん、武さんです!!』


 彼女は喜色を含んだ声で叫んでいた。
 彼女が見下ろすすぐ下。
 恐らく船首からすぐ真下の海面。
 船から見えるモニターには映らない位置。
 そこに・・・武様がいる!?

 そこからの指示は矢継ぎ早だった。
 海上に浮かぶ小型揚陸艇を収容させ。
 厚めの布を被ったジャンヌ様が船首で倒れ込んでしまったさくら様を連れ戻し。
 昏倒したさくら様に、収容時に既に倒れていた武様を医務室に運び。
 解かれた結界の穴を通って船を奥へ進め。

 司令としての責務がわたしをこの椅子に縛り付けていた。
 わたしの愛しい人が、それもふたりが倒れたというのに!
 一刻も早く駆け付けたい気持ちを押し殺しその場に留まった。
 ジャンヌ様とリアム様におふたりを任せ、ただ無事を祈るだけしかできなかった。
 ぎゅうと握りしめた手のひらに爪が食い込んでいた。


 ◇


「微速前進! 第一級戦闘態勢! 主砲、副砲とも発砲準備!」

「機動艇、射出準備完了しました!」

「右舷020マルニマル方向、島影確認! アトランティス大陸です!」

「左舷050マルゴマル方向、艦影あり! 距離およそ3000! 戦艦えちごです、魔物と戦闘中です!」

「魔力レーダー、反応多数! 飛行型の魔物です! 本艦に向かって来ています! 数、およそ20! 距離およそ5000! 8分後に接触します!」

「主砲、副砲とも準備完了しました!」


 艦橋では次々と指令と報告が飛び交っている。
 ああ、今にもこの場を離れて飛び出して行きたい。
 しかしわたくしの役割はこの部隊の司令。
 私情でここを離れるわけにはいかない。
 わたくしが出さずして誰が指示を出すというの。
 何度も同じことを自分に言い聞かせた。


「お嬢様! 収容したアレクサンドラ=メルクーリ中佐がお目通りを願っています!」

「この場へお通しくださって」


 彼女から状況を聞き把握しなければ。
 戦況と戦力配置を頭で組み立てながら彼女の来訪を待つ。
 艦内の士気は高かった。
 活気ある指示が飛び交っている。
 絶望視していた友軍を発見できたのだから。


「お目通り感謝する、クロフォード特務大佐」

「ご無事で何よりです、メルクーリ中佐」


 2か月に及ぶ彼女の苦労を1秒の敬礼で労う。
 闘うぞという強い意志が変わらずその視線から感じられた。


「早速ですが状況をご説明いただけるかしら」

「承知した」


 不要な言葉を交わすこともなくアレクサンドラ会長は簡潔に説明を始めた。
 アトランティス遠征部隊の現状。
 戦艦えちごの置かれている状況。
 ここに辿り着いた5人について。

 信じ難いことばかりだった。
 今、認識すべきは過程よりも結果。
 わたくしは直ぐに方針を決定した。


「本艦はこれより友軍、戦艦えちごを援護! しかる後に本海域より離脱いたしますわ!」


 ◇


 戦艦アドミラル=クロフォードに搭乗している将兵は対魔物を想定した部隊だ。
 強襲作戦の目標は教団の基地だが魔物との戦闘が想定されていたからだ。
 ドイツ軍元帥であるお父様の差配もあり海軍の精鋭部隊が配置されていた。

 その精鋭部隊を魔物の迎撃のために甲板へ展開した。
 部隊指揮にアレクサンドラ会長をつけ、凛花様に補助をお願いする。
 これで魔物が防御を突破することはない。

 同乗していたデイジー=グリフィス様には武様とさくら様の治療をお願いした。
 聖堂のシスターである彼女であればおふたりを適切に処置できるだろう。

 そして戦艦えちごの援護はレオン様、ジャンヌ様、リアム様にお願いした。
 頼みの綱はリアム様の射撃。
 船に絡みつくクラーケンの脚を切り離す。
 えちごが離脱可能となったところでアドミラル=クロフォードがクラーケンを砲撃する。
 これが単純ながら最も効果的だと判断された作戦だった。


「ガーゴイル、グリフォン、ワイバーンらとの戦闘を開始しました!」

「現場はメルクーリ中佐の指揮に一任しました。戦況報告のみでお願いいたしますわ」

「機動艇からクラーケンへの射撃開始!」

「えちご艦橋から脚が離れ次第、戦艦えちごへ信号打診! 『敵を斉射す、離脱されたし』」

「・・・クラーケンの脚、艦橋より離れました! 信号、打診!」

「主砲、副砲とも斉射用意! 目標、クラーケン頭部!」

「斉射用意! ターゲッティング完了!」


 想定どおりに事が運ぶ。
 新たな敵の出現や、強固な抵抗を見せられる可能性も考慮した。
 けれどもそれらは杞憂に終わったようだった。


「戦艦えちごより受電! 『貴艦の援護に感謝す。速やかに離脱せん』」

「サイレン鳴らせ! 甲板に出ている者に結界準備!」

「サイレン、鳴らします!」


 ――ウウウウウウーーーー


 耳障りな人工音声が外に向けた意識を呼び戻す。
 甲板で戦闘している者たちが結界を張り衝撃に備えた。


「主砲目標クラーケン頭部! フュンフフィアドライツヴァイアインス・・・」


 指示を出す自分自身も衝撃に備え手すりに手をかける。
 戦艦えちごが最大戦速で距離を取った。
 援護していた機動艇も近傍から離れた。
 脚を落とされたクラーケンだけが怒り狂ってか水面に顔を出したままだった。
 モニターに映ったそのエンペラの下、胴の下から覗く醜悪な瞳が焦りを浮かべたように見えた。


撃てーーーフォイヤー!!」


 42センチ砲から放たれた複数の弾丸がクラーケン目掛けて飛翔した。
 1秒も立たぬうちに多数の水柱が立った。
 クラーケンの背後で立ち上がった数十メートルを超える水柱。
 爆散したその頭部はその水飛沫に紛れて四散していった。




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