世界に殺される僕

たねありけ

文字の大きさ
3 / 6

3 少年「おじさん、また来るね」

しおりを挟む
 翌日、仕事は無事に定時に終わった。
 昨日は遅かったので嫁さんを安心させようと早く帰った。
 いつもサークルで忙しい長男もいて、全員が揃った久しぶりの家族団らん。
 皆が楽しく笑っていて。
 僕は笑みを浮かべながら、どこか苦しかった。

 ◇

 次の日。
 プレゼンの本番。
 先輩に入れ知恵をしながら臨み、幸運にも僕たちは大型案件を取り付けた。
 部長に報告すると「良くやった! 快挙だ!」と大声で褒めてくれた。
 同僚たちが仕事中にも関わらず立ち上がって拍手をしてくれた。
 「打ち上げに行くぞ!」と肩を組まれて連れ出された。
 とても楽しく誇らしい、虚無の時間を過ごした。

 上機嫌の部長のハシゴを断って地元の駅へ着いたのが二十二時。
 酒の入った頭を冷やすのはあそこだ、と公園のいつものベンチに腰掛けた。
 こんな時間だ、大きな公園といえど誰もいない。
 僕様の特等席だと鷹揚にベンチを占領した。

 ひゅうと夜風が頭を冷やす。
 抜けていく酒気。
 この孤独感が僕の虚無を優しく撫でてくれる。
 その感触が嬉しくて安心したところで。
 へくちっ、と可愛らしいクシャミが後ろから聞こえた。

 驚いて振り向くとあの子がいた。
 目が合ってしまった。
 そのまま見なかったことにして顔を前に戻した。

 彼女は見逃してくれないらしい。
 僕の隣に座った。

「…………」

 無言のプレッシャー。
 いや、どうしてこんな冴えないおっさんの横にいるの?
 君、花の女子高生だよね? 夜は危ないよ?
 むしろ僕の冤罪の燃料になってもらっちゃ困る。
 頭の中の喧騒はついぞ言葉にならなかった。

「……今日は……」
「え?」
「今日は聴かせてくれないんですか?」
「……」

 あれは約束だったんだろうか。
 彼女が一方的に言うだけ言って去っていっただけ。
 そもそも僕はギターもない。
 ただでさえ汚い声。
 歌えと懇願されたって、誤魔化しの利かないアカペラなんてやりたくない。

「無理だよ、ほら、ギターもない」
「…………」

 僕はおどけるように手を裏返してひらひらさせる。
 すると彼女は立ち上がり、僕の手を引っ張った。

「こっち」
「え?」
「来て」
「あ、ちょっと」

 結局、引っ張られるままに公園の奥へ歩いていく。
 時計の下の芝生の山。
 その片隅にある低木の中にあのギターケースがあった。

「これ」
「これね、僕のじゃないんだ」
「でも弾いてました」
「うん、気紛れ。見てのとおりしがないサラリーマンだから」
「でも弾いてました」
「僕の声、公害だよ」
「でも、聴きたいです」

 無表情のまま。
 彼女はずっとそのケースを指していた。
 じっと僕を見つめながら。

 僕は観念して芝生にあぐらをかいた。
 乱暴に鞄を放り出してケースを手繰り寄せた。
 持ち主不明のケースからギターと黄色いピックを取り出して。
 チューンを合わせて二、三回、ぼろんと調弦を確認した。
 そうして黒歴史の上塗りを始めた。

 ――正しくなさいと 優しい言葉で 斬りつけ♪

 あの頃の、あの時代の言い回しだけを使って。

 ――世界に 僕は 笑われている♪
 ――社会に 僕は 笑われている♪
 ――学校に 僕は 笑われている♪
 ――家族に 僕は 笑われている♪
 ――友達に 僕は 笑われている♪

 ただ、それだけ。
 自分自身を貶めて、それで満足する歌。
 彼女は反対側の芝生に座って歌う僕を見つめていた。

 一曲だけ、高々五分の演奏で僕の喉が悲鳴をあげていた。
 歌い終わってケースに仕舞う。
 元の茂みの中へそれを押し込むと、目の前に彼女が立っていた。

 今日も両目を赤くして、頬を濡らして。
 なんと声をかけたものかと思っていると、彼女はそのままぺこりと頭を下げた。

「……また、お願いします……」

 その一言だけを残し、向こうの暗闇に姿を消していった。
 呆然とその後ろ姿を見送った。
 僕も帰ろう、そう思って帰る方向へ振り返って、びっくりした。

 僕を見上げる子供がいた。
 子供? いや、中学生?
 とにかく一番下の息子と同じくらいの身長の、まだ幼い男の子だ。
 よく見る学習塾の、平べったい青いバッグを背負っていた。
 塾帰りにしたって二十二時は遅いだろう。

 僕を驚かせたのはその子の存在じゃない。
 彼もまた目を赤くして涙を溜めていたことだ。
 まるで僕が泣かせてしまったかのような光景。
 誰かに見られたらやばい。

「……おじさん、また来るね」

 ちょっとがらがらとした、喧嘩の後のような声で告げると、少年は駆けて行った。
 僕の虚無は鳴りを潜めていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...