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第2章
侍女と従者
しおりを挟む「······最近、アルフォルトに避けられている気がします。正直辛い」
「知らないわよ」
沈鬱な面持ちで佇む従者に、メリアンヌはただ一言冷たく返した。
途端、更に沈鬱な表情になる。ライノアをあまり知らない人からしたらただの無表情だが、流石に付き合いが長ければ、微妙な変化もわかるようになる。
昨日王城に戻ってきたアルフォルトは、城を開けていた間に机に積まれた書類に囲まれて、現在執務室で缶詰め状態だ。
午前の業務が一区切りついたメリアンヌは、書庫の整理をするライノアの手伝いをする事にした。それが間違いだった。
「······」
纏う空気の重さに耐え兼ね、メリアンヌはため息を吐いた。
降参だ。この従者は落ち込むとロクな事にならない。とんでもなくポンコツになる。
「······別に、避けてはいないんじゃない?朝も普通だったでしょう?」
今朝の様子を思い出して、メリアンヌは答えた。終始見ていた訳ではないが、朝食も着替えも、普通に会話していたように思う。
ライノアは顔を上げた。まるで縋るような目に、メリアンヌは苦笑いする。傍から見たら無表情だが、付き合いが長(以下略)
「会話は普通にするんです。でも」
「でも?」
一度言葉を区切ったライノアに、勿体付けんな!!と怒鳴りたくなるのをぐっと堪えた。
感情的になるのは、一番愚かな事だ。
感情的になればなるほど、判断が鈍ると教え込まれたのはもうずっと昔の事か。
平常心を保とうと思考を飛ばしていたら、ライノアはようやく口を開いた。
「アルフォルトが、目を合わせてくれないんです」
「は?」
思わず地声が出て「失礼」と咳払いをして誤魔化した。
「普段はどんなに見つめても、すぐには逸らさないんですよ。じっと見てると、照れて根負けして逸らすくらいで」
「ちょっと待て、普段からお前何してんだよ」
メリアンヌは従者の奇行に頭を抱えた。いつものお淑やかな口調を忘れ、突っ込まずにはいられなかった。
「?アルフォルトを見てますが」
「『見てますが』じゃねーよ。王子を視姦すんな」
「視姦だなんて······というかメリアンヌ、言葉が乱れてます」
「お前のせいだよ!!」
もはや冷静でいる事を忘れ、メリアンヌは頭をガシガシとかいた。
このポンコツ従者は普段寡黙だが、アルフォルトの事になるとやたらと饒舌になる。
アルフォルト至上主義だから仕方がないと言えば仕方がないが、最近はどうも拍車が掛かっているとしか言いようがない。
「今朝執務室を出る時も、すぐに目を逸らされて、辛い······あの紫水晶の瞳には私だけ映して欲しいのに」
拳をぐっと握りしめたライノアの目は至って真剣だが、発言は些か危ない。
「······本音が漏れてるわよ」
ベクトルはともかく、ライノアもだいぶ人間らしくなったものだと、メリアンヌは思う。
──初めて見た時、ライノアは死にかけていた。
メリアンヌがまだ、アランの護衛だった頃の事だ。
孤児院の慰問に出かけたアルフォルトとアリアが拾って来たのは、いかにも貴族らしい上等な衣服を纏った、血塗れでずぶ濡れの、小さな子供だった。
またいかにも訳ありで厄介なものを拾ったもんだ、とアランが呆れていたのを覚えている。
その子供は意識が戻ってからも感情がなく、見掛ける時はいつも死んだ目で、窓の外をぼんやりと見ていた。
生きる事に見切りを付けた、死にたがりの目は、よく知っている。
護衛の仕事で時々対峙する暗殺者や、路頭に迷った人間特有のあの目だ。
ああ、コイツはどうせ長くは生きられない、と思っていた。
(──それが今じゃコレだもんな)
壊れた人形だった小さな子供は。
今では王子の従者として、生命力に溢れている。
何も映さなかった深い海の底のような瞳は、今では光を追いかけて蒼空のように澄んでいた。
(まぁ、頭のネジは何本か外れたみたいだけど)
子供の成長は早いものだ、とメリアンヌは肩を竦めた。
あの小さかった子供は、十年で自分とほぼ同じ身長まで伸びた。
頼りなかった細い身体は、王子を守る為に鍛えて逞しくなった。
寡黙でミステリアスだと、城のメイドや侍女から密かに人気だが、本人はアルフォルト以外に興味が無い、二十歳なのに老けて見える非常に残念な男だ。
(妹が──リュカが生きていたら、ライノアと同い年か)
そう思うと無意識にライノアの頭に手を伸ばしていた。
そのまま、頭をわしゃわしゃと撫でる。
「······ちょっと、メリアンヌ?何するんですか」
頭を掻き回され、逃げようとするライノアを押さえつけてより一層頭を撫でた。
「普通に会話するなら別に嫌われてる訳ではないし、気にしすぎじゃないかしら?」
「それは、そうですが······」
ぐちゃぐちゃになった髪を押さえ、なんとか逃げ出そうとライノアは藻掻くが、メリアンヌの方が上手だ。それに、だんだん楽しくなって来た。
「さては、目を逸らされるような事したわね?」
冗談まじりにニヤニヤすると、途端にライノアの動きが止まった。
「······」
「ちょっと待って、図星なの?」
メリアンヌの問にライノアは視線を逸らしたが、それは最早肯定を意味する。
「お前······」
不穏な空気をまとい始めたメリアンヌに、ライノアは慌てて弁明する。
「同意の上ですし、最後まではしてません」
「最後までしてない、を免罪符にすんな」
キリッとした表情を浮かべたライノアの頭を、思いっきり叩いた。
「······暴力は良くないかと」
頭を押さえて、ライノアはメリアンヌから距離を取る。
「油断も隙もあったもんじゃないわ」
盛大にため息を吐く。
何をどうした、とまで聞く気はないが、ここまで来たらもう、二人が最後まで致すのも時間の問題のような気がする。
(まぁ、別にそれでもいいと思うけど)
アルフォルトは、顔や髪は平気でも、素肌に触れられるのが極端に苦手だ。
だから、メリアンヌも必要がなければ極力素肌には触れないように気を付けていた。
ただ、ライノアだけは唯一触れても大丈夫だった。
それは多分、今後も変わらないのだろう。
アルフォルトにとっても、ライノアにとっても唯一無二なのだ。
もし二人の関係がバレたとして、アランもベラディオも、今更二人を引き離したりはしないだろう。
とはいえ一国の王子と従者とでは、立場が違う。
依然としてアルフォルトは敵が多いのだ。何がきっかけで足元をすくわれるか、わからない。
だから、その辺は上手くやれよ、とメリアンヌは思う。
もう一度ため息を吐くと、ライノアはまた叩かれると思ったのかさらに間合いを取った。その姿が何だか可笑しくて、つい笑みが零れた。
「──書類、一区切りついたからお茶が欲しいんだけど、いいかな?」
軽いノックの後、ドアの隙間からひょっこりとアルフォルトが顔を出した。
すかさずライノアが駆け寄る。相変わらず犬みたいな従者だ。
「お茶だけじゃ足りないでしょう?」
ライノアの指摘に「そんな食いしん坊じゃないですー」と、アルフォルトは頬を膨らませた。
「じゃあ紅茶だけ持って行きますね」
「······ライノアの意地悪」
アルフォルトに拳で軽く背中を突かれ、ライノアはアルフォルトの頭を撫でた。
「冗談ですよ、昼食前なので軽い焼き菓子で良いですか?」
「うん!」
そのままライノアの腕にするり、と自分の腕を絡めて、アルフォルトは微笑んだ。
(おや、まぁ)
メリアンヌはアルフォルトが普段と違う事に気づいた。
ライノアを見つめる目も、仮面の下から少しだけ見える薔薇色の頬も。
纏う雰囲気が何処と無く甘いソレを、人は恋と呼ぶ。
(──目を逸らされる、ね)
それは避けている、というよりも。
今まで意識して来なかった感情に気づいて戸惑っているのだろう。
──小さな、頼りない子供達だと思っていたのに。
「子供の成長って本当に早い」
ボソリと独りごちると、何処と無く胸に募るは寂しさか。
「メリアンヌも一緒に休憩しよう」
感傷に浸っていたメリアンヌに、アルフォルトは声をかける。
「そうね、今行きますわ」
仲良く並んで歩く二人の背中を追う。
この穏やかな温かい時間は、きっと今だけのもの。
ただ、願わくば。
もう少しだけこの時間が続けばいい、とメリアンヌは心の底から思った。
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