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第一章
大事な約束③
しおりを挟む眠りから覚めたサァシャを呼んだのは、傷だらけのラギだった。
玄関に向かうサァシャは、焦りで足が縺れ、危うく転びそうになりながらドアへと手を伸ばした。
(……もしかして、僕がおまじないをしなかったから、だからラギは怪我しちゃった?)
サァシャのおまじないに本当に効果があるかどうかなんてわからない。
消えかけた古い記憶の中で、母親がしてくれたそれは、サァシャにとって大切な思い出で。だから、大好きなラギにしたら、彼は嬉しそうにしてくれたから。
おまじないをする間は、ラギに触れられるから、という理由で繰り返す、サァシャのただの自己満足だった。
玄関のドアを開けた瞬間、何かが弾けるような音がした。心なしか空気すら重く、息が詰まる。
思えば、サァシャが夜外にでるのはこれが初めてだった。
「……ん?」
身体に違和感を感じた。血が物凄い速さで身体中を駆け巡るような感覚と、目眩。
思わずフラついた身体を支えるように壁に手を付いたが、今は自分の事よりもラギだ。
急いで駆けつけると、ラギは壁に背を預けて座っていた。
「ラギ!!大丈夫っ!?」
「やっと、来てくれたか……」
俯いたまま動かない彼に駆け寄り、肩に手を添えて覗き込んだ。
「……え」
覗き込んだラギの顔は、全くの別人だった。
──そもそも、人ですらなかった。
だから、状況が飲み込めずに固まるサァシャは、反応が遅れた。
「……あ」
首元に、激痛が走った。
何が起きたかわからず視線を向けると、異形の顔がサァシャの首に噛み付いている。
あまりの衝撃に、サァシャは地面に倒れ込んだが、首元に噛み付くそれは離れなかった。
「いた……ぃ……」
激痛に叫んで喚き散らしたいのに、助けを求めたいのに、首を噛まれたせいで声すらまともに出ない。
身体から力が抜ける。目の前の異形を見つめると、その生き物は口を歪めた。おそらく、笑っているのだろうか。さっきは確かにラギに見えたのに、今は人でも狼でもない顔で、姿を上手く認識出来ない。
(これ、魔獣か……初めて見た)
ラギが言っていた事を思い出した。
魔獣ははじめは獣の姿だが、人間や魔族をたくさん喰らうと、次第に人の形を取れるようになる。そうして人のフリをして近づき、油断した人間や魔族を屠るのだ、と。
(まんまと騙されちゃったな)
ぼんやりと空を見上げる。いつも窓越しに見る二つの月が、今は真上にある。
「ずっとお前が外に出るのを待っていた」
魔獣が、ラギと同じ声で笑った。
「いつもお前は呼びかけに答えない程深く眠っていたのに、今日は邪魔な神父がいない」
「……ラギ、の声で……喋る、な」
力の入らない手で顔を押しのけたが、サァシャの抵抗など意に介さないようで、魔獣はそのままさらに深く歯を突き立てた。
「ぅぁッ、ぐ……」
ビクビク、とサァシャの身体が痛みに痙攣する。血が身体を伝う感覚に、死の気配を感じた。
「お前は人間のフリをしてるのだろうが、その甘い血の匂いは消せない」
「人間、のフリ……?」
言葉を反芻したサァシャを、魔獣は面白そうに眺めた。
「何だ、知らなかったのか」
「なに、を……」
「お前には、半分魔族の血が流れている」
何を言っているのか、サァシャは理解できなかった。それは血を失い過ぎてるからなのか、理解する事を脳が拒否しているからなのか。
固まるサァシャに、魔獣はニヤリといやらしく笑った。
「血を飲んでわかったが、お前はインキュバスの血が流れているな」
「え……」
(何を言ってるんだ、コイツは)
淫魔の存在は勿論知っている。魔族の中でも吸血鬼に次ぐ高位の魔族だ。だが、自分にその血が流れているとは思えなかった。
だって、サァシャには魔力も無ければ、インキュバス特有の性欲すらなかった──筈なのに。
(身体が、熱い……)
外に出た時から感じている、違和感。死にかけているというのに、身体の奥が熱い。いや、身体というよりも身体を巡る血が熱い。急激な身体の変化に戸惑っていると、魔獣はサァシャの寝間着を引き裂いた。
「お前には魔封じの呪いがかかっていたが、どうやら外に出たおかげで解けたようだ」
サァシャははっとした。
夜、特に双月の夜は外に出るなと、ラギに言われていた意味がわかった。
先程感じた、玄関を出た瞬間の何かが弾けたような感覚。
身体中を巡る熱すぎる血は、抑えられていた魔力が迸り暴走しているからだと、今ならわかる。
双月の夜は魔の血脈の力が強くなると言われている。その為、月が二つ出る夜は人を護る封印も弱まるから、人間は魔の者に惑わされないよう外に出ず家に篭もっている。
──双月の夜は外に出ない。
あれは、サァシャを護る為の約束だった。
(ラギは、僕が半魔だって知ってたんだ)
そして、知っててサァシャに教えなかったのは多分。
(人間として、育ててくれようとしてたんだ……)
サァシャが普通に暮らせるように。
不器用で、意地悪だけど、誰よりも優しいラギ。
無性に会いたくなった。でも、彼は今頃きっと、昼間の女性の所に行っている。
(仕方ないよ、これは僕の自業自得だ)
自嘲気味に息を吐いたサァシャの薄い腹に、魔獣は手を伸ばした。ぞわり、と鳥肌が立つ。
「インキュバスの血は美味いが、胎も、苗床に最適だと聞く」
下腹部を辿る指が、太腿を掴む。顔が近付いたと思うと、太腿に歯を立てた。
「ぐぁっ……あ、」
焼け付くような痛みに声を上げると、魔獣は美味しそうに零れる血を舐めた。
「我らの種は死体でも育つ。十日もすればその小さな胎を食い破って出てくるだろう」
話す間も全身を撫でる手の感触が気持ち悪い。いたずらに歯を立てられ、その度にサァシャは悲鳴を上げた。そんな反応に魔獣は興奮したのか次第に呼吸が荒くなり、目は捕食者の獰猛さに加えて情欲にギラついていた。
太腿を割り開かれる。血を失いすぎてもはや抵抗する力もないサァシャは、ぼんやりと魔獣を見つめた。
人間のそれとは全く違う、猛ったグロテスクな性器が視界に入る。
後孔の窄まりをザラりとした舌が舐め、不快感に身体が戦慄いた。執拗な舌の動きに、魔獣が何をしようとしているのか、嫌でもわかってしまった。
(このままだと、コイツに犯される……)
痛い。
気持ち悪い。
怖い。
逃げ出したいのに、もはや身体は動かない上に視界も霞んできた。
(せめて僕の身体、どっかに持って行ってくれないかな……)
喧嘩して約束も破って、挙句魔獣に犯された自分の死体なんて、ラギに見られたくない。
虚ろな目で空を見た。霞んだ視界で、それでも二つの月だけはハッキリと見えていた。
ラギの目と同じ、二つの金色。
(ああ、でも。ラギが怪我した訳じゃなくて、良かった……)
育ててくれたお礼を言いたかった。
なにも返せない事を謝りたかった。
煙草を吸いすぎないと約束して欲しかった。
約束を破った事を謝りたかった。
最後に抱きしめて欲しかった。
それから──。
空にある二つの金色が、四つに増えた。
「サァシャ!!」
自分の名を呼ぶ鋭い声は、慣れ親しんだもの。
死の間際に聴こえた幻聴だと思った。
銃声が三発。
途端、サァシャにのしかかっていた魔獣は断末魔の叫びを上げて、その姿は闇に溶けた。
霞んだ視界の先には、肩で息をしたラギがいて、銃を投げ捨てて駆け寄って来る。
「……ラギ、ごめ、ん」
羽織っていた外套で身体を包まれる。身体を抱きしめるラギからは、硝煙の匂いに混じって、いつもの煙草の匂いがした。
(本物の、ラギだ……)
安心したサァシャは、震える手でラギの頬に触れた。すぐに力強い手が、サァシャの指を握りしめる。
ラギの顔は、怒っていた。
それもそうか、とサァシャは思う。
掠れた声で、約束を破った事を謝った。
本当はもっと色々言いたいことはあったけど、焼け付くような痛みと、そこはかとなく近づく死の気配に、次第に瞼が重くなる。
力強い腕の温もりがひどく幸せに思えてサァシャが力無く微笑むと、ラギの顔が歪んだ。
「ラギと……もっと、いっしょに、いたかった……」
サァシャの呟くような願いは、吹き抜けた風に溶ける。
抱きしめるラギの腕が、震えた。
そのまま、大きな手で瞼をそっと覆われる。
大好きな、優しい手。
「サァシャ」
静かな、ラギの声。
大好きな、低く落ち着いた声。
視界が閉ざされ、ラギがどういう顔をしているのかわからない。
「……お前に、選ばせる」
淡々とした声に、感情は篭っていなかった。
「選べ──このまま人間として死ぬか、今すぐ俺に抱かれて淫魔として生きながらえるか」
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