儚い花―くらいばな―

江上蒼羽

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第一夜:バッテリー【1】

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夕暮れ時のだだっ広いグラウンド。

夏の大会に向けて練習に励む野球部員達の姿があった。


「ほら、もう10球!!」


顧問の教師からの激しいノックを受けながら汗を流す少年達。

土埃を上げ、ユニフォームは砂まみれ。

肩で息をする部員達の掛け声は、段々と小さくなっていった。

突如、ボールが金属製のバットに当たる軽快音が止む。


「バッカ野郎っ!!やる気がないなら辞めちまえ!」


激しい剣幕で怒鳴り出した教師の怒りの矛先は、一人の部員に向けられていた。


「何だ、そのドン臭い動きは!!ちゃんと球を取れ!」

「…………すみません」


右手のリストバンドで額から流れ落ちてきた汗を拭う少年の名は、谷澤 翔太。

彼は、物心付いた時からグローブを嵌めていた。

守備位置はキャッチャーで、夢は甲子園の土を踏む事。

夢の実現の為に、猛勉強の末、やっとの思いで県内屈指の強豪校へと進学した。

………が、あまりに厳し過ぎる練習について行けず、彼は挫折し掛かっていた。





「……もう、野球辞めよっかな…」


帰り道、誰に言うでもなく呟いた言葉は、果てしなく後ろ向きなものだった。

大好きな野球を辞める……そんな事を思った事は一度足りともなかった。

それなのに、もう嫌だ、逃げたい……というマイナスな気持ちが心を支配する。

厳しい練習、チームメイトと打ち解けられない孤独感、監督からの激しい風当たり……

更に、自身の能力の限界。

その全てが彼を追い込んでいた。



西の空は、夕日が沈みかけて、橙から濃い灰色へと色を変化させていた。


「……はぁ…」


空の物悲しさに比例するかのように、辺りには翔太の溜め息がこだましている。

気分が沈んだ日は、どうした訳か家がやたらと遠くに感じるもの。

彼もまた然りで、足が鉛のように重く感じていた。

今日に限っては、足だけではなく、エナメルバッグも、鉄アレイでも入っているかのように重い。

中身は、ユニフォームとグローブだけの筈なのに……

肩に食い込む肩紐に不快感を抱きながら、翔太は家を目指してひた歩く。



ーーーボテッ………トントントン……



不意に、何かが落ちてアスファルトを叩く音がした。

翔太が振り返ると、土埃で黄ばんだ野球ボールが数メートル先まで転がっていた。

ハッとして自らのバッグを確認する翔太。

ファスナーが少しだけ開いていた。


「チッ……めんどくせーな」


彼は、小さな声でぼやきながら、慌ててボールを追った。

道路には傾斜などないのに、ボールは止まる事なく、転がっていく。

まるで、何かに吸い寄せられるかのように。

翔太は、ボールを追っている内に狭い路地裏へと入り込んでいた。

薄暗い、湿気帯びた道の真ん中辺りまでやって来た時、ボールの動きがピタリ……と止まった。

と、同時に、その場に居た人物に拾い上げられる。


「………あ…」


固まる翔太に、その人物は問う。


「これ、兄ちゃんのかい?」


黒いパーカーのフードを深々と被った怪しい男。

フードを被っているが為に、全容は確認出来ないが、唯一確認出来る口元は薄く笑みが作られている。

突如現れた不気味な男。

男は小さな露点を営んでいるらしく、彼の背後には質素な店がひっそりと控えている。

禍々しい雰囲気を携えた男に、翔太の背筋にはゾクッと冷たいものが走り、足はすくんで動かなくなった。

謎の男を前に声も出せないでいる翔太を見かねて、フードの男が再度、低く掠れた声で彼に問い掛けた。


「兄ちゃんのだろ?このボール。要らんのか?」


我に返った翔太は、カラカラに渇きかけた喉からやっとの思いで声を引っ張り上げる。


「……あ、すんません。自分のッス…」


ここは関わらない方が良いと判断した翔太は、そそくさと駆け寄り、ボールを受け取って逃げようとした。

しかし男へ向かって伸ばした手は宙を切っただけだった。


「え……あの、」


戸惑う翔太に、フードの男が笑みを浮かべながら言う。
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