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第一夜:バッテリー【2】
しおりを挟む「兄ちゃん、随分浮かない顔してんのな」
「え……?」
男は、ボールを夜へと向かう空に掲げてみせた。
「このボールも泣いてんよ」
不思議な事に、見慣れた筈のボールがいつもと違い、物悲しさを漂わせているように見えた。
「な、泣いてるって………んなわけないっしょ。拾ってくれてありがとうございました」
翔太の手にボールが戻される。
「兄ちゃん」
踵を返した翔太を男が引き止めた。
彼が振り向くと、男が拳を前に突き出している。
「………何スか?」
「手ぇ出してみ」
警戒する翔太に、男はもう一度言う。
「手ぇ出しなって。良いもんやるから」
「……は?」
尚も躊躇う翔太を見かねて、男は握っていた手をゆっくり開いた。
「なーんて事はない。ただの花の種さ」
男の手のひらには、アーモンド様の黒い種が一つ。
良いもの、という割りには期待外れな品に、翔太は苦笑した。
「いや、要らないッス。花には興味ーーー…」
“花には興味がない”と言い切る前に、男が「まぁ、待てや」と、口を挟む。
「花には興味がなくとも、この種は兄ちゃんにとって、その野球ボール並みに価値のあるもんだ」
翔太は、男の言葉に引っ掛かりを感じた。
「このボール並みって……どういう意味ッスか?」
その問いに、男の口角が引き上がる。
「さぁね………とにかく騙されたと思って受け取りな」
男にはぐらかされたものの、種に興味が湧いたらしい翔太は、そっと手を差し出した。
男の手は、氷の様に冷たかった。
血の巡りが感じられない程に。
翔太の手には、男から渡された種が黒光っている。
小指の先程の小さな種なのに、不思議と重く感じた。
種を見詰める翔太に、男が掠れた声で言う。
「そいつは儚い花の種さ」
「………くらい、ばな?」
翔太は、初めて聞く名の花の種を優しく包んだ。
「“はかない花”と書いて“くらいばな”……儚い花は、奇跡を咲かせる」
「奇跡………?」
男は闇がかった空を仰いだ。
「………奇跡は、儚く美しい…」
帰宅した翔太は、自室で黒い種を繁々と眺めていた。
「………奇跡が咲く種、か……意味分かんねぇ…」
花の種にしては、やけに艶があり、大きい。
けれど、どこからどう見ても、何の変鉄のない種だ。
「種は種じゃん?」
種を転がしてみたり、突っついてみたりして種を弄ってみるも、到底奇跡が咲くようには思えない。
「大体、奇跡って起こすもんで咲かすもんじゃねーしな」
やはり、ただからかわれただけなのだろう………そう結論を出した彼は、男から貰った種を自室の窓から庭の花壇目掛けて放った。
そのままベッドに身を投げ、天井を仰いだ翔太は、別れ際の男の言葉を思い出した。
『ーー兄ちゃん、そのボールずっと大事にしてやってな』
男の口振りは、まるでボールの謂れを全て知っているようだった。
言葉の意味を聞こうと思って振り返ると、既に男の姿はなく……
今の今までそこにあった筈のちっぽけな露店も跡形もなく消えていた。
残ったのは、男から貰った種だけ。
あまりに不思議な出来事に、夢でも見ていたのだろうか………と、彼は狐につままれた気分で帰宅したのだった。
奇跡が咲く種なんかより、男の口振りの方がずっと気に掛かっている。
何故なら、黄ばんだ野球ボールが、元々は別の人間の持ち物だったから。
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