儚い花―くらいばな―

江上蒼羽

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第二夜:指編みのマフラー【3】

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「あーあ……逃げちゃった」



猫に逃げられ、不満げに頬を膨らませる唯は、深追いはせずに家へと足を向ける。

と、数十メートル先でさっきの黒猫が立ち止まり、こちらを振り返っているのが見えた。

大きく丸い二つの瞳が唯を捉えている。


「にゃー……」


吸い込まれそうな深い緑色の瞳は、神秘的な輝きを放っている。

唯が猫に追い付くと、また猫は唯から距離を取る。

かと思えば、すぐに立ち止まり、唯を見詰めた。

まるで唯の気を引こうとしているかのように。


「……変なにゃんこ」


首を傾げながらも、唯は猫を追う。

今度は逃げられないように慎重に。

けれども、すぐに気配を感じ取られ、逃げられる。

唯との駆け引きを楽しんでいるかのような猫の行動。

次第に唯は躍起になって猫を追い掛ける。

自宅の前を通り過ぎ、段々と人気のない脇道へと進む猫と、それを追う唯。


「にゃんこちゃん、どこ行くの?」


唯は、猫に誘い込まれるままに、狭い路地へと迷い込んでいた。


「あれ……ここどこ?」


猫を追うのに夢中で、いつの間にか見知らぬ通りに足を踏み入れていた。

辺りは人気もなく、薄暗い。


「………こわい…」


ただならぬ雰囲気に進むのを躊躇う唯に構わず、猫は先へと進む。


「……この先ににゃんこちゃんのお家があるのかな?」


猫が向かう先には何があるのか……

恐怖よりも好奇心が勝った唯は、恐る恐る前へと進む。

そんな唯を励ますように、猫は時々立ち止まっては「にゃー…」と鳴いた。

湿気を帯びた空気が充満する路地の突き当たりに辿り着いた時

黒猫の歩みがピタリと止む。


「あぁ、ブラッドか………おかえり」

「にゃあぁん……」


黒猫が甘えた声を出しながら擦り寄っていく。

黒いパーカーのフードを深く被った男。

どうやら黒猫の飼い主らしい。

彼は、唯の存在に気付くと、口元に笑みを浮かべながら言った。


「やぁ、いらっしゃい。可愛いお嬢さん」


唯は、目の前にいる顔を半分隠した怪しげな男に思わず後退さる。


「こ、こんにちは……」


震える声で挨拶をした唯。

猫を追って来た事を後悔していた。


「そんなに怖がらないで。もっと近くへおいで」


男の手招きに、唯はゴクリ……と生唾を飲んだ。


「おいで、お嬢さん」

「あ、あの……」

「大丈夫。ブラッドの客人に手荒な事はしないよ。おいで」


そう言って、男は自らの膝の上で丸くなった黒猫の喉元を擦る。


「にゃー…」


気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らす猫。

すっかり気を許しているようだ。


「………そのにゃんこちゃん、ブラッドってお名前なんですか?」


唯が尋ねると、男は頷く。


「そうだよ。毛並みが良くて、しなやかな肢体………中々の美形だろ?」

「美形……?」


首を傾げる唯に、男は苦笑しながら言う。


「難しくて分かんなかったか……まぁ、今、人間の間で流行っている言葉で言うとすれば、イケメンってヤツだな」


男の言葉に唯は「確かにイケメンだ」と笑う。

猫が男の膝から降りた。

そして、唯の足元に擦り寄る。


「……にゃお…」

「わ……かわいい!もふもふだぁ!」


足に絡んでくる尻尾に擽ったさを覚えつつも、猫の背を優しく撫でる唯。

猫は気持ち良さそうに目を細めた。

ザラザラとした舌が唯の膝を這う。

それに唯は「何か痛~い」と、嬉しそうにはしゃいだ。

唯と戯れる猫の姿を暫く眺めていた男は、徐に口を開く。


「猫好きな可愛いお嬢さん、良い物をあげよう」


そう言って骨張った手を唯に向かって差し出す。

唯は、猫との戯れを中断し、突き出された男の拳を凝視した。


「……良い物、ですか?」

「あぁ、良い物だよ」


拳の中に収まっている良い物とやらが気になりながらも、唯はグッと堪える。


「……お母さんに知らない人から物をもらっちゃダメだって言われてるのでいりません」


男は「成る程…」と、感心しながら自らの顎を撫でた。
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