儚い花―くらいばな―

江上蒼羽

文字の大きさ
24 / 45

第三夜:白紙の母子手帳【3】

しおりを挟む


真由子は、花の種に視線を奪われながらも、男の不可解な言葉に警戒して


「結構です」


種の受け取りを拒否した。


「ふぅん……」


男は、指先で種を転がした。

そして、笑いを含ませながら掠れ声で真由子に問う。


「奥さん、今幸せかい?」

「………はい?」


聞き返す真由子に、男は続ける。


「奥さん…ご主人、二人の子供………家族四人で、仲睦まじく暮らしている姿が目に浮かぶよ」

「え…………」


途端に、真由子の心臓が大きく跳ねた。

初対面の男が、何故自分の家族構成を知っているのだろうか……

背筋にゾクリ………と、冷たいものが走った。

驚きで声が出ない真由子。

男は、訳知りな雰囲気で決定的な言葉を口にする。


「幸せそうな笑顔の影から、悲しい過去が顔を覗かせているよ」


驚愕する真由子に、男は尚も種をちらつかせる。


「きっと、この種が奥さんの悲しみを癒してくれる」


男は、真由子の耳元に口を近付けそっと囁く。


「さ、奥さん、受け取って」


真由子の手を取る男の手は、体温が感じられない。

氷のように冷たく、冷気すら感じられる。

茫然とする真由子の手のひらに、種が乗せられた。

それは、小指の先程の小さな種の筈なのに、 鉛玉のように重く感じる代物だった。





自宅へと戻った真由子は、フードの男から貰った種を庭の片隅に埋めた。

優しく土を被せ、周囲に生えた雑草をむしってやる。


「………はぁ…」


庭にこだまする溜め息は重い。

見上げた空には、黒い雨雲が蠢いている。

フードの男と別れてから、暫く少女を捜して街を歩いた。

けれども、結局は見付からず仕舞い。


「親元にきちんと帰れてれば良いんだけど……」


消えた少女と、謎の男。

そして、男からの胸を抉るような言葉に、真由子は心を掻き乱されていた。




やがて、予報通りに空から大粒の雫が降下してきた。

窓からその景色を暫しぼんやり眺めていた真由子は、徐に立ち上がり、夫婦の寝室へと向かう。




ーーーキィ……




レースのカーテンが風に揺れる。

僅かに開いていた窓を閉め、ベッド脇のチェストに近付いた。

チェストの一番の引き出しを静かに引く。

そこには、ボールペンや髪を束ねるヘアゴム等といった細々した雑貨で隠すように一冊の手帳が埋もれていた。



“母子健康手帳”



表紙に柔らかいタッチのイラストの描かれた小さな手帳の下の方に、真由子と亮の名が手書きで記されていた。

更にその下には、手帳が交付された日付が記入されている。

日付は、今から8年前の春。

折り目はない。

ほぼ新品同様の手帳の中は白紙だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

あなたの愛はいりません

oro
恋愛
「私がそなたを愛することは無いだろう。」 初夜当日。 陛下にそう告げられた王妃、セリーヌには他に想い人がいた。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

処理中です...