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《5》
しおりを挟む定時を迎え、タイムカードに打刻して会社を出た。
金曜の夕方は、一番好きな時間。
この何物にも代えられない解放感を味わえるこの時は、誰もが好きな一瞬だと思う。
「朝比奈さん」
不意に背後から名前を呼ばれて振り返ると、満面の笑みを携えた夏川さんが駆け寄ってくる。
「夏川さん……どうかした?」
私の問いに、彼女は更に笑みを濃くする。
「飲みに行きませんか?」
「え?」
意外な申し出に瞬きを増やす私に、夏川さんは可愛らしく小首を傾げながら言う。
「可愛い後輩にちょっと付き合ってくれません?あ、因みに奢ってくれなんて集るつもりはありませんから」
冗談なのか、本気なのか……
実際可愛いから間違いじゃないけれど、自分で自分を可愛いと言えちゃう所は若さ故なのか。
「予定あるなら無理にとは言いませんけど」
とは言いつつ、彼女の目にはどこか強制力がある。
予定はないし、誘って貰えて嬉しかったのもあり、快く
「私で良いなら付き合うよ」
夏川さんの笑顔がパァッと弾けた。
会社の門を出てから、夏川さんと自宅方向とは逆方向へと向かう。
どこへ飲みに行くのだろうと思いながら歩く私の隣で、夏川さんがスマホを操作している。
歩きスマホは危ないよ……と思いながら、行き交う人にぶつからないよう彼女の代わりに周囲を警戒する。
「朝比奈さんって、私と同じく日本酒得意じゃないですよね?」
「ん、まぁ……基本お子ちゃまだから、甘いお酒くらいしか飲めないし…」
「そういう人にこそ、“ちかあと”のお酒をオススメします。是非朝比奈さんにも飲んで貰いたいんですよ」
「“ちかあと”かぁ……夏川さんの話を聞いている内に興味が湧いてきたけど、私でも楽しめるかな?」
「きっとすぐに虜になりますよ。私が保証します」
夏川さんは、何やらアプリで地図を開いているらしく、周りの様子とスマホを交互に見比べている。
「えっと、もう少し先を左に曲がって……突き当たりを右……」
「どこへ向かってるの?私も一緒に探そっか?」
「あ、じゃあお願いします。“縁”って店なんですけど…」
二人で歩く事15分。
夏川さん目的の店に到着した。
“縁”と書かれた提灯を見上げて、溜め息が一つ。
黒い外壁に足元は涼しげな石畳。
無駄なく植えられた木々が優美に舞い、柔らかな雰囲気を醸し出している。
古臭くなく、かといって近代的でもない美しい佇まいのその店は、和モダンという言葉が当てはまるのだろうか。
「ちょっと高そうなお店じゃない?」
「うーん……ネットで見る限り、リーズナブルな値段設定でしたけど、物による感じですかね?」
やや緊張気味に格子戸を開けてすぐ現れたのは、これまた美しい藍染の暖簾。
暖簾を潜りながら足を踏み入れた店内は、外観と同じく落ち着いた雰囲気が漂っていて、そこはまるで外界から切り離された異空間のように思える。
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