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【第1章】
【第5話】天災級のトラブル・前編(弓ノ持棗・談)
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下へと続く階段がある洞窟の中に足を踏み入れた瞬間、着ていた服装が前面側から緩やかに変化していった。
「おぉぉぉ!」
何とも不可思議な体験だ。なのに此処には共感出来る相手がいない事が残念でならない。
ゲームの初期である様な『ボロボロの服』という程ではないが、いかにも『冒険者の初期装備』だなといったシンプルなデザインが施された布製の服装になった。そして冊子のQ&Aページで読んだ通りに「ステータス、確認」と言うと、スッと半透明の画面が自分の前に現れた。それで確認した所によると、残念ながらこの装備ではこれといったスキルは何も付与されてはおらず、ちょっと動きやすいくらいしか利点が無い。
(つまりは、それっぽくデザインがされているってだけで、ただのジャージみたいなもんなのか)
腰には革製の帯刀ベルトがあり、片手剣が収まっている。多少の魔法効果と剣技を扱うためのスキルが付与されてはいるみたいだが、あくまでも体験版程度の性能っぽかった。
「…… つまりは早々に装備品を探し集めて、さっさと着替えろって事だね」
現在のレベルはもちろん1だ。職業欄は『新参者の冒険者』で、体力も魔力の数値も実にしょぼい。特殊な技能は無いが、何故か特記欄には『妖精の加護』と記載されていた。
「…… な、何でコレが、ここに書いてあるんだ?」
随分前に祖母から聞いただけのものなのに。そもそも本当に加護があるのか、あるとしてもどんな効果なのか自分でもわかっていないから、登録時に記載を要求された用紙には書かなかったのに。
不思議に思い首を傾げたが、わからんものはどうしょうもないので今は受け流す事に決めた。わざわざ記載されているんだ、いずれはちゃんと、その効果がわかるのかもしれない。
長い階段を黙々と降りて行く。革製の靴は案外足にしっくりと馴染んでいるので段数は多いが大丈夫そうだ。
お金に余裕がある人は外にあった店でもう少しまともな装備品を買い揃えてから挑むらしい。低レベル向けなので微弱だが、何かしらのスキルが付与された物を最初から使える分安全性が高くなるからだ。学校などで噂を聞き齧っただけのボクは直接画面を見た訳ではないが、攻略サイトでもまずは買って揃えろとオススメしているそうだ。あとは高レベルの冒険者を雇ってのパワーレベリング。どちらも結局はお金次第なので、残念ながら今のボクには無縁の話である。
階段を一番下まで降りると、目の前が一気に開けた。
「草原だ…… 」
(ダンジョンの中に潜ったはずなのに、この一階層目はまるで外みたいだな)
間違いなく階段で地下に潜ったのに何故か辿り着いた先は一面が草原になっている。上部は全て果ての無い空にしか見えず、実に綺麗な夕暮れ時だ。優しい風まで吹いていて『黄昏』というダンジョン名を冠している理由がすぐにわかった。
「綺麗だなぁ…… 。んな風景、何年振りだろ」
確実にここ一年は見ていない。そのせいか少ししんみりとした気分になったが、すぐにかぶりを振って気持ちを切り替えた。
遠くまでしっかりと見渡せるからこれならボクでも事前に敵を見付けられそうだ。そう思った時、早速小さな兎を発見した。目付きがやたらと鋭いし頭には角があるからあれはまず間違いなく“敵”だろう。
出来るだけ静かに剣を抜き、すっと構える。性能は低くとも付与されているスキルの効果で戦闘経験が皆無のボクでも構だ・け・は、きちんと出来た。
(敵の動きをよく見て、攻撃を避けつつ、すぐに反撃!)
頭の中でのシュミレーションを完璧に済ませ、ごくりと息を呑む。そもそも反射的に想像通り動けるのか?って疑問は敢えて考えないようにした。
「シャアアアアッ!」
痛恨事、敵もこちらに気が付き臨戦体制に入ってしまった。それこそゲームみたいにコマンドを入力して順番に攻撃出来たらいいのだが、残念ながら此処はそこまで親切な場所では無い。ボクですら感じられるくらいの殺気を撒き散らし、直様一角獣の様に角のある兎がこちらに飛び掛かって来た。
(今だ!)
動きは早いが見えない程では無い。ど素人であるボクの動体視力でも何とか捉えられる範囲だし、直線的な動きなので何とか躱せそうだ。これ幸いと、横に一歩ずれる。するとどうだ——
何故かボクの視界が捉える景色が一変した。
黄昏の美しい草原が、貴族が暮らしていた過去でもありそうな、洋風の廃墟としか形容のしようがない建物の中へと移り変わったのだ。
「…… え?」
構えていた剣をゆっくり下ろして恐る恐る周囲を見渡す。外の景色に慣れていた目では蝋燭くらいしか灯りの無い薄暗い室内の全貌が掴めず、冷や汗がじわりと体に滲んだ。
「何処だ?此処…… 」
隙間風の音が聞こえてビクッと肩が跳ねた。と同時に感じる敵の気配。兎なんかの比じゃない、肌に刺さるくらい強烈な気配は戦闘経験がまともに無いボクですら感じ取れるくらいの存在感だ。
(見付かれば、死ぬ!)
反射的にそう痛感し、慌てて逃げ道を探す。幸い少しだけ目が慣れてきた。見た所、どうやら此処は廊下みたいだ。ならばもう迫り来る敵とは反対方向に逃げるしかない。そう決めた瞬間ボクはすぐに走り始めた。ありがたい事に多分敵は一体だけっぽい。まぁ、その一体が大問題なんだけれども。
——今はとにかく走れ、走れ、走れ!
それだけを考え、学校の廊下の比じゃないくらい長い廊下をひたすら走る。何処かに部屋でもあればいいのに、この廊下にはひたすらボロボロな窓しかない。窓とセットになっている分厚いカーテンなんかも酷い有様で、段々とゾンビゲームの世界の中を走っている様な気分になってくる。
雑な呼吸を繰り返しているからなのか、そもそも此処の空気が悪いのか。喉に違和感が出始めてきた。支給品である革製の靴の中では靴擦れが起き始めていて、ひりっと痛みが走る。ずっと走り続けているせいか汗もひどく布製の服でも吸いきれずにべしょりとしてきて気持ちが悪い。でも止まるわけにはいかない。『応戦出来ないか?』だなんて無謀な考えが一瞬頭に浮かんだが、既に何処かで装備品一式を丸々落としてしまったみたいで鞄も剣も何処にも無かった。無心で走っていたせいで何処まで戻れば回収出来るのかも想像出来ない。助けも期待出来ない自分では、このまま走るしかないのが悔しい。
(…… でもオカシイ、どうしてこうなった?)
草原に居たのは間違い無い。なのに一瞬で洋館みたいな場所に飛ばされたこの状況に、必死に答えを求める。
(コレってまさか…… “下層転移”?)
ダンジョン内でたまに起きる現象名が頭に浮かんだ。『下層転移』は天文学的確率で起きる天災の様な現象で、行き先は決まって『最下層のボスエリア』らしい。いきなり何の準備も無く叩き落とされるせいで冒険者達は皆、瞬殺されて一階層目へ戻される。どの階層でも起こり得るが、だからって滅多に起きる事でもないっていうのに。
(なのに何で、よりにもよって、今日初めてダンジョンに挑んだボクがこんな目に遭わないといけないんだ!しかも入って五分もしないで、まだ敵の一体も倒せていなかったのに!)
「はぁはぁはぁはぁ」
走る速度が段々落ちてきた気がする。涙と鼻水で汚くなっている顔を腕で拭ったが、布に染み込んだ汗のせいで余計に酷くなった。『いっそ諦めて殺されておいて、元の階層に戻るか?』と考えたが、『死』というものへの恐怖が大き過ぎてボクはすぐにその考えを廃棄した。
(無理!嫌だ!まだ怖いっ!)
冒険者である事を選択した時点で、正直な話『死』を避ける事は不可能だ。だけど未経験なせいか余計に『死』への恐怖は言葉にならぬ程のものがあり、スタート地点に戻る為だけに選べるものでは到底無かった。
体力の無い体で少しふらつきながらも走り続けていると、廊下の突き当たりが目に入った。『此処まで来て、行き止まりか⁉︎』と一瞬不安になったが、どうやら右側に曲がれるみたいだ。
後方から迫る気配はずっとボクを一定の速度で追い続けている。今ならまだ距離的な余裕はある。このまま角を曲がり、敵からの死角に居る間にどうにかして部屋を探して其処に飛び込もう。息を殺して潜み、追っ手が諦めるまで待つんだ。
そう決意し、勢いをほとんど落とさぬまま角を曲がる。するとどうだ——
(か、階段⁉︎)
此処に自分が居る理由を『下層転移』であると結論付けていたボクは、この場所は『最下層』だと思い込んでいた。だから更に下があるだなんて露程にも思っていなかったのに、下に向かう階段がずらりと目の前に並ぶ。だけどもうこの勢いでは止まる事なんか不可能だ。
(——落ちる!)
懸念通りボクの体はふわりと宙に浮き、次の瞬間には真っ逆さまに落ちていった。受け身なんかどうやって取ればいいのかわからない。落ちれば死ぬ高さだけど、死を覚悟する隙すら無い。だけど落下死ならボスに惨殺されるよりかはマシかもしれない。そんな考えが頭にちょっとよぎった時には、ボクの体が落下の衝撃を喰らう前に、ぽよんっとした柔らかなモノに何故か包まれていた。
「…… ス、スライム?」
上体を起こして落下地点を確認する。するとなんともまぁ見事なまでに透明で巨大なスライムがゆらゆらと揺れていた。この暗さでは上階からでは絶対に目視できないくらいの見事な透明度である。
(た、助かったぁぁぁ!)
落下死は免れた。後はすぐに此処から離れて近くの部屋の中に、と考えようとしたその時——
「…… 捕まえたぁ」
突如耳元で低い声が聞こえ、真っ黒な腕がボクの首に絡みついてきた。救われたと上気していた気持ちが一気に奈落へと落とされる。全身がざわりと震え、冷たい汗が身体中から吹き出してきた。
「ひっ!」と短い悲鳴をあげるボクの体を“追尾者”がぐるっと回転させる。その途端、追尾者はボクにずいっと顔を近づけてきた。その顔から視線が逸らせない。だけどその理由は、創作物並みの端正な顔立ちのせいじゃない。背後のスライムがボクの背面半分をその身にずぷりと飲み込んでしまっているからだった。
(まさか…… コレが、ボス?)
壮大な気配を撒き散らしながら追って来ていた追尾者は高身長のヒト型で、背には八翼もの黒翼が生えている。彼の周囲には数多の真っ黒な羽根がやたらと散り、蝋燭の薄暗い灯りしかない室内で不覚にもとても綺麗だと思ってしまった。
「あぁ…… やっと認知してもらえた。コレで君は、僕の花嫁さんだぁ」
不可解且つ意味不明な言葉を口にし、何故か瞳孔がハート状態になっている様にしか感じられない追尾者の白い顔が段々近づいてくる。相手の目的が何かわからず頭の中は恐怖でいっぱいだ。食いしばっている口元は恐怖で震え、ボロボロと情けない涙が次々に眦からこぼれ落ちていく。
背後のスライムのせいで逃げられず、顔を逸らす事すらも出来ずにいると、スライムがゆるりと動き、ボクの両脚を開脚させた。そのせいで追跡者が一層ボクに体を寄せて来る。これではまるで敵を自分の近くへと招き入れでもしたみたいじゃないか。
その直後。ごりっと何やら硬い未知の異物がボクの秘所に押し付けられた。同性故にソレがナニかすぐにわかる。
「ぎゃあああああああ!」
咄嗟にあげた悲鳴は、さっきの短い悲鳴とは全然違う意味を帯びたものになっていた。
「おぉぉぉ!」
何とも不可思議な体験だ。なのに此処には共感出来る相手がいない事が残念でならない。
ゲームの初期である様な『ボロボロの服』という程ではないが、いかにも『冒険者の初期装備』だなといったシンプルなデザインが施された布製の服装になった。そして冊子のQ&Aページで読んだ通りに「ステータス、確認」と言うと、スッと半透明の画面が自分の前に現れた。それで確認した所によると、残念ながらこの装備ではこれといったスキルは何も付与されてはおらず、ちょっと動きやすいくらいしか利点が無い。
(つまりは、それっぽくデザインがされているってだけで、ただのジャージみたいなもんなのか)
腰には革製の帯刀ベルトがあり、片手剣が収まっている。多少の魔法効果と剣技を扱うためのスキルが付与されてはいるみたいだが、あくまでも体験版程度の性能っぽかった。
「…… つまりは早々に装備品を探し集めて、さっさと着替えろって事だね」
現在のレベルはもちろん1だ。職業欄は『新参者の冒険者』で、体力も魔力の数値も実にしょぼい。特殊な技能は無いが、何故か特記欄には『妖精の加護』と記載されていた。
「…… な、何でコレが、ここに書いてあるんだ?」
随分前に祖母から聞いただけのものなのに。そもそも本当に加護があるのか、あるとしてもどんな効果なのか自分でもわかっていないから、登録時に記載を要求された用紙には書かなかったのに。
不思議に思い首を傾げたが、わからんものはどうしょうもないので今は受け流す事に決めた。わざわざ記載されているんだ、いずれはちゃんと、その効果がわかるのかもしれない。
長い階段を黙々と降りて行く。革製の靴は案外足にしっくりと馴染んでいるので段数は多いが大丈夫そうだ。
お金に余裕がある人は外にあった店でもう少しまともな装備品を買い揃えてから挑むらしい。低レベル向けなので微弱だが、何かしらのスキルが付与された物を最初から使える分安全性が高くなるからだ。学校などで噂を聞き齧っただけのボクは直接画面を見た訳ではないが、攻略サイトでもまずは買って揃えろとオススメしているそうだ。あとは高レベルの冒険者を雇ってのパワーレベリング。どちらも結局はお金次第なので、残念ながら今のボクには無縁の話である。
階段を一番下まで降りると、目の前が一気に開けた。
「草原だ…… 」
(ダンジョンの中に潜ったはずなのに、この一階層目はまるで外みたいだな)
間違いなく階段で地下に潜ったのに何故か辿り着いた先は一面が草原になっている。上部は全て果ての無い空にしか見えず、実に綺麗な夕暮れ時だ。優しい風まで吹いていて『黄昏』というダンジョン名を冠している理由がすぐにわかった。
「綺麗だなぁ…… 。んな風景、何年振りだろ」
確実にここ一年は見ていない。そのせいか少ししんみりとした気分になったが、すぐにかぶりを振って気持ちを切り替えた。
遠くまでしっかりと見渡せるからこれならボクでも事前に敵を見付けられそうだ。そう思った時、早速小さな兎を発見した。目付きがやたらと鋭いし頭には角があるからあれはまず間違いなく“敵”だろう。
出来るだけ静かに剣を抜き、すっと構える。性能は低くとも付与されているスキルの効果で戦闘経験が皆無のボクでも構だ・け・は、きちんと出来た。
(敵の動きをよく見て、攻撃を避けつつ、すぐに反撃!)
頭の中でのシュミレーションを完璧に済ませ、ごくりと息を呑む。そもそも反射的に想像通り動けるのか?って疑問は敢えて考えないようにした。
「シャアアアアッ!」
痛恨事、敵もこちらに気が付き臨戦体制に入ってしまった。それこそゲームみたいにコマンドを入力して順番に攻撃出来たらいいのだが、残念ながら此処はそこまで親切な場所では無い。ボクですら感じられるくらいの殺気を撒き散らし、直様一角獣の様に角のある兎がこちらに飛び掛かって来た。
(今だ!)
動きは早いが見えない程では無い。ど素人であるボクの動体視力でも何とか捉えられる範囲だし、直線的な動きなので何とか躱せそうだ。これ幸いと、横に一歩ずれる。するとどうだ——
何故かボクの視界が捉える景色が一変した。
黄昏の美しい草原が、貴族が暮らしていた過去でもありそうな、洋風の廃墟としか形容のしようがない建物の中へと移り変わったのだ。
「…… え?」
構えていた剣をゆっくり下ろして恐る恐る周囲を見渡す。外の景色に慣れていた目では蝋燭くらいしか灯りの無い薄暗い室内の全貌が掴めず、冷や汗がじわりと体に滲んだ。
「何処だ?此処…… 」
隙間風の音が聞こえてビクッと肩が跳ねた。と同時に感じる敵の気配。兎なんかの比じゃない、肌に刺さるくらい強烈な気配は戦闘経験がまともに無いボクですら感じ取れるくらいの存在感だ。
(見付かれば、死ぬ!)
反射的にそう痛感し、慌てて逃げ道を探す。幸い少しだけ目が慣れてきた。見た所、どうやら此処は廊下みたいだ。ならばもう迫り来る敵とは反対方向に逃げるしかない。そう決めた瞬間ボクはすぐに走り始めた。ありがたい事に多分敵は一体だけっぽい。まぁ、その一体が大問題なんだけれども。
——今はとにかく走れ、走れ、走れ!
それだけを考え、学校の廊下の比じゃないくらい長い廊下をひたすら走る。何処かに部屋でもあればいいのに、この廊下にはひたすらボロボロな窓しかない。窓とセットになっている分厚いカーテンなんかも酷い有様で、段々とゾンビゲームの世界の中を走っている様な気分になってくる。
雑な呼吸を繰り返しているからなのか、そもそも此処の空気が悪いのか。喉に違和感が出始めてきた。支給品である革製の靴の中では靴擦れが起き始めていて、ひりっと痛みが走る。ずっと走り続けているせいか汗もひどく布製の服でも吸いきれずにべしょりとしてきて気持ちが悪い。でも止まるわけにはいかない。『応戦出来ないか?』だなんて無謀な考えが一瞬頭に浮かんだが、既に何処かで装備品一式を丸々落としてしまったみたいで鞄も剣も何処にも無かった。無心で走っていたせいで何処まで戻れば回収出来るのかも想像出来ない。助けも期待出来ない自分では、このまま走るしかないのが悔しい。
(…… でもオカシイ、どうしてこうなった?)
草原に居たのは間違い無い。なのに一瞬で洋館みたいな場所に飛ばされたこの状況に、必死に答えを求める。
(コレってまさか…… “下層転移”?)
ダンジョン内でたまに起きる現象名が頭に浮かんだ。『下層転移』は天文学的確率で起きる天災の様な現象で、行き先は決まって『最下層のボスエリア』らしい。いきなり何の準備も無く叩き落とされるせいで冒険者達は皆、瞬殺されて一階層目へ戻される。どの階層でも起こり得るが、だからって滅多に起きる事でもないっていうのに。
(なのに何で、よりにもよって、今日初めてダンジョンに挑んだボクがこんな目に遭わないといけないんだ!しかも入って五分もしないで、まだ敵の一体も倒せていなかったのに!)
「はぁはぁはぁはぁ」
走る速度が段々落ちてきた気がする。涙と鼻水で汚くなっている顔を腕で拭ったが、布に染み込んだ汗のせいで余計に酷くなった。『いっそ諦めて殺されておいて、元の階層に戻るか?』と考えたが、『死』というものへの恐怖が大き過ぎてボクはすぐにその考えを廃棄した。
(無理!嫌だ!まだ怖いっ!)
冒険者である事を選択した時点で、正直な話『死』を避ける事は不可能だ。だけど未経験なせいか余計に『死』への恐怖は言葉にならぬ程のものがあり、スタート地点に戻る為だけに選べるものでは到底無かった。
体力の無い体で少しふらつきながらも走り続けていると、廊下の突き当たりが目に入った。『此処まで来て、行き止まりか⁉︎』と一瞬不安になったが、どうやら右側に曲がれるみたいだ。
後方から迫る気配はずっとボクを一定の速度で追い続けている。今ならまだ距離的な余裕はある。このまま角を曲がり、敵からの死角に居る間にどうにかして部屋を探して其処に飛び込もう。息を殺して潜み、追っ手が諦めるまで待つんだ。
そう決意し、勢いをほとんど落とさぬまま角を曲がる。するとどうだ——
(か、階段⁉︎)
此処に自分が居る理由を『下層転移』であると結論付けていたボクは、この場所は『最下層』だと思い込んでいた。だから更に下があるだなんて露程にも思っていなかったのに、下に向かう階段がずらりと目の前に並ぶ。だけどもうこの勢いでは止まる事なんか不可能だ。
(——落ちる!)
懸念通りボクの体はふわりと宙に浮き、次の瞬間には真っ逆さまに落ちていった。受け身なんかどうやって取ればいいのかわからない。落ちれば死ぬ高さだけど、死を覚悟する隙すら無い。だけど落下死ならボスに惨殺されるよりかはマシかもしれない。そんな考えが頭にちょっとよぎった時には、ボクの体が落下の衝撃を喰らう前に、ぽよんっとした柔らかなモノに何故か包まれていた。
「…… ス、スライム?」
上体を起こして落下地点を確認する。するとなんともまぁ見事なまでに透明で巨大なスライムがゆらゆらと揺れていた。この暗さでは上階からでは絶対に目視できないくらいの見事な透明度である。
(た、助かったぁぁぁ!)
落下死は免れた。後はすぐに此処から離れて近くの部屋の中に、と考えようとしたその時——
「…… 捕まえたぁ」
突如耳元で低い声が聞こえ、真っ黒な腕がボクの首に絡みついてきた。救われたと上気していた気持ちが一気に奈落へと落とされる。全身がざわりと震え、冷たい汗が身体中から吹き出してきた。
「ひっ!」と短い悲鳴をあげるボクの体を“追尾者”がぐるっと回転させる。その途端、追尾者はボクにずいっと顔を近づけてきた。その顔から視線が逸らせない。だけどその理由は、創作物並みの端正な顔立ちのせいじゃない。背後のスライムがボクの背面半分をその身にずぷりと飲み込んでしまっているからだった。
(まさか…… コレが、ボス?)
壮大な気配を撒き散らしながら追って来ていた追尾者は高身長のヒト型で、背には八翼もの黒翼が生えている。彼の周囲には数多の真っ黒な羽根がやたらと散り、蝋燭の薄暗い灯りしかない室内で不覚にもとても綺麗だと思ってしまった。
「あぁ…… やっと認知してもらえた。コレで君は、僕の花嫁さんだぁ」
不可解且つ意味不明な言葉を口にし、何故か瞳孔がハート状態になっている様にしか感じられない追尾者の白い顔が段々近づいてくる。相手の目的が何かわからず頭の中は恐怖でいっぱいだ。食いしばっている口元は恐怖で震え、ボロボロと情けない涙が次々に眦からこぼれ落ちていく。
背後のスライムのせいで逃げられず、顔を逸らす事すらも出来ずにいると、スライムがゆるりと動き、ボクの両脚を開脚させた。そのせいで追跡者が一層ボクに体を寄せて来る。これではまるで敵を自分の近くへと招き入れでもしたみたいじゃないか。
その直後。ごりっと何やら硬い未知の異物がボクの秘所に押し付けられた。同性故にソレがナニかすぐにわかる。
「ぎゃあああああああ!」
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