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第一章

【第ニ話】お礼などいりません!

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「お、お待たせ、いた……しました」
 家に帰り、部屋の床にそっと下ろした瞬間、体力が枯渇し、体からガクンッと力が抜ける。両手で辛うじて上半身を支えながら肩で息をした。頑張り過ぎたみたいで、かなり疲労感がすごい。
「いたって普通で狭いけど、悪くない部屋ね。人柄が出ているわ」
 なんとも微妙な褒め言葉を貰い、一応「ありがとうございます」と返事をする。
「私はレェーヴ。貴女名前は?」
 妖怪にしては外国チックなお名前ですねと思いながら、呼吸を整えて名乗った。
九十九柊也つくもとうやです」
「そう、よろしくねトウヤ。で、食事はまだなの?」
 助けて欲しい側とは思えない態度に、少しだけ文句を言いたくなった。でも堪える。無理です、とてもじゃないが不可思議過ぎる相手にそんな事は言えません。
「はい、只今」
 頷き、立ち上がる。実家の私室によくわからない生き物を放置するのは不安だが、暴れるような気力もなさそうなので、僕は一階へと降りて行った。


 ごく平凡な住宅街の一角にある、平均的なサイズの一軒家に僕は家族と住んでいる。庭は畳三畳分程度しか無くて花壇っぽいものが細長く設えてある。たいした特徴の無い、可もなく不可もなくな建売住宅だ。
 僕の部屋は二階にあり、隣は受験生様である弟の部屋なので騒ぐ訳にはいかない。早く戻ってあの偉そうなお狐様に食事をあげないと。怪しいモノを拾ってきた……違うな、拾わされたと弟に知られる訳にはいかない。奴は今とっても神経質なのだから。
 冷蔵庫から僕の為に母が用意してくれていたご飯を取り出し、電子レンジで温める。待っている間にSNSのチェックを済ませておいたが、広告の通知以外特にこれといって何も着てはいなかった。
 仕上がりの合図となる音楽が鳴り、中身をレンジから取り出す。ホカホカになった焼き魚と温野菜のサラダ、ご飯がのったオシャレ感のないランチプレートと割り箸、紙皿を手に持って二階へ急いで戻った。


 そっとドアを開けて中へ入る。六畳ある部屋の真ん中に置いてある小さなテーブルに持ってきた物を全て置くと、僕は床に敷いてあるラグマットの上に座り、レェーヴと名乗った妖怪(仮)と向き合った。
「こんな物しか無いんですが食べられます?」
 様子を伺いながら、そっと料理を差し出す。僕も空腹なので出来たら半分くらいは残して欲しいところなのだが、言ってもいいものなのか迷った。
「問題無いわ。私は旅が好きだから、現地のものは何でも食べるようにしているの」
 偉いでしょう?と言いたげな空気をまとい、口元に笑みを浮かべたような顔をされビックリした。狐にしか見えないのに、表情がわかるとは思っていなかった。流石妖怪(仮)、しかも旅好きだとは更に驚きだ。
 割り箸を用意し、紙皿へと料理を取り分けようとしたのだが、先にレェーヴがプレートの中へ口を突っ込んでしまった。正体不明の焼き魚を骨ごと食べ、温野菜のサラダは一口で平らげていく。野性味溢れる姿の中に、不思議とお上品さもあって不思議な気分になった。
 うわぁ……僕の晩御飯が。
 匂いに刺激され、空腹のお腹が文句を言う。部屋の壁にある時計をチラッと見ると、最後に食事をしてからもう十二時間が経過していた。学校の講習が終わる時間が遅くなり、アルバイトまでの隙間時間に食事を出来なかった事への怒りを、何処かにぶつけてしまいたくなる。
「美味しかったわ、ありがとう。見た目は家と同じで質素だけど、味は良いわね」
 満足気に微笑むレェーヴに対し、苦笑いしか出来ない。僕のご飯を根こそぎ平らげたのだ。もっと褒めて欲しかった。
「母に伝えておきますねー」
 視線を遠くにやり、棒読みで返事をするのが精一杯だ。
「さて、お礼をしないといけないわね。送り出してもらえたのを良い事に好き勝手過ごしてきたけど、そろそろいい加減仕事しないとだし」
「結構です!」
 即座に、考える間もなく断った。
 偉いぞ僕!だってこういう時はロクな事が起きないというのが鉄板だ。どこの物語を見てもそうなのだ、自分だってそうに決まっている。手始めに晩御飯を失った、もう既に悲劇は始まっているのだがら加算などしたくない。
 僕の返答に対し、レェーヴが何故かしら?と言いたげに首を傾げた。
「私はね、旅をしている最中なの。探し者をする旅よ。私達の世界を救う為の大事な旅なのよ」
 訊いてもいないのに、レェーヴが誇らし気に説明を始める。
 きちんと聞かないと噛みつかれそうなので、正座になり大人しく続きを聞くことにしたが、内心は今すぐ自転車でコンビニへと行きたい気持ちでいっぱいだ。
「でもね、ただ普通に探し者だけをしていても『いない、いない!』と焦るばかりで良いことが無いから、のんびり探していたのよ。遊び心を持たせて、ルールなんかまで設けながらね。例えば、その世界の生き物の姿をする。切迫した状況でない限り、この姿では現地の主力生物の言葉を使わない。もし、親切な生物に会い、助けてもらうような事があったなら絶対にお礼をする——とかね」
「でも今メチャクチャ喋ってますよね?」
「えぇそうよ。そうしてしまうくらい切迫していたの。この国は自前で食料を調達するのが困難で、常に空腹だったんですもの!何故誰も私にご飯をくれないの?こんなに愛らしい姿をしたのに、近寄っても来ないし」
 項垂れ、額を手で押さえる仕草が人間ぽい。
「狐は病気を持っているかもしれないので、触っちゃいけないってのはこの辺では常識ですから」
「病気⁈失礼な!私は病気などにはなっていないわ‼︎」
「見ただけじゃ妖怪か本物の狐かもわかりませんし……そりゃもう見事な擬態っぷりですから」
「妖怪でも無いわ!……待って、妖怪って本当にいるの?いるならあちらに是非とも送り込みたいわ……延滞を挽回出来るかもしれないもの。どこにいるの⁈」
 黒く美しい瞳をキラキラさせながら問い詰められた。知る訳が無い事を、肉球プニプニのおててで首根っこを掴まれて問われても、教えられない。
 頭をゆすられ、ガクンガクンと揺らされながら「知りませんって!貴女がそうだと思ってましたしっ!ってか、静かにしないと弟に殺されます!」と声のボリュームを抑えながら必死に訴えた。
「弟さん?暗殺者か何かなの?殺すだなんて物騒な世界ね、平和そうなのに、まさか家庭内に悪意があるなんて……」
 ピタッと揺らすのを止めて手を離してくれる。興奮しやすい方だが、話は通じるみたいだ。
「いえ、ただの受験生です。でも、触らぬ神に祟りなしですから、静かにしてあげたいのです」
「成る程、何となくだけどわかったわ。防音の魔法をかけてあげましょう」
 コクッと頷き、レェーヴの体が光りだす。淡い光の粒が溢れたと思ったら、僕の部屋の壁へとそれらが消えていった。
「わぁ、綺麗だ……」
 突然の事に、感嘆の息を吐く。
 でもすぐ現実に引き戻された。何か凄い事が起きた気がするし、ありえない単語も聞こえたように思ったが、無かった事にしたい。理解を超えたヤバイモノを拾った事だけは確かみたいだ。
「さぁ、これで大声で話そうが叫ぼうが平気よ。で、妖怪はどこにいるの⁈」
 またそこに戻ったのか!
「知りません!少なくとも、僕の周囲には居ません!」
「……そうなの?でも、探したら何処かにいるのかしら?」
 ガッカリ顔で訊かれても答えようがない。
 妖怪が居たら面白いな、でもちょっと怖いなとは思うが、それだけだ。探し方のアドバイスすらも出来ず、返答に困った。
「チッ……。自力でどうにかするしか無いみたいね。わかったわ、ありがとう」
 何も言っていないのに諦めてくれたのはありがたいと思ったが、心を見透かされたみたいで少し気持ちが悪かった。
「さてと、一食のお礼をしないと。幸いにも貴方はみたいだし、もういっそコレで決めちゃおうかしら」
 んーと唸りながら首を傾げる。仕草は可愛いのだが、断る気満々の身としては、あんまり真面目に悩まれると申し訳なくなってくる。
「いや、いりませんよ?困った時はお互い様でしょう?もしどうしてもと言うのなら、今度はちょっと旅のルールを変更して、ご飯は食べなくてもよくするとか」
「それは良いわね。でも、一番の解決策はのよねぇ」
「……仕事?」
「ええそう。“世界を救う者を探す”っていう、大事なお仕事よ」
 また聞きたく無い単語が聞こえた気がする。見た目が動物の存在と話している時点で、もう諦めて聞き入れないといけないのだろうか。

「……よし、決めたわ」

 ニヤッと笑うレェーヴの狐顔に、嫌な予感しかしない。妖怪では無かったみたいだが、この存在はもっとタチが悪い代物かもと不安がだんだん大きくなってきた。
「お礼をするわ!物語みたいな世界を貴方に贈るわね、。貴方では最適解では無いけれど、もう選り好みしていたら全然お仕事が終わらないし!あとは向こうがどうにかする事を願いましょう」
 レェーヴがそう言うなり、僕の座るラグマットの上に光で描かれた魔法陣っぽいモノが姿を表した。虹色に光る様はとても綺麗で、陣の奥底から鈴の様な音域で呪文みたいな音が聴こえる。自分の真下に現れたモノじゃ無いのなら見惚れてしまうくらいの美しさだが、今は底なし沼にでも嵌ったような気持ちにしかなれなかった。
 発光が段々と強くなっていき、目を開けていられない。

「ま、待って!やめて!お礼なんか要らないって、言って——」

 時間も構わず大声で叫ぶ。あわよくば弟に助けてもらいたい所だったが、防音がどうこう言っていた事を思い出し、絶望感が襲った。
「こちらの事は任せてね、全て上手くやるわ。大丈夫よ、私はこれでも上位召喚獣の一匹なんですから」
 とんでもない事をぬかすレェーヴの姿が、緩やかに僕と瓜二つの者へと変わっていく。
 こんな事はお礼でも何でもない、ただの人生の乗っ取りだ!助けてあげてこれとは、あまりに酷過ぎる。ロクな事が起きない気がしてはいたが、ここまでとは……いや、死なないだけマシなのか?待て、安心は出来ない。『物語みたいな世界を贈る』と言ったのは騙す為の嘘で、このあと魔法陣の中で存在が消えて無くなるとかも、ありえるかもしれないのだから。

「ふざけんなぁぁぁぁぁ!」

 自分の姿をしたレェーヴに向かい手を伸ばす。胸ぐらを掴んでやりたかったのだが、寸前で掴む事が出来ないまま、僕は真っ白な空間へと引きずりこまれていったのだった。
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