花恋詩

月咲やまな

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【第4話】満月の夜(ユカリ視点)

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 ユカリの病室に二人きり。
 圭吾は椅子に、彼女はベッドの上に座っている。
「明日だよね、退院」
「…… うん」
 コクッと頷いたユカリの顔には、退院の喜びは見て取れない。子共の頃から大っ嫌いな病院から、やっと出る事が出来るのにだ。

 術後に考えていた予想に反し、圭吾はユカリの入院中、毎日時間の許す限り彼女の病室へ遊びに来ていた。屋上や中庭、談話室など、行っても問題の無い場所は全て二人で回り、くだらない話を楽しんだ。たった一週間程度のその時間は、ユカリの中でとても大きなものとなってきていたので、退院を素直に喜べないのは当然の事だった。

「ねぇ、今晩一緒にすごさない?」
「へ?あ、えっと…… 私は別にいいけど、圭吾君の体は平気?というか、看護師さん達にバレたら怒られちゃうよ」
「…… あぁ、そのへんは平気だよ。バレたら…… そうだな、全力で謝る!」
 ちょっと悪戯っ子ぽい笑顔をみせる圭吾に、ユカリは苦笑した。
 病気のせいで何事も達観している感じのある彼だが、こういった瞬間は、あぁ年下の男の子なのだなと実感出来た。

「そだ!ねぇ、喉乾かない?」
「そうだね、ちょっと何か飲みたいかも」
「此処へ来る前にさ、自販機でだけど水買ってきたんだ」と言いながら、圭吾が持ってきた袋の中から一本のペットボトルを取り出し、蓋を開けてユカリに差し出す。
「ありがとう。開けてくれるなんて親切ですこと」
「いえいえ、お嬢様の為ですから」
 なんて冗談めかしに言い、互いの顔を見て、あははっと二人が笑った。
 そのせいで今にも額と額が触れ合ってしまいそうな程に距離が近くなり、否応無しに心臓がドキドキと高鳴ってしまう。そんな気持ちを誤魔化すみたいに、ユカリは彼から受け取ったペットボトルの水を一気に半分近く飲み干した。

「あれ?ねぇ、これって…… 傷跡?」

 ユカリはそう言うと、圭吾の右目の下をそっと指先で触れた。
「よく気が付いたね!?これがある事、あんまり人に指摘された事無いのに」
 圭吾がユカリの指摘に対し、少し驚いた顔をする。
 そして一瞬だけ遠い目をすると、彼はゆっくりと瞬きをした。くだらないと思われようが、不意に思い出した昔話を、不思議と無性に話したい気分になってきた。

「…… あのね、何で急にそんな話すんの?って思うかもだけど、こんな話を聞いてくれる?」

「うん、もちろん。どんな話かな?」
「んとね、俺の曽祖父には昔、身分違いの幼馴染がいたんだ」
「…… ひいおじいちゃんに?」
 突然出てきた曽祖父の話題にユカリはきょとんとした顔をしたが、すぐに「それで?」と圭吾の話の続きを求めた。
『何で急に?意味わかんないし』と、ユカリに一蹴されなかった事がすごく嬉しい。圭吾はその事に対して満足気に微笑むと、窓の外に浮かぶ大きな満月を見上げ、話しを続けた。

「向こうは良家のお嬢様。曽祖父は中流家庭の生まれで、学校が同じにでもならなければ、絶対に会う事なんか出来ない家庭環境だったらしいよ」
「今以上に身分の縛りが強かったんだろうね、昔って」
 他人事では無い話に、ユカリの心が少し痛んだ。
 彼女の家も母が言うにはそれなりに良家の血筋らしく、やたらと無駄に家柄を誇っている者が親戚には多い。今は一般家庭と同等レベルの生活をしている者のみなのに、そういった気位だけが高い時代遅れの考え方にうんざりしていた。
「お互いに言葉には出さなかったけど、両思いだったらしいよ。彼女の為なら死んでもいい…… そう思う程に、曽祖父は真剣に彼女を愛していたらしい」

 圭吾の発した『死んでもいい』という言葉が、ユカリの胸に深く刺さる。
 いつ何があってもおかしくない彼から、聞きたい言葉では無かった。

「だけど時代が二人の感情を認める事も、受け入れてくれるはずもなく、離れ離れにされたらしいよ。しかも、かなり強引に…… 」
 圭吾は自身の右目の上にある三日月形の窪みに触れながら、写真でしか見た事の無い曽祖父の顔を、窓の向こうにある満月の中に見て取った。
「引き離された時、彼女を庇って曽祖父は右目の上に傷を負ったらしいんだ。顔だったせいで大量に血が流れて大変だったらしいけど、曽祖父はその場に放置された。そして…… 曽祖父の名前を叫びながら無理矢理連れ去られる彼女を、血に赤く染まる瞳で、痛みで動けずにしゃがみ込みながら…… ただずっと、観ている事しか出来なかったらしい」

 その話を聞き、ユカリは咄嗟に言葉が出なかった。

 話の内容の切なさのせいというよりも、圭吾の表情があまりにも苦しそうだったからだ。曽祖父の話に同調し、完全に、過去の彼の痛みを圭吾が今まさに感じている様に見える。

「…… 辛かった、でしょうね」

 当たり障りに無い、無難な言葉がユカリの口から出る。なんと声をかけるべきなのか全く思い付かない。
「うん、辛かったよ。その場で消えてしまおうかとも思う程に」
 窓から差し込む月明かりの中に見える瞳は失意に満ち、彼の発する言葉は、曽祖父のをしている者のモノでは無くなっていた。

「あの時、どうして追い駆けなかったんだろう?どうしてもっと早く二人で逃げなかったんだろう?そんな事を…… 彼女を失い、彼岸花の咲く道沿いを痛みに耐えながら歩く間中、ずっとずっとずっと、考えていた——」

 圭吾の瞳が見開き、ゆっくりとユカリの方を向いた。
「圭吾…… 君?どうしたの?様子がなんだか…… 」
 ユカリは彼の変化が怖くなってきた。目の前に居る彼が、何故だか圭吾だと思えない。

「え、えっと…… 。だから嫌いなんだね、彼岸花が」

 ユカリの言葉を聞いた途端、キッと圭吾が見えない何かを睨む様な表情になった。
「そうだ!あんな血の様に赤い花なんか、『諦め』や『悲しい思い出』なんかを抱える花なんか、大っ嫌いだ!」
 廊下にまで聞こえなやしないか心配になる声で、彼が叫ぶ。

「でもね、知ってる?他にもね、もっといい意味が彼岸花にはあるの」
 声を抑えて、とでも言うように圭吾の腕を掴み、ユカリが小声で言った。
「…… それなら——」と答えようとした圭吾の言葉を、ユカリは首を振って遮る。

「悲しい花言葉だけじゃないの。気味の悪い絵の題材に使われるばかりの花でもない。もっと圭吾君にも知ってもらいたい言葉が、彼岸花にはあるの」
 そっと圭吾の手を握り、ユカリが言葉を続ける。

「『情熱』『思うはあなた一人』…… この花言葉だったら、圭吾君のお眼鏡にも適うかな?」

 ユカリの言葉を聞き、圭吾は切なげな笑みを浮かべた。
「どんな形でも、ユカリさんの傍に居る事が出来たら、僕は…… 幸せだろうな」
 圭吾の目から涙が零れ、頬を伝い落ちる。
 何かに取り憑かれたかのような雰囲気はもう圭吾の中には無く、ただいつもの、強く生きようとしている、全てを包み込むような優しい瞳に戻っていた。

「…… ねぇ、抱き締めてもいい?ユカリさんが、眠るまでの間だけでいいから」

「あはは…… ちょっとそれは、流石にかなり照れ臭いな。けど…… んー…… 」
 その言葉を最後に、ユカリはゆっくりと意識が遠のいていく。

 まるで何かに、強制的に意識を奪われたみたいに。

 そんな彼女の体を圭吾がギュッと抱き締める。ユカリの耳の辺りに丁度彼の左胸が当たり、聞こえる心音がとても心地いい。

「…… 今までありがとう、ユカリさん」

 その声を最後に、記憶に無い夜がユカリの中に残った。
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