古書店の精霊

月咲やまな

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第三章

【第十話】天神様の花嫁④

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「やっと来たか、我が花嫁よ——」
 そう言って、洞窟の再奥に立っていた男がニタリと笑った。

 暗がりの中に立つ細身で高身長の男は、平安時代の陰陽師の衣装にも似た服に身を包み、足袋などは履かず裸足のままだ。それらは上に着る直衣や中に着る単までもが全て真っ黒で、首の周りには烏の羽根で作ったかの様なファーに似た物を巻いている。腰まである垂髪も全てが黒く、艶やかでとても美しく、宝石のオニキスを連想させる。
 だが彼の姿で一番柊華の目を引いたのは、顔に着けている面だった。額から鼻の辺りまでが黒い烏天狗の様な面に覆われていて、口元しか見えない。面の穴から覗く瞳は右目だけが狐火の様に仄暗く光り、彼が人では無い事を物語っていた。

 柊華が後退り、彼と距離を取ろうとする。
 だが、背後はいつの間か壁になっていて、洞窟の入口が完全に見えない。天井も地面も全てが岩肌だったはずのこの場所も、改めて柊華が周囲を見回した時には寝殿造を連想させる室内へと代わり、床に置かれた紅い行燈が室内を温かに照らしていた。

「待っていたぞ、さぁこちらへ」

 男はそう言うと、柊華の方へ体を向けて、手を差し出してきた。
 服の裾から覗く肌はとても白く、現実味がない。口元は弧を描いているが、面の奥に潜む瞳は全く笑っておらず、むしろ何かに怒りを感じている色を持っている。
 彼の纏う雰囲気に対して言い知れぬ不安を感じ、柊華は壁に背をつけ、その身を強張らせた。声が出ず、返事も出来ない。ただ考えるのは、早くセフィルさんに助けて欲しい——それだけだった。

「なぜ我の手を取らない?…… あぁ、やはり…… あの男のせいか」

 男はそう呟くと、一瞬で柊華との距離を詰め、彼女の顔を包み込む様にドンッと腕をついた。
「…… お雪は私の花嫁になる為に生まれたというに、まさか…… その心は別にあるとでも言う気か?」
 白い綿帽子越しに耳元で囁かれ、柊華の肩がぞくっと震えた。聞き覚えのある声の様に一瞬感じたが、顎を指先でも持ち上げられ、恐怖が上回り、瞼を強く閉じてしまう。

「そうか…… 何も言えぬか」

 地を這う様な声には怒りが充ち満ちていて、室温までもが下がった気がした。ガタガタと身を震わせ、柊華が自身の胸元をギュッと掴み、必死に耐える。
 そんな柊華の姿を見た男がすっと目元を細め、赤い舌先で柊華の頰を舐め始めた。
「ひぅっ!」
 生温かい舌の感触に驚きはしたが、気持ち悪さが不思議と無い。柊華が頭に被る綿帽子の中に手が入ってきて、男が細い指先で柊華の耳に触れたが、その手に体温が無かった。
「…… ?」
 柊華はふと既視感のようなものを感じた。
 熱い舌、体温の無い肌、聞き覚えのある気がする声とが、パズルのように組み合わさり始める。だがしかし、首筋を強く噛まれた事で、それらがすぐにバラバラになってしまった。
「あぁ!」
 痛みを感じ、柊華が彼の服をギュッと掴んだ。白い首筋からは一筋の赤い血が流れ出て、傷ついた肌を男が舐める。ゆっくりと、下から掬う様に舌先を動かし、彼は満足気に微笑んだ。

「やっとお前の声が聴けた。いい声だ…… もっと聴かせておくれ…… なぁ、お雪」

 噛まれた箇所がじわりと痛い。でもその奥で妙な熱を感じ始め、柊華の心が騒ついた。
(嫌な予感がする…… )
 呼吸が乱れ始め、脚が震え、柊華が体を壁に預け始める。

「心はあとからでもついてくるだろうからな、まずはその身から頂こうか」

 柊華が着る白無垢の胸元を無理矢理はだけさせ、男が言う。
 烏天狗の面をした彼の淫猥に歪む口元を見て、柊華の体が歓喜に震える
 でも…… 心は『助けて』と悲鳴をあげたのだった。
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