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しおりを挟む二人は取り止めもない話をしながら図書館に到着した。幸運なことに他に嫌味を言ってくる貴族は現れなかった。
別行動はせずキアランの後をついていく。この広い図書館でいつなんどき危害を加えられるかわからないからだ。用事はすぐに終わると言っていた。雇い主は法務関連の書庫へと向かいニ、三冊迷いなく本を取ったかと思うと、今度はゆっくりとした足取りで違う書庫へ向かった。
「ここは……」
先ほどの書庫よりも幾分色とりどりの表紙と、挿絵らしきものが描かれている本。キアランがタイトルを見ずに手に取ったのは『世界のお菓子』。
「アレックスさん、こう言ったものがお好きなんでしょう?」
「あ、え……」
基本的にアレックスは自身のことをこの文官に話したことはない。特に趣味であるカフェ巡りも。仕事のこと以外は話す必要はないと思っていたからだ。だから知られていないと思ったのに、甘味趣味がバレている。アレックスは頭が真っ白になってまともな言葉を言えなかった。
「なんで知っているのか気になりますか?実は貴方がパフェを食べるのを見かけたことがあるんです。それはもう美味しそうで……思わず貴方が出た後に店に入って同じものを注文してしまいました」
一瞬キアランが自分を護衛として雇う前に身元調査をしたのかと疑ってしまった。けれどこんな人の良さそうな男が試すようなことはしないだろうと思い直す。アレックスの中でキアランは『人の良い貴族らしからぬ男』という認識に変わっていた。
「首都内の美味しいカフェの情報誌もあるのですよ。どうぞゆっくり選んでください」
「ですが……」
微笑んで雑誌を手渡される。その表情に悪意や毒は感じられない。なら、信用するべきか。
アレックスはキアランよりも倍以上の時間をかけて一冊の本を選んだ。カフェの情報が載っている評論誌だ。キアランがまとめて受付の司書に手続きをしてもらい、また一緒に返しに行きましょうねとアレックスに微笑んでくれる。そしてアレックスの耳元で囁くように言葉を発した。
「図書館では貴方の趣味を暴くようなことをして、すみませんでした。貴方のこともっと知りたいんです。好きなこと、嫌いなことなんでも」
「ああ……」
声が耳元に届いてくすぐったい。どうしてこんなに自分に優しくしてくれるのだろう。ただの護衛に過ぎないのに、代わりが見つかれば終わりなのに。初対面でツンとした態度が申し訳なくなってきた。
アレックスは何か詫びとなるものはあるだろうかと歩きながら考えていた。そういえばハンカチ……返していない。ふと、思いだした。
「前に貸してもらったハンカチ、いつ返せばいいですか?」
それとも新しいハンカチがいいだろうか。以前かしてもらったものは一回洗濯をするとごわついてしまっていた。使っている洗剤が違うのだろうか。
「気にしなくていいですよ。どうしてもというのでしたら、貴方のおすすめの店に行きませんか? ちょうど観光誌をかりましたし」
「それくらいなら……」
※※※※※
「ここです。確かプリンが美味しいとかで」
「プリン、いいですね。では僕はこのプリンサンドとコーヒーを頂きましょう。ところで、今日はお休みなのですから敬語は無しで、砕けた言葉を使ってくださいね」
「そうですか?はあ……まあ……」
「……ふふ、難しければいずれまた。ここのカフェのプリンは……」
雇い主は無茶なことを言う。器用じゃない自分にとって日ごとに態度を変えるのは簡単じゃない。それに曖昧に頷いた。
アレックスが雑誌を見て選んだのは生菓子が有名なお店であった。人気の店だからか30分程待っていたが、不快な時間ではなかった。むしろアレックスを楽しませようとキアランが様々な話題を聞くだけでも充実した時間となった。あっという間に自分たちの番になると、オープンテラスの席を案内される。春らしい陽気で時折涼しい風が吹く。心地よい天気だった。
「じゃあ俺はプリンアラモードで」
「決まりましたね」
キアランはそういうと、スマートな手つきでウェイターに注文する。聞き取りやすい声でウェイターにも柔らかな態度。それは人に物を頼むのに慣れている人の所作であった。普段の言葉遣いだけでなくこういったところからも気品は生まれるのだとアレックスは感心した。
程なくして注文の品がやってきた。アレックスが注文したプリンアラモードは硬めのプリンの上にクリームと色とりどりのフルーツ、おまけにバニラアイスが横に添えられていた。キアランのプリンサンドはクリームと細長く切られたプリンが白く柔らかな食パンに挟まっており美味しそうだ。アレックスは細く繊細なスプーンを手に取りプリンを掬う。
「ん、うまいです」
「良かったですね。こちらのも一口いかがですか?」
「いいんですか?……じゃあ遠慮なくもらいます」
「はい」
一口かじると柔らかいパンの食感とプリンの相性が程よく、カラメルが甘ったるくなってしまうところを締めていた。
「ふふ……二人ですと分け合えていいですね。まるでデートみたいです」
満面の笑みでこちらを見つめるキアラン。男二人(しかも一人はむさい男だ)でその言葉が出てくるのが予想外で思わずむせてしまう。デートという発想はなかった。
「ごほっ……口にクリームがついてますよ」
誤魔化すように口の汚れを指摘すると、相手は見当違いの方向を布ナフキンで拭き取る。アレックスはまどろっこしくて手を伸ばした。
「ここですよっ……」
親指で口の端のクリームを拭っているとキアランの唇が開く。指を引っ込める前に舌先が拭ったクリームを絡め取った。ちろりと濡れた感触にくすぐられる。指から電撃が走ったような心地になった。慌てて手を引っ込める。雇い主にフランクすぎる態度だったと今更ながらに思う。
「本当だ……ありがとうございます」
「ああ」
何事もなかったかのように言われたが、アレックスは心臓がバクバクとうるさい音を立てていた。それを誰かの唇に触れるのが久しぶりだから、と理由を勝手につける。
途中キアランがトイレへと中座すると、噂話が耳に入る。内容から自分たちのことを話しているのだとすぐに気がついた。
「ほら、男性やっぱり美しいわ……貴族様かしら」
「どうしてむさ苦しい男なんかと」
それはキアランの立ち振る舞いや容姿に対する賞賛と、アレックスを蔑む言葉だった。キアランと言う美しい男がいるからより自分の容姿が美しさから程遠いのだとわかる。それはキアランが戻ってきても続いていた。
カフェ巡りで言われ慣れているアレックスはまたかと呆れはしたがスルーすることはできた。ただ気になるのはそれを聞いたキアランが不快にならないだろうかということだ。
「お、美味しいですねプリン」
「ふふ、そうですね。……この店はこんなに程度の低いところでしたか。客への悪口が耳に入っても知らないふりとは。見損ないました」
アレックスが聞かせまいとプリンの話題を振ったが無駄だったようだ。にこやかな表情とは裏腹に、飛び出す言葉は冷たい。アレックスを侮辱した奴は絶対に許さないと言う思いを感じる。
その雰囲気を感じ取った客たちも皆一様に黙り込んだ。ようやく不穏な気配を察知した店員はぺこぺこと平謝りしてくる。その店内の雰囲気の悪さにアレックスはこれはさっさと退店した方が良いと会計へと向かおうとしたが、もう済ませてあると言う。さっき退席していたうちに済ませていたらしい。これではエスコートされる側になってしまっている。屈強な男として守られているばかりで申し訳ないのと弱者だと思われているようでモヤモヤしてしまう。自分がお礼をするはずだったのだが。
「ごめんなさい、アレックスさん。不快な思いをさせてしまって」
「いやいや、俺の方こそすみません。一緒にいるせいであんたにも迷惑かけてしまって」
「そんなことは関係ありません。私が一緒にいたいんです。だめですか?」
「いや悪かねぇけど……そういえば、ハンカチのお礼って言ったのにフィンレーさんが結局払ってるじゃないですか!」
「そうでしたか?ではまたアレックスさんに甘味屋巡りを手伝わないといけませんね」
天然みたいに惚けるキアランに呆れる。
帰宅の道筋、アレックスはすっかり貴族であるキアランに心を許していることに気がついた。
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