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Ⅲ.祝福の子
第8話 変化②
しおりを挟む「わー! 綺麗ですね。殿下、女性の恰好もおもしろそうですよ」
セツが好奇心いっぱいの目で、こちらを見つめてくる。
「⋯⋯絶対に着ない」
ぼくの頭の中を、過去の苦い記憶がよみがえる。
幼い頃、妹が欲しかったと言う姉のサリアに、さんざんドレスを着せられた。着せ替えだけでなく、手を繋いで城内をいそいそと連れ歩かれたものだ。当時は可愛い可愛いと周囲に言われて無邪気に笑っていられたが、今思えば、とんでもない。
残念そうなシヴィルの表情が解せない。ぼくなんかより自分が着た方が、絶対に似合うだろう。
悩んだ末に、ぼくは目元を覆う鮮やかな夕日色の仮面と、旅芸人の恰好を選んだ。身軽な恰好が一番いい。
セツとシヴィルは示し合わせたように、他のものをあれこれ勧めてくる。だんだん面倒になって、ユーディト達はどうしているのかと聞いてみた。
「皆様、それぞれお決めになりましたよ」
シヴィルは、にっこり笑った。
「明日をどうぞお楽しみに」
☆★☆
収穫祭が終われば、湖の休日は終わりだ。
シヴィルは、ここが勝負の分かれ目と心得ていた。
「ユーディト様、これが最後の機会です」
「さ、最後?」
「いつまでも、機会があると思ったら大間違いです。好機逸すべからず。女神の慈悲は、湖に吹く風のように変わります。明日こそは、イルマ殿下にお心をしっかりお伝えください」
ユーディトは唇を噛みしめ、強く頷いた。
──ここまで来たのだ。今度こそ、長く秘めた気持ちをはっきりと伝えよう。例え、どんな結果になろうとも。
部屋の窓からは、大きな月が穏やかな光を投げかけていた。
★☆★
コンコン、と扉を叩く。
ぼくが自分から彼の部屋を訪問することは、滅多にない。
ぼくの行動はいつだって相手に筒抜けで、気が付いたら側についていてくれるから。
そんなぼくにも、彼の行動ではっきりわかっていることがある。
守護騎士は、どんな時も、主が寝た後でなければ眠らない。
「はい」
低い声がして、扉が開く。
部屋着に上掛けを羽織ったサフィードは、いつもとは違って見えた。
元々ぼくより年上だけれど、前髪を下ろした端正な顔は、見知らぬ男のようだった。
「サフィー、こんな時間にごめんね」
「殿下!? どうなさいました?」
「ちょっと、話があって。今、少しだけ話してもいい?」
「廊下は冷えます。お風邪でも召されたら大変です。よかったら、中へ」
サフィードの部屋は、きれいに片付いていた。騎士の部屋の中にあるものは、必要最低限の物だけだ。
手入れをされたばかりの剣が、ベッドの脇に置かれている。
「こんな格好で失礼を。ただ今、着替えてまいります」
「ああ、すぐ済むから、そのままでいいよ」
サフィードは、困ったような顔をする。
「明日の祭りのことなんだ。ユーディトと一緒に行く約束をしているんだけど。たぶん、シェンバー王子も行くだろう。サフィー、その時に、一緒に釣りをした子どもたちのところに行きたいんだ」
子どもたちが、ぼくとした話を覚えているのかはわからない。でも、行くと言ったのだから、約束は守りたかった。
「わかりました。殿下とご一緒に参ります」
「ありがとう! ⋯⋯あ、でも、明日は無礼講なんだった!! サフィーに一緒に居たい人がいたら、ぼくのことはいいから」
自分が思い至らなかったことが恥ずかしい。サフィードに、いつでも休みをとっていいなんて言っているくせに。
「もし、もしもだけど。祭りで気に入った人ができたら、こっそり出かけてもいいんだ。ユーディト達には、うまく言っておくから。⋯⋯ぼくには、言いにくいかもしれないけれど」
「何を仰るのですか。⋯⋯そんな者が、いるはずがありません」
ぼくとサフィードの間に、妙な沈黙が落ちた。
サフィードがゆっくりと言葉を吐きだす。
「明日、子どもたちのところに、ご一緒に参りましょう」
優しく微笑まれて、黙って頷く。
「⋯⋯サフィーは、ぼくと一緒にいたら嬉しいのかな」
ぼくは、何を言っているのだろう。
サフィードを守護騎士に選んだのは自分だったはずだ。誓いで縛っておきながら、耳に快い答えを聞こうとしている。
「殿下が13にお成りの時からずっと、私は幸せな時間をいただいています」
「⋯⋯うん」
何だか涙が出そうになって、顔があげられなかった。
サフィードの手が、ぼくの髪に触れた。大きな手でそっと撫でられて、子どもの頃を思い出す。
ぼくが言いたいことを上手く言えなかったり、困って黙り込んだりした時。
サフィードは、いつも静かに頭を撫でてくれた。大きな手の温もりに安心して、いつの間にか心が軽くなったことを思い出す。
部屋まで送ると言い出したサフィードを止めて、ぼくは一人、冷えた廊下に出た。
「おやすみ、サフィー」
「殿下、どうぞゆっくりお休みください」
階段を上がるぼくの姿が見えなくなり、小さく上の階の扉が閉まる音が聞こえるまで、騎士は見送っていた。
⋯⋯ずっと一緒にいたいのは、貴方だけです。
かすかな呟きは、ぼくの耳には届かず、しんとした夜の闇に紛れて消えていった。
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