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Ⅳ.道行き
第19話 明日③
しおりを挟む王子の声に、苛立つ響きが混じる。
時々、こんなことがある。何を間違えたのかはよくわからないが、嫌な思いをさせている。
ぼくは泣きたくなった。
いつのまにか、セツとレイ、サフィードは続き部屋に控えている。
二人だけなのが、気まずさに拍車をかける。
「⋯⋯ごめんなさい」
うつむけば、涙がこぼれた。
王子が、ぼくの様子が変わったのに気づく。
「どうも、貴方の前だと調子が狂う。泣かせたいわけではないのに。⋯⋯心がなくても、笑いかければ彼らは喜ぶ。貴方と一緒の時と比べられるわけもない。いつだって、貴方の言葉を一言も聞き漏らすまいとしているのに」
王子は静かに言った。
「人は、我が儘なものですね。自分の行動に後悔なんてしていない。それなのに⋯⋯」
ぼくは顔を上げて、王子を見た。
美しい顔が、切なげにぼくを見返す。
王子は、ぼくに向かって腕を伸ばす。確かめるように、指が頬の輪郭をたどる。
「貴方に出会わなければよかったと思います」
「王子?」
「黄金の瞳なんて、求めなければよかった」
「⋯⋯」
「本当に、いらないのですよ。⋯⋯この目が見えないことを、後悔する心なんて」
ぼくの頬を、王子の手が優しく撫でた。
「私はね、殿下。女神に一つだけ、願いがあるのです」
「もう一度だけでいい。あなたの笑った顔が見たい」
「⋯⋯どうして?」
「貴方と過ごして、以前より正直になったからでしょうか」
王子の口許に微笑みが浮かぶ。
「楽しそうに話す声を聞いていると、つい我が儘を言いたくなるのです」
両手を伸ばすと、黄金の髪が手に触れる。
さらさらとした髪を昔、馬のたてがみと間違えたことがあった。
王子の頬を両手で包んで、思いきり顔を近づける。
例えぼくの姿が真に映ることはなくても、銀色の瞳はぼくの姿を捉えている。
少し乾いた唇に、自ら唇を重ねた。
「殿下⋯⋯」
シェンバー王子は、呆然とした表情でぼくを見る。
「イルマだ」
ぼくは、王子に言った。
「名前で呼んで」
「⋯⋯イルマ」
「うん」
涙が、またひとつ零れる。
「⋯⋯王子が、他の人に笑いかけるのは嫌だ」
「では、貴方の前でだけ笑いましょう」
「うん」
「私も、貴方の騎士と間違えられるのは嬉しくないのですが」
「⋯⋯頑張ってみる」
小さな笑い声がする。
「⋯⋯私のことはシェンとお呼びください」
聞いたこともないほど、優しい声が耳元で囁く。
「シェン」
「はい」
「ぼくは、シェンが好きだ」
王子がぼくの体を、恐る恐る抱きしめた。
「私が、自分から欲しいと思ったのは、イルマだけです」
蕩けるような微笑みを、ぼくは瞳に焼きつける。
祝福の子たちは、みんな、夢見てきた。
未来のない者でも、誰かを好きになることを。
「明日」を、愛する者と約束することを。
「この先も、一緒にいて」
「ええ、ずっと一緒にいますよ。⋯⋯約束します」
シェンは、ぼくの黄金の瞳に優しく口づけた。
幼い頃、乳母に聞いた。
ねえ、ルチア。
ぼくが祝福の子だから、皆がぼくのことを好きなの?
ぼくが祝福の子じゃなかったら、誰も今みたいに好きでいてくれないのかな?
イルマ様。
人は誰でも、自分に良いものが好きなのです。
でもね、決してそれだけではないのですよ。
祝福の子だから、イルマ様を好きな方もいるでしょう。
祝福の子じゃなくても、イルマ様を好きな方もいます。
貴方様ご自身を、ただ愛する方がたくさんおりますよ。
ねえ、ルチア。
ルチアはぼくが祝福の子じゃなくてもいい?
ええ、イルマ様。
イルマ様がお幸せに生きてくだされば、それが私の祝福です。
乳母の顔は、とても優しかった。
それは今思えば、女神の像によく似ていた。
ぼくが、ただぼくのままで。
幸せに生きてくれればいいと言った。
あの言葉がずっと、ぼくの支えだった。
ルチア、ぼくは彼と生きていく。
──ようやく「明日」を見つけたよ。
【本編 了】
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