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第二部 眼病の泉
第23話 言祝(ことほぎ)①
しおりを挟むシェンは後ろからぼくを抱きこんで、ぴったりと体を寄せた。
ぞっとするほど低い声が響く。
「ねえ、イルマ。『妻』って、どういうこと?」
思わず口を押さえた。
今、絶対に余計なことを言ったんだと思う。
ちらりと目を走らせたら、恋人は冷気を纏わりつかせている。
美人が怒ると怖いって聞いたけど、男でも女でも同じだ。
「セ、セリムの冗談だと思う!!」
「⋯⋯砂漠の男はね、軽々しい冗談は言わないんだよ」
珍しく苛々した口調で言うシェンに、ぼくはごくりと唾を飲みこんだ。
「瞳の色を見て言われただけだよ。ほら、幸運の象徴だっけ?」
「⋯⋯他にも何か言われてない?」
「ほかに?」
ふと、神殿でセリムがぼくの手を取って囁いた言葉が頭に浮かぶ。
「たしか⋯⋯“貴方のいるところに、我らは共にある”」
「──衷心の誓いだ」
その瞬間、冷気が吹雪になった。
「イルマ、こっちを見て」
くるりと体の向きを変えられた。
膝を揃えて座り込んだまま、シェンに向き合う形になる。
シェンが眉を顰めながら、ゆっくりとぼくに話しかける。まるで子どもに言い聞かせるようだ。
「イルマは時々、無防備すぎる。本当はクァランに来てほしくなかったんだ。ここはイルマには危険な場所だから、ずっと心配だった」
砂漠の民は、自分が心を捧げた者にのみ大事な言葉を告げる。セリムが言ったのは、彼らが敬愛する太陽の神に捧げる言葉だった。
「衷心の誓いを告げるのは、愛の告白と一緒だよ」
シェンは不機嫌な顔で言った。
じわじわと涙が出そうになるのを必死でこらえた。
砂漠の民の誓いも、砂漠に来る危険も、知らないことばかりだ。シェンにはたくさん心配をかけた。だけど⋯⋯、例え危険が分かっていたとしても、離宮でじっと待つことはできなかったと思う。
すらりと長い腕が伸びてきて、シェンは、ぼくをぎゅっと抱きしめた。
「⋯⋯ザユラの子になんか、渡さない」
体をすっぽりと包まれながら、どきんと胸が鳴った。流れる髪がさらさらと頬を撫でる。
シェンが一つ、大きくため息をついた。
「イルマは悪くないってわかってる。勝手に心配して我が儘を言ってるのは、私なんだ。⋯⋯結婚の言葉、嬉しかったのに」
「嬉しいって。シェンは、ぼくの言葉に怒ってないの?」
「怒る? どうして? ⋯⋯まさか、イルマは私以外を結婚相手に考えたのか?」
「なんで?」
思わずシェンに向かって叫んだ。
「ぼくはシェンの目になるって言ったんだよ! なんで他の人と結婚するの? シェンとしか結婚しないよ!!」
シェンの瞳が大きく見開かれたかと思うと、ぱちぱちと瞬いた。長いまつ毛が上下して、青い瞳の中で何かが揺れる。シェンは瞼を一度ぎゅっと閉じて、息を吐いた。
そして、見たこともないほど優しい微笑を浮かべた。
「すごく熱烈な愛の告白をされたような気がする」
⋯⋯もしかして、ぼくは今、ものすごいことを言ったんじゃないだろうか。
顔が、どんどん熱くなる。今度こそ膝を抱えてうずくまった。
「イルマ。ねえ、イルマ。顔を見せて」
「⋯⋯無理です」
とてもじゃないけど、顔なんか上げられるわけがない。
シェンの手がぼくの髪を何度も優しく撫でる。辛抱強く囁きかけてくれる。
「イルマの言葉がとても嬉しい。本当は、ずっと言いたかったんだ」
「⋯⋯何を?」
「顔を見せてくれたら、教える」
少し悩んだけれど、そっと目だけ上げてみる。柔らかな微笑みが飛び込んできた。
目と目が合って、額に優しい口づけが降ってくる。シェンの大きな手が、ぼくの両頬を包みこんだ。
「フィスタの至宝。イルマ殿下」
「それ言われるの、たぶん3度目だと思うんだけど。ぼくは、そんなすごいものじゃないから」
「私には、ずっと昔から二つとない宝だよ」
シェンが笑いながら、鼻をこつんとぶつけてくる。
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