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第三部 父と子

第31話 宴のあと②

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「ぼくはルーウィック殿下と手を繋いで目を閉じた。体が重くなったと思った時には、サフィードの声が聞こえていた」

 イルマが再び目を開けた時には、心配そうに自分を見つめるサフィードと黒に金の紋章を付けた騎士たちの姿が見えた。
 見覚えのない部屋の寝台に横になっている。左手を上げれば、自分の指にあった輝きが消えていた。

「申し訳ありません。殿下の指輪はシュタイン侯爵が奪っていきました」
 沈痛な表情でサフィードが告げた。
「シュタイン侯爵?」
「守護騎士殿は侯爵を止めようとなさいましたが、私どもがそれをお止め致しました」
 傍らにいた騎士の一人が言う。騎士たちが、ヘルムート・シュタインについて教えてくれた。そして、自分たちはシェンバー殿下の命を受けて内密に動いている者だと。
「侯爵は指輪を脅迫に使うおつもりです。シェンバー殿下なら指輪をご覧になれば、こちらの状況がおわかりになります」

「⋯⋯そうか。ぼく、これから舞踏会に行かなきゃならないんだ。ここはどこ?」
「イルマ殿下? まだ薬が御体に残っておられるのではありませんか?」
「確かに重いしだるいけど、そうも言ってられないんだよ」
「ここは城下のシュタイン侯爵の屋敷です。王宮にお戻りになるには、多少時間がかかります」

 窓の外は、既に日が落ちている。王弟の声がイルマの頭の中に響いた。


「すぐに、ここから案内あないせよ」

 自分の口から出た声なのに、まるで自分のものではないようだ。

 イルマは自分の意識が急速におぼろげになるのを感じた。体は馬車に乗り王宮に向かうが、どこか高みからそれを眺めている。王弟と共にいた庭のことを思い出したり、セツのことを考えたりもした。
 それからシェンバーの腕の中ではっきりと意識が戻るまでは、ふわふわと夢の中を漂っているような心地でいた。


「不思議な話なんだけど、王弟殿下に会った時も体を貸していた時も、時間の流れがおかしいんだ。まるで女神の元にいた時のように、時が過ぎるのが曖昧で、ひどくゆっくり進む」

 イルマの蜂蜜色の瞳がどこか遠くを見つめ、虚ろに揺らめいている。
 シェンバーは、形のいい眉を顰めた。
 この瞳を見たことがあると思った。そうだ、ただ一度、白銀の道を通って女神の元に行った時に⋯⋯。
 一年ぶりに会ったイルマは全身が光り輝き、己の意志が欠けた瞳をしていた。

 シェンバーはイルマの左手をとって、そっと甲に口づける。
「⋯⋯イルマ。戻ってこられて、無事でよかった」
 イルマは、はっとしてシェンバーの額に自分の額をつけた。
「ごめんね。心配かけて」
「イルマのせいじゃない。ただ、怖かった」

「怖い?」
「これまで、自分の命が危ないことは何度もあった。でも、それとは全然違う。今回イルマが襲われて、いなくなるのは恐怖だと思った」
「シェン⋯⋯」

 シェンバーの瞳には痛みが、声には後悔が滲んでいた。

「南の離宮にずっといればよかった。そうすればイルマを危険な目に遭わせることもなく、二人で静かに暮らせる」
「⋯⋯でも、それじゃ騎士団を変えることも、ルーウィック殿下の想いを果たすこともできないよ。陛下の御心だって、ずっと過去に囚われたままだ」

 シェンバーを見る黄金の瞳は、真っ直ぐに心を投げてくる。

「南の離宮は大好きだよ。だけど、ここにはシェンにしかできないことがあるんだ。騎士たちは、ずっとシェンを待ってた」
 シュタイン侯爵の元にいた騎士たちと、イルマはわずかに言葉を交わした。彼らの中には武の王子への強い信頼と期待があった。

「ぼくには女神の祝福がある。これからも何かあるかもしれないけど、きっと何とかなるよ、シェン」

 シェンバーは、胸の中に沸き起こる想いを口にすることが出来なかった。ただ黙って、自分よりずっと小柄な体を抱きしめた。
 腕の中の温もりが、いつだって前に進む力をくれる。
 遠い昔、自分が闇の中で握りしめた手と同じ、希望に満ちた温かさだった。
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