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第三部 父と子

第36話 愛を①

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 イルマとシェンバーは、本宮殿の庭園でお茶を飲んでいた。
 うららかな陽射しの中、木陰では今日の日の為の茶が用意され、空気中に芳しい香りを漂わせている。

 目の前に差し出された一杯のお茶に、イルマは興奮していた。口に含んだ瞬間に世界が変わる。夕陽を映した水色も、華やかに立ち上る香りも申し分ない。甘味の中にわずかに混じる苦みが絶妙だった。
 シェンバーは感動にぷるぷる震えるイルマを見ながら、小動物を連想していた。幻の尻尾が揺れる。早速二杯目を所望する姿に、緊張していた心が和らいでいく。確かに美味しい茶だった。苦味は舌に残らず、爽やかさだけが口中に留まる。どこの茶なのかを確認して、早々に取り寄せようと決めた。

 午後のひと時のお茶を一緒に、と言ってきたのは王妃だ。

 宮中舞踏会から半月が過ぎ、シェンバーとイルマの周りは騒がしい。
 シュタイン侯爵とグローデル伯爵の事件を皮切りに、シェンバーは騎士団の内部に巣くう貴族たちとの癒着を徹底的に調べ上げていた。イルマを二度と危険な目に遭わせるわけにはいかない。これを機に新たな組織作りを始めようと決めたのだ。
 それだけでも慌ただしいのに、舞踏会が終わって1週間が過ぎた頃には、貴族たちから山ほどの招待状や手紙が二人の元に届いた。

「お披露目の後は大変って聞いてたけど、これ、どうしたらいいのかな」
 途方に暮れる二人を気遣って、王妃は自ら相談に乗ってくれた。社交界に関心のないシェンバーと知識のないイルマではどうにもならないと踏んだのだろう。新たに従者が増やされ、即座に要、不要を分けていく。それでも判断に困った時には、いつも王妃が助けとなってくれていた。

「もうじき陛下もお見えになると思うの」
 王妃の隣には王太子夫妻が座り、仲良く菓子を摘まんでいる。シェンバーとイルマの隣にはミケリアスが座っていた。イルマにつられたのか、ミケリアスも真剣に茶を吟味している。

「これは⋯⋯。滅多に手に入らない品だと思います。以前、神殿に東の大商人が一度だけ寄進してきたことがある」
「えっ! じゃあ、二度と飲めないかもしれないってこと?」
 二人が頷き合って三杯目を頼んだ時に、待ち人が現れた。

「すまない。待たせたね」
 国王はわずかに眉を寄せて、その場に集まった者たちに謝った。
 王妃が少しも、と言いながら穏やかな微笑を浮かべる。国王一家が全員顔を合わせる機会は滅多になく、王妃の心遣いが偲ばれた。

 王が視線を向けた先では、イルマとミケリアスが嬉しそうに茶を受け取っている。二人が目を輝かせるのを見て、王も目を細めた。渡された茶を一口飲めば驚きが隠せない。
「珍しいものを」
「ええ、今日の為にと少々無理を聞いてもらいました。陛下、今日が何の日かご存知?」
「恥ずかしながら、少し前に知ったばかりだ。自分では特に考えもしなかったが、民には大切な日だろう?」
 王妃は長い睫毛を何度か瞬かせた後に王に告げた。
「⋯⋯大事なのは民だけではありませんわ」
 国王が不思議そうに視線を向けると、王子たちが何とも言えない表情をしている。誰も口火を切ろうとしないので、不自然な沈黙が落ちた。

「あ、あの⋯⋯。フィスタの話で恐縮ですが」
 イルマに一斉に視線が集まる。
「私の国では年に一度、感謝の日というものがあって、子どもから父母に日頃の感謝を伝えます。そして、何でもいいのですが自分の心を込めたものを贈るのです」
「そうなのか。女神の国はまことに愛情深い」
 頷いて微笑む国王こそ慈愛に満ちている。だが、肝心なことは何も伝わっていない。シェンバーやミケリアスが目を伏せたのを見て、イルマはもう一押しすることに決めた。

「私は五人兄弟ですが、毎年、年長の者から順に父母に感謝を捧げる決まりでした」
 その場の視線が、一斉に長兄の王太子に向かった。エルダシオンは危うく茶を噴き出しそうになったが、何とか堪えた。
 隣を見れば妃が期待を込めて頷き、逆からは弟たちの刺すような視線を感じる。ここでしくじれば、夫として、また兄としての面目は粉々になるだろう。下手な外交より緊張が走る。
 エルダシオンは咳払いをして立ち上がり、父を真っ直ぐに見つめた。
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