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第四部 婚礼
第9話 白き花①
しおりを挟む老いた庭師が弟子と共に西の宮殿を訪れたのは、初めてのことだった。
イルマとシェンバーが部屋に入ると、まず、庭師が跪いた。弟子は後ろで大きな包みを抱えている。
「お時間をいただき、ありがとうございます。ずっと⋯⋯お二人に見ていただきたいと思っていた花が咲きました」
「テオ、ありがとう。間に合うといいな、と思っていた。楽しみにしていたよ」
イルマに促され、緊張した面持ちの弟子が包みを卓の上に置く。覆いの中から出てきたのは、鉢に植えられた見事な大輪の花だった。
眩しいほどの白が、瑞々しく輝いている。うつむきかげんに六枚の大きな花弁が開き、甘い芳香がふわりと香る。蕾は、この数日で花開くだろう。
鉢に植えられ、凛と咲き誇る花に、部屋にいた人々の口からため息が漏れた。
奥庭にせっせと通うイルマは、庭師のテオと話すのを楽しみにしていた。そのテオから、婚姻の祝いに献上したい品がある、と言われたのは一か月前のことだ。
「本当なら夏に咲く花です。春にうまく咲かせることができるのか、正直、自信がありません。もし、咲いたら⋯⋯受け取っていただけますか」
「テオ、もちろんだよ! テオはずっと、その花を育てていたの?」
イルマの言葉に、庭師は思い出話をした。遠い昔に、大事な人に渡せなかった花があることを。
「給料の中から異国の球根を買って、自分でずっと花を育てていました。きっと、あの方はどこかで見ていてくださると思ったからです。でも、今度は⋯⋯、殿下たちに見ていただきたいのです」
イルマは何度も頷いた。テオが花を渡したかった相手が誰なのか、聞かなくてもわかっていた。
「テオ、すごいよ! とてもきれいだ」
「見事だ。春にこの花を咲かせるのは、さぞ難儀だったことだろう」
庭師は眩しいものを見るように、シェンバーを見つめた。
「御式までに咲くかどうか、ずっと心配しておりました。両殿下にご覧いただき、安心いたしました」
「私が生まれた時にも、それは見事な白い花が届いたそうだ。時折、母が話してくれる。まるで花自らが輝くようだったと。その花も、こんなに美しかったのかもしれないな」
庭師の体が震えた。うつむいたままの姿を見て、弟子が心配気に声をかける。大丈夫だ、と庭師は静かに答えて、再び顔を上げた。
シェンバーが鉢植えのすぐ前に立った。体を少し傾けて、優美な花を見つめる姿は、まるで一枚の絵のようだ。
「昔のことですが、私が最初に奉公に出たのは、領主の庭師の家でした。そこで見事な鉢植えを見たのです。シェンバー殿下の叔父君のご生誕を祝う、美しい花でした。その花は、見たこともないほど、眩く輝いていて⋯⋯。いつか自分もそんな花を咲かせたい。そう思って、夢中で弟子入りを願い出ました」
庭師が己のことを語ることは滅多にない。弟子は口出しをしなかった。
「⋯⋯シェンバー殿下のご生誕の折に、師と同じように白い花をお贈りしました。王妃様がご覧になった花と同じなのかはわかりませんが」
「きっと同じだ」
「⋯⋯殿下」
「私は冬の生まれだ。花が姿を消す時期に、咲き誇る花を用意できる腕を持った人間が、そうそういるわけがない。王宮庭師の長よ、そうだろう?」
庭師は深く深く頭を下げた。
イルマは庭師の手を見つめた。節くれだった大きな手は、いつもこまめに動く。イルマが奥庭で話しかけても、手だけは動きを止めることはない。どんな時も、土や花、自分と向き合って生きてきた手だ。
──テオはどんな想いで、この花を育ててくれたのだろう。
ルーウィック殿下の為の花を見て庭師を志し、亡き殿下に花を贈れなかったことを悔やみ。新たな武の王子の誕生を、どんな想いで迎えたのだろう⋯⋯。
シェンバーが、庭師の荒れた手をそっと握りしめる。
「私たちの為に、丹精込めた花をありがとう。とても、きれいだ」
『咲くのを楽しみに待っている』
遠い日の言葉が庭師の心に響く。瑠璃色の瞳が、目の前であの頃と同じように、優しく微笑んでいる。
「⋯⋯殿下。お待たせ⋯⋯いたしました」
老いた庭師の目から零れた雫が、握られた手の上にいくつも落ちていく。それを咎める者はいなかった。
庭師は、イルマとシェンバーが引き留めても、まだ仕事があるからと部屋を去った。美しい花だけが残され、甘い芳香を部屋に漂わせている。花を見つめるイルマの瞳は輝いていた。
「ねえ、シェン。ぼくはこんなに綺麗な花を見たことがない。テオはどんな花も心を込めて咲かせようとするけれど、この花はテオの心そのものだ」
白く輝く花弁は少しだけうつむきながら、前を向く。
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