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第四部 婚礼
第31話 幸い①
しおりを挟む旅立ちの日は、すぐにやってくる。待っていた月日は長いのに、会った後はあっという間だ。イルマは自分の気持ちがすっかり落ち込んでいるのを感じた。
「昔から、待つ日ばかりが長くて逢瀬はすぐって言うもんね」
「何だか誤解を招くようなお言葉ですね。それは、恋人同士のお話でしょう?」
「似たようなものだよ。本当にずっと待ってたんだ」
「では、両思いでよろしいではないですか! 会いたかった方々は皆、無事にお見えになったんですから」
「うん」
セツは、イルマの向かい側で黙って茶を飲むシェンバーにちらりと視線を投げた。美しい顔には少しの動揺も浮かばない。自分の主は相当鈍いところがあるが、その発言に揺らがぬところは流石だと思う。
「ユーディトもシヴィルも、父上たちと一緒に国に戻るって。ルチアは一足先に戻ってしまったし」
「母はイルマ様にお会いできて、これで今生に思い残すことはないとまで言っていましたよ」
しんみりと頷きながら、イルマはセツの淹れた茶を口にした。
「⋯⋯私も、乳母殿に会えてよかった」
シェンバーの瑠璃色の瞳には深い感慨が込められ、満足げな表情が浮かぶ。
セツとイルマは、思わず互いの顔を見た。ルチアが帰国前に挨拶に訪れ、時ならぬ茶話会が催された。シェンバーとルチアは惚れ惚れするほどに美しく完璧な挨拶を交わしたが、その後、会話が弾んだようには思えない。二人は二言三言交わす度に頷き、度々、沈黙が訪れた。
「シェン、ルチアとはどんな話をしたの? ごめん、よく聞こえなくて」
「⋯⋯乳母殿は、イルマの幼い頃のことを語ってくれた」
「うん?」
「⋯⋯何だか、とても嬉しかった。⋯⋯その、幼いイルマに会えた気がして。微笑ましい話ばかりだった」
眩しそうに自分を見るシェンバーに、イルマは眉を寄せた。ルチアの語った内容を再び聞くのも恐ろしい気がする。
「た、たびたび二人が黙ってたのは⋯⋯」
「ああ、互いに感じ入るところがあって。⋯⋯あれはよかった、イルマが父君と結婚すると泣いた話。兄君たちが父君を取り囲んで」
「も、もういいからっ!」
にこにこと笑うシェンバーを前に、イルマは冷えた茶を一息に飲み干した。
優秀な侍従は主の為に、すぐに新しい茶を淹れた。
「乳母殿の話を、いつまでも聞いていたい位だった」
「⋯⋯そんなに、楽しいかな」
半分不貞腐れながらイルマが問えば、シェンバーは輝く笑顔で頷いた。
「⋯⋯確かに、ぼくもシェンの子どもの頃の話を王妃様に聞くのは楽しい」
「⋯⋯!」
「可愛らしいなと思ったのは、あれだ。はじめて飼った猫にかまいすぎて家出された話。夢中で追いかけて城を」
「わかった! ⋯⋯そうだな。⋯⋯何事もほどほどにしよう」
⋯⋯程々と言うほど、まだ話にもなっていないだろう。
セツがぐっと言葉を飲み込んでいると、主たちと目が合った。優秀な侍従は、お代わりの茶を次々に注ぐ羽目になった。
砂漠の民がイルマたちに別れの挨拶に訪れたのは、婚姻の儀から五日後のことだった。
ハートゥーンはそれまで、常の仕事よりも精力的に動き、思った以上の成果を得た。砂漠の商人は、婚姻の儀の後の宴で、言葉巧みに各国の王侯たちに近づいた。酒宴の席で得た話を元に、翌日には側仕えたちに手持ちの品を届けさせる。選り抜きの品々には、早速いくつかの返礼があった。はるばる砂漠から運んできた品は、十分に役目を果たしたのだ。
⋯⋯大事なのは顔と名を売ることだ。クァランを思い浮かべた時に、ああ、婚礼に参加していた商人がいたなと思い出すだけで構わない。
「成果があったようだな」
「ふっふっふ。この先が楽しみだ! お前に散々罵られても、荷を積んできた甲斐があった!!」
「⋯⋯あの大量の荷を、このわずかな間にさばいたのか」
「そこは抜かりない。以前から王都の商人たちに話は通してある。殿下方並びに王家への献上品、各国への貢ぎ物の他は、どれも既に引き渡した。当面、王都では砂漠から運ばれた品々が話題に上るに違いない」
「ふむ、大した腕だ。⋯⋯それで、肝心要の首尾は?」
機嫌のよかった商人の顔がたちまち曇った。
「どうした? 首尾は上々とはいかなかったのか?」
「⋯⋯少しもお会いする暇がない。贈り物だけでも、と西の宮殿に向かえば邪魔なのがいるし」
セリムは、従兄弟の歯噛みする様子を興味深く眺めた。
「敵も然るもの、セツ殿の予定を把握して、こちらの先回りをしてくるんだ。せめて、これだけでも渡したい!」
珍しくしおらしいことを言うハートゥーンの手には、彼が想い人の為に一生懸命探した品があった。商人は強かな男だが、案外一途で健気なところもある。セリムは少々哀れに思えてきた。
「生き馬の目を抜く商人も、なかなか思い通りにはいかぬものだな。⋯⋯ならば、正々堂々と正面突破しかあるまい」
「正面?」
「恋する男は腑抜けになりやすいな。人を得るならば、先ずは相手の頼みとする者からだろう」
セリムの助言の元に、ハートゥーンは、イルマを正式に訪れた。クァランの様子を話しながら、ちらちらとセツの様子を伺う。久々に間近で見る想い人は艶を増し、見惚れるほどに美しい。山のように賞賛の手紙を送ってきたけれど、本物の美の前には人の言葉など塵芥のようなものだ。洗練された動きでセツから茶を供されると、ハートゥーンには、嘘のように緊張が走った。
「ハートゥーン、そういえば、宴席でもらった薬はとてもよく効いたよ。みるみる疲れがとれて驚いた」
「ああ、よかった! あれの効き目は抜群です。今は持ち合わせがありませんが、お求めならば日を改めてお持ちしましょう」
「お願いできると助かるな。⋯⋯おかげで式の後も、普段通りに動けたし」
頬を染めたイルマの様子に、普段なら余計な一言を言うところだが、今日はそんな余裕もなかった。
「承知しました! あ、あの、イルマ殿下」
「うん?」
「⋯⋯少々、セツ殿をお借りしてもよろしいでしょうか?」
セツの口から「はあ?」と訝し気な声が漏れた。
⋯⋯全く、恋は人を狂わせる。
ハートゥーンの傍らで茶を飲んでいたセリムは、正面すぎる⋯⋯、と心の中で呟いた。
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