ミモザの君

月夜(つきよ)

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俺と君の時間

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山城視点

ジリリリッー、ジリリリリー、ピッ。
目覚ましを止め、まだ週の半ばかとぼんやりとする。
手にしたスマホを見て、凛ちゃんとの再会がまだ・・現実味を帯びない。
昨日夜遅くまで寝付けず、日課の朝のマラソンは今日は取りやめ、俺にしては珍しくギリギリの時間にアラームをセットし直した。
昨日はやや強引に待ってるとメールを送り、諾との返事をもらった。

貧血を起こしがちな彼女が心配だから。
一人で倒れたらかわいそうだから。
俺のこじつけた建前は、半分は本当だ。

倒れた時に抱きとめるのは、俺が・・いいから。
もう一度、大人になった凛ちゃんに会いたいから。
俺の本音。
我ながら、イタイな。
「ふう。」
すでに明るくなった部屋のベッドの中でついため息が出る。
五年ぶりの凛ちゃん。
一昨日は具合が悪そうに青白い顔をしていたが・・。
血管が薄く透けて見えるような透き通るような白さは、彼女が照れたとき、彼女の顔や、耳、首をピンク色に染める。ロングの茶色の髪は彼女の可愛らしい雰囲気によく似合っていて、大きな黒目がちの瞳はキラキラと光を反射する。彼女自身が可愛らしいスィーツみたいな甘さが漂う女の子。
彼女を狙ってる同世代の男はきっといるだろう。
彼氏はいるんだろうか?
もし彼氏がいたとしたら、他の男と毎朝一緒に電車に乗る約束をしていたら・・。
俺ならと考えるだけで、黒い感情に支配されそうになる。
・・今は俺が怒られる方か。
凛ちゃんに彼氏・・か。
もう19だ。彼氏がいても全然不思議じゃない。不思議じゃないが、どうにも割り切れない気持ちになる。
もうサラリーマンの俺の出番なんかないだろうに、自分の気持ちを持て余す。

五年前、就職も決まり半年後には社会人の自分が、14才の女の子に惹かれる事が許せなくて、信じられなくて、何も肝心な事は言えずに彼女に別れを告げた。
彼女のこの五年間はどんな五年だったんだろう?
楽しい充実した学生生活を送れた?
楽しい恋愛をした?
何か夢中になれるものをみつけた?

こんなモラルのない俺が側にいたら、出来なかった事を彼女は経験できたのだろうか。

凛ちゃんに初めて会った時、小さくて、色白で、なんだか自信なさげで・・。
でも大きくくりくりとした瞳は、弱さよりもなんだかキラキラして見えた。
「かわいいな。」
とその時思ったが、それは彼女を女として見たわけじゃなかったはずだ。
それでも一つ、一つ課題をこなし、ちょっとづつ成績に成果が出始めると、彼女の笑顔が増えた。
それが、俺は嬉しかったんだ。
自信なさそうに俯いていて、可愛い耳も、自分の事も好きじゃないって言う彼女がぱっと明るく笑う顔を見たくて、俺にできる事は何かとあの頃はいつも考えていた。
でも、それは俺が家庭教師だからだと思っていた。
そんな時、急な接待で夕飯がいらなくなった父親の分を一緒に食べないかと誘われて、彼女の母親と、小学生の弟と4人で夕食を食べた。
大きなダイニングテーブルを四人で囲み、兄弟二人はおかずを取り合いぎゃあ、ぎゃあ騒ぎ、それを見て笑う柔らかな笑顔の母親と、テーブルに並ぶ色とりどりの食事とほかほかのご飯。
こうゆうのが、家庭ってやつなのかと思うと、途中から食べたご飯の味が分からなくなった。

そこには、俺の知らなかった家庭の温かみっていうのがあって、柔らかな親の愛とか、憎まれ口を叩ける兄弟がいて・・腹を満たしたいのに、なんか胸が苦しかった。
帰り際に、「先生、次もまたご飯食べよう!次は先生の好きなやつ!(凛)」と言われて戸惑っていると、
「じゃあ、唐揚げ!(弟)」「それ、あんたの好物じゃん!(凛)」
兄弟喧嘩が始まった。
「御免なさいね、うるさくて。でも良かったら、次も一緒に食べて行って。せっかく作るんだもの、大勢で食べた方が美味しいに決まってるわ。」
そう言われお礼を言い帰ったが、その日から毎回授業の後に一緒に夕飯を頂いた。
俺にとって、それがなんだかくすぐったくも貴重な時間になっていた。
俺は一人っ子で共働きの親の元に育った。
別に大事にされなかったわけじゃない。
一人息子として期待してくれたし、応援もしてくれた。
そして、両親もそれぞれにやりがいのある仕事に就きキャリアを積んでいたから、俺の自慢の両親に違いなかった。だから、子供心にそんな両親に心配などさせたくなくて早く自立したい思っていた。
それは、頑張る親を子供なりのサポートしたかったんだと思う。
小学校でも、中学でも体調が悪くても我慢する事が当たり前で、一人で食べる食事もいつのまにか俺の中で普通になってた。
俺の中のそういう「普通」が、彼女の家に行くと、全く違って見えた。
そして、その家庭で大事にされてる彼女を俺も大事にしたいと思ったんだ。
でも、俺にはそれがどう言う意味をもつか分かってなかった。
そんな日々が続き季節は秋から冬へと変わる頃、彼女の家に行くとその日は弟が空手の合宿で、親は不在という珍しく二人以外誰もいない日だった。
いつも通りに授業をしているつもりだった。
季節が夏から変わり、半袖から長袖へと変わるが、なんだかその日は長袖でも寒気を感じた。
出していた課題の答え合わせをしている間、彼女は次の課題を進めていると、
「先生、ちょっといい?」
そう言って、彼女が俺のひたいに手を当てた。
ひんやりとした彼女の柔らかい手。
ひたいはひんやりと気持ちいいのに、俺の顔が、身体がかっと熱を持ったのが分かった。
「先生!めっちゃ熱出てるよ!」
焦る彼女の手が俺のひたいから離れていこうとする。
俺は彼女の細い手首を掴んで、自分の手のひらを彼女の小さな手の甲に重ねた。
「つめたいな・・。」
触れたら駄目だと思うのに、その細い手首を離したくなかった。
我慢なんて慣れてるはずなのに。
「・・私の手、気持ちいい?」
天使な彼女が俯いた俺を覗き込んで心配そうに言う。

そんな無防備に近づかないで。
俺は、君をどうとだって出来てしまう。
熱で頭がいかれてる俺は、天使な彼女に言えない欲望が確かに自分の中にあると確信した。
「ごめん。」
これ以上ここにいたら、俺は・・。
「今日は帰るよ。また連絡するから。」
早く、ここから帰らないと。
熱で重くなった身体を引きずるように持ち上げる。
「先生、ダメ。ここに横になって!」
こことは、彼女のベッドだった。
「凛、ちゃん。そんな事・・。」
「だって、先生一人暮らしなんでしょ?帰ったら誰もいないのに、そんなに具合悪くてどうするの!?」
そんな俺の心配より、彼女は自分の心配をした方がいいはずだ。
「大丈夫、ちゃんと薬飲んで寝るだけだから。」
「そんな顔で、大丈夫なわけないじゃん。・・もう、とりあえずとにかく楽にしといて。」
そう言うと、彼女は部屋から出て行った。
そんな顔って、どんなだったんだ。
中学生に心配される自分がひどく恥ずかしかった。
彼女は一向に戻って来ず、心配になって下へ降りていくと、そこにはうどんをよそう彼女の姿。
「あ、ちょうど出来たよ!多分、食べれる・・よ。うん。これ食べて、薬飲んじゃお。そしたら、タクシーで帰るか、うちのお母さんに送ってもらおうよ。」
彼女にしたら病人に対して普通の事だったのかもしれない。
でも俺は、その優しさがどうしょうもないぐらい胸に沁みた。
「昔さ、弟が具合悪い時も作ってあげたんだ。お母さんそんときいなくてさ。」
俺は何も言えずうどんをすすり、味はあんまりよく覚えていない。
でも、俺の人生で一番うまいうどんだったことは確かだった。
そんななんとも残念な俺を彼女は嬉しそうに見つめていた。
それで結局タクシーを呼んで帰ることになった。
なんとか俺はお礼を彼女に言った。
すると、
「ううん。先生はさ、無理しちゃうんだね。それ、すごく心配。キツイ時はキツイって言ってくれないと・・なんか寂しい、からさ。」
そう、恥ずかしそうに笑う彼女を、
俺は抱きしめたいと手を出しかけて・・
ぽんぽんと彼女の頭を撫でた。
そして、偶然を装い彼女のピンクに染まる耳のふちをスッと触れた。
ビクンとする彼女が可愛く思えた。

好きだ。

そう言えたら、
彼女を抱きしめられたら。

「またな。」
そう言って、俺は自分の想いに蓋をした。

ジャー
洗面台に立ち髭剃りを終え、顔を洗い流すと、キッチンに行きコーヒーと軽くパンをかじり着替える。
一人で住むには広すぎる3LDKのマンションの一室。
共働きしていた両親は、去年母親が若年性更年期障害を患ったのを機会に二人とも早期退職を決め、田舎暮らしをすると引っ越して行った。あんなに頑張っていた仕事をあっさりと辞めた両親には驚かされたが、頑張ったからこそ、次のライフステージにいこうと思うんだと話す両親は仲睦まじくウキウキとしていた。
社会人四年目になっていた俺としては、長い会社員人生を終え次へと進む両親の決断は応援したいと思うものだった。一人の空間も、掃除は掃除ロボット。洗い物は食洗機。洗濯は全自動洗濯機とクリーニング。
まあ、どうにか快適に過ごしている。
あんなに働きづめていた両親が病気を機に今はのんびり田舎暮らし。
人生、何が起こるか分からない。

彼女との出会いもこの再会も・・。

そんな事を思いながら電車に乗り込むと、すぐに彼女の姿を見つけた。
人波を押しよけ、どうにか彼女の前に立つ。
「おはよう。」
「お、おはよう、ございます。」
ぎこちないやりとりに苦笑が漏れる。なんでこんなに緊張するんだ。
「なんか・・身長伸びた?」
「!ヒールですっ!もう!」
俺、彼女の耳を猿耳と言ったバカな男子とそう変わらないんだろう。
彼女のちょっと怒った顔が可愛いと思ってしまうから。
そんな俺に天罰が下る。
ぐらっと揺れる車内。
体勢を崩した彼女の腕を引き寄せると、ガンっとヒールで足を踏まれた。
「っ!!」
痛さに悶絶する。
ピンヒールでないだけマシだが、女子のヒールは満員電車で凶器となる。
「あ、足踏んじゃいましたか?ごめんなさい!!」
心配する彼女に、大丈夫だと言おうと目を開けると、
踏まれた足の痛みに下を向いていた俺の顔のすぐそばには、俺の胸に手をつき心配そうに見上げる彼女。
その距離は、わずか10センチ
「「あっ」」
互いにその距離感に目を見開く。
彼女の大きな黒い瞳の中に、驚いた間抜けな俺が写っていた。
彼女のきめ細やかな白い肌、クルンと上向いたまつげ、そしてグロスを塗ったぷっくりとした唇
そして、その息遣い。
忘れられなかった凛ちゃんのぬくもり。

この五年間、他に見つけられなかった。
彼女の代わりなんてどこにもいなかった。

彼女が一歩俺から離れようとしたその手をまた、咄嗟に掴んでしまう。
「・・また、踏まれると痛いから、ここで捕まって立ってろ。」
俺の開いた両脚の間に彼女を立たせ、掴んだ手を・・どうしようか戸惑った。
「どこ、掴む?」
真っ赤になった彼女は悩んだ末に、俺の二の腕をスーツ越しに掴んだ。
ドキンと胸が高まるのをどうにかやり過ごし、
「今日も混んでるな。」
「そう、ですね。」
何気無さを装い彼女を見つめるが、彼女はうつむきがちに返事をするだけ。
でもその彼女の耳がピンクに染まるのを見て・・、触りたいのを我慢した。


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